細烏女

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細烏女(せおにょ)と延烏朗(よのおらん)は、新羅の月の精と日の精が日本に漂着して、日本(倭)の王になった、という朝鮮の神話の主人公である。

神話の概要

新羅の国の東海岸の迎日湾のほとりに細烏女(せおにょ)と延烏朗(よのおらん)という老夫婦が住んでいた。延烏朗が海藻を採りに海へ行くと、乗っていたが動き出して沖へ流れた。数日の漂流の後、岩は豊穣な国の浜に流れ着いた。浜の人達は吉祥として延烏朗を王とした。

新羅では延烏朗が去った日から太陽が現れなくなった。延烏朗の妻の細烏女は、海岸で夫の草履を見つけて、夫が亡くなったと思い大声で泣いた。すると乗っていたが動き出し、沖へ流れた。細烏女は夫が流れ着いたのと同じ浜に着いた。そこで夫と再会し、王妃となった。細烏女が去ると、新羅では太陽に続いて、月までもが現れなくなった。

日官に占わせたところ「東海に住んでいた日の神と月の神の夫婦が、遠く東の国に移り住んだためである。」とのことだった。王は使者を送って、細烏女と延烏朗に新羅に戻るように懇願させた。延烏朗は帰国を断り、「王妃細烏女の織った細綃(織物)を持ち帰って、天にその意を告げ、祭祀を行えば、必ずや日月の光は戻るであろう。」と告げ、反物一反を使者に渡した。使者がこれを持ち帰り、細綃を高く天に降り掲げて、祭祀を行ったところ、日月が再び現れるようになった。

この祭祀を行った場所が迎日湾の「日月池」で、その細綃を保管した蔵が貴妃庫である。

私的解説

日本の神話には、新羅から阿加流比売神という太陽女神を思わせる女神が先に日本にやってきて、後から夫の天之日矛がやってきた、という話がある。細烏女と延烏朗では、「太陽神」と「日本に来た順番」で男女が入れ替わっている。何故だろう? と思う人は多いかもしれないと思う。

葛城氏・賀茂氏の古い伝承では、月は「女神」であって、葛姫という女神がそれに相当すると考える。この両氏族が関わっていた場所には「桂」とつく地名が多く、彼らは中国神話の「月の桂の木」を女神に見立て、祖神として取り扱っていたものと考える。一方、「烏神」といえば、やはり賀茂氏祖神の八咫烏こと賀茂建角身命である。賀茂氏系の信仰は対馬に色濃く残されていると考えられ、そこに天日神命という男性形の太陽神が祀られている。おそらく天之日矛天日神命が葛城氏・賀茂氏の男性形の太陽神であり、彼らと対になる阿加流比売神天月神命が月の女神(桂の木)と考えられていたのだろう。

しかし、日本には母系の文化が根強く残り、太陽神は「女神である」という思想が強かったため、記紀神話を編纂する際に天之日矛天日神命などの男性形の太陽神は採用されなかったものと思われる。彼らは「渡来系の神」としての性質が強いので、「日本古来の神」には向かないと判断されたのかもしれない。また、「烏神」についても、儒教に「日食を起こすもの」という思想がみられるため、これを「太陽神」とすることに反対する考えが日本では多かったのだろう。逆に中国・朝鮮では三足烏を「太陽鳥」とする思想が強かったので、

関連項目

参考文献

  • 「日の神と月の神」、朝鮮の神話と伝説、申来鉉、太平出版社、1972、p57-65