天照大御神

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天照大神(あまてらすおおみかみ、あまてらすおおかみ)または天照大御神(あまてらすおおみかみ)は、日本神話に主神として登場する神。女神と解釈され、高天原を統べる主宰神で、皇祖神とされる。『記紀』においては、太陽女神の性格と巫女の性格を併せ持つ存在として描かれている。神武天皇は来孫。

太陽神、農耕神機織神など多様な神格を持つ。天岩戸の神隠れで有名な神で、神社としては三重県伊勢市にある伊勢神宮内宮が特に有名[1]

名称

『古事記』においては天照大御神(あまてらすおおみかみ)、『日本書紀』においては天照大神(あまてらすおおかみ、あまてらすおおみかみ)と表記される。別名、大日孁貴神(おおひるめのむちのかみ)[2]。神社によっては大日女尊(おおひるめのみこと)[3]大日孁(おおひるめ)[4]大日女(おおひめ)[5]とされている。

『古事記』においては「天照大御神」という神名で統一されているのに対し、『日本書紀』においては複数の神名が記載されている。伊勢神宮においては、通常は天照大御神の他に天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)、あるいは皇大御神(すめおおみかみ)と言い、神職が神前にて名を唱えるときは天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)と言う[6]

なお、「大日孁貴神」の「ムチ」とは「貴い神」を表す尊称とされ、神名に「ムチ」が附く神は大日孁貴神のほかには大己貴命(オオナムチ、大国主)、道主貴(ミチヌシノムチ、宗像大神)など[7]わずかしか見られない[8]

系譜

  • 父 伊邪那岐命(伊邪那岐神、伊邪那岐命、伊弉諾尊)
  • 母 伊邪那美命(伊弉冉尊、伊弉弥尊)(日本書紀でのみ、古事記では誕生に関与していない)
  • 三貴子(伊邪那岐命自身が自らの生んだ諸神の中で最も貴いとした天照大御神を含む三姉弟の神)
    • 弟 月読命(月読命、月夜見尊)(記紀に性別についての記述がなく実際は性別不明)
    • 弟 須佐之男命(建速須佐之男命、須佐之男命、建素戔嗚尊速、素戔男尊、素戔嗚尊)
  • 夫 なし(ただし須佐之男命との誓約が両神の結婚を表しているという解釈もある[9]
  • 五男三女神(アマテラスとスサノオの誓約の際に生じた神:女神が須佐之男命の剣を天照大御神が口に含み先に生んだ子、男神が須佐之男命が天照大御神の玉を口に含み後に生んだ子)

神話での記述

日本書紀

『日本書紀』においては、

  • 第五段の本文では、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)が大八洲国と山川草木の神を産んだ後に、「天下の主者」(あまのしたのきみたるもの)として大日孁貴(おおひるめのむち)を産んだが、あまりに尊いので天上に送った。
  • 第五段の一書の1では、伊弉諾尊が、左手で白銅鏡(ますみのかがみ)を持ったときに大日孁貴が生まれた。
  • 第五段の一書の6では、『古事記』のように禊にて伊弉諾尊が左の眼を洗った時天照大神が生まれた。

古事記

『古事記』においては、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が伊邪那美命(いざなみのみこと)の居る黄泉の国から生還し、黄泉の穢れを洗い流した際、左目を洗ったときに化生したとしている。このとき右目から生まれた月読命(つくよみのみこと)、鼻から生まれた建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)と共に、三貴子(みはしらのうずのみこ)と呼ばれる。このとき伊邪那岐命は天照大御神に高天原(たかあまのはら)を治めるように指示した(「神産み」を参照)[私注 1]

海原を委任された須佐之男命は、伊邪那美命のいる根の国に行きたいと言って泣き続けたため伊邪那岐命によって追放された。須佐之男命は根の国へ行く前に姉の天照大御神に会おうと高天原に上ったが、天照大御神は弟が高天原を奪いに来たものと思い、武装して待ち受けた。

須佐之男命は身の潔白を証明するために誓約をし、天照大御神の物実から五柱の男神、須佐之男命の物実から三柱の女神が生まれ、須佐之男命は勝利を宣言する[注釈 1](「アマテラスとスサノオの誓約」を参照)。

このとき天照大御神の物実から生まれ、天照大御神の子とされたのは、以下の五柱の神である[10]

これで気を良くした須佐之男命は高天原で乱暴を働き、その結果天照大御神は天岩戸(あまのいわと)に隠れてしまった。世の中は闇になり、様々な禍が発生した。思金神(おもいかねのかみ)と天児屋命(あめのこやねのみこと)など八百万(やおよろず)の神々は天照大御神を岩戸から出す事に成功し、須佐之男命は高天原から追放された(「天岩戸」を参照)。

大国主神(おおくにぬしかみ)の治めていた葦原中国(あしはらのなかつくに)を生んだのは親である岐美二神(伊邪那美命伊邪那岐命)と考え、葦原中国の領有権を子の天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)に渡して降臨させることにし、天津神(あまつかみ)の使者達を大国主神の元へ次々と派遣した。最終的に武力によって葦原中国が平定され、いよいよ天忍穂耳命が降臨することになったが、その間に邇邇芸命(ににぎのみこと)が生まれたので、孫に当たるニニギを降臨させた(「葦原中国平定」「天孫降臨」を参照)。その時八尺鏡自身の代わりとして祀らせるため、降臨する神々に携えさせた[私注 2]

信仰

古代

古代において天照大神は、『古語拾遺』に「天照大神、惟祖惟宗、尊無二、自余諸神、乃子、乃臣」とあり、『日本紀私記』に「今天照大神者、諸神之最貴也」とあるように、諸氏の氏神に超越する最高神として朝廷社会の中で信仰されていたことがわかる[11]。一方で、天照大神を祀る伊勢神宮は「私幣禁断」とされ、天皇の祖神や国家全体の鎮守神として、天皇の勅使以外の一般人が個人的に参拝することは固く禁じられており[12]、伊勢神宮を勧請して天照大神を自宅などで祀る行為も厳しく罰せられていた[13]ため、古代においては天照大神が国民各戸の信仰対象になることはなく、平安時代の『更級日記』にも、著者の菅原孝標女が、同僚から天照大神について話された際、それがどこに祀られる神で、どういう神なのかを正確に認識していなかったという記述があり、貴族女性という知識階級であっても、天照大神の存在は浸透していなかった[14]

中世

しかし、中世に入ると律令制度の弛緩に伴い、神郡など古代において伊勢神宮を支えた国家的経済基盤が動揺しはじめたことから、伊勢神宮の御師による布教活動が行われ、天照大御神の存在が広い階層の人々に知られるようになった[15]。その結果、中世期の起請文には「日本国主天照大神」という表現が多く見られるようになる[15]。記紀神話における天照大神はあくまで高天原の主神であり、「日本」という国土を具体的に知行する神ではなかったが、中世における信仰では、国土の最高神として具体的に日本を知行し、人々の願いを聞き入れたり、人々に賞罰を下す存在として信仰され、国民各層に開かれた信仰対象となった[15]。中世期には伊勢神宮に寄進され神領地となった場所に天照大御神を祀る神明神社が成立したり、中世後期には伊勢の神霊が各地に飛来するという「飛神明」という考えが広がり、各地に天照大神を祀る神社が成立した[16]

ただし、「日本国主」である天照大神であっても、それは六道など仏教的宇宙観の一角としての下界である「日本」という領域に限定される最高神であって、仏教的宇宙観全体の支配者である梵天などの仏よりは下位として見なされる場合があり、起請文にも仏の名前を上段に列記し、下段に天照大御神をはじめとする神々の名が列記される例が見られる[15]

また、中世期には天照大神は大日如来の垂迹として信仰され、仏教信仰と結びつけられた。さらに、各神社が自社の祭神を天照大神に結びつけることも見られるようになり、大神神社では祭神が天照大神と同体とされ[17]、春日大社では第四殿に祀られる「比売神」が天照大神のこととされ[18]、熊野権現では熊野社の祭神が伊勢の天照大神と同体であると主張され[19](『長寛勘文』)、日吉大社で展開した山王神道でも日吉大社と天照大神が結びつけられる[20]など、中世の混乱期にあって、各神社の信仰を天照大神への信仰に帰一することを求める思潮が形成された[21]

神仏習合と天照大神の男神説

中世の神仏混淆で本地垂迹説が広まると、天竺(インド)の仏が神の姿をとなり、日本に出現したとする考えが広く浸透した。はじめ天照大神には観音菩薩(十一面観音菩薩)が当てられたが、やがて大日如来となり、両部神道が登場すると天照大神は太陽の仏である大日如来と同一視されるようになる[22][23]

平安末期の武士の台頭や神仏混淆が強まると以前より指摘されていた天照大神の男神説が広まり、中世神話などに姿を残した[24][注釈 2]

天照大神男神説

神道において、陰陽二元論が日本書紀の国産みにも語られており、伊弉諾尊を陽神(をかみ)、伊弉冉尊を陰神(めかみ)と呼び、男神は陽で、女神は陰となされている。太陽は陽で、月は陰であり、太陽神である天照大神は、男神であったとされる説である[私注 3]。この組み合わせはギリシャ神話でも同じで、太陽神のアポロと月神のアルテミスは兄妹神の組合せで生まれている[私注 4]

平安時代、『寛治四年十一月四日伊勢奉幣使記』で伊勢神宮に奉納する天照大神の装束一式がほとんど男性用の衣装であって、江戸時代の伊勢外宮の神官度会延経はこれを典拠にして、『左経記』の宇佐への女子用装束と比較して、「之ヲ見レバ、天照大神ハ実ハ男神ノコト明ラカナリ」と記している。(『内宮男体考証』『国学弁疑』)。また、『山槐記』永暦二年(1161)四月廿二日条、『兵範記』仁安四年(1169)正月廿六日条にも内宮に男子装束が奉納された記事がある。

京都祇園祭の岩戸山の御神体は伊弉諾命・手力男命・天照大神であるが、いずれも男性の姿である。天照大神の像は「眉目秀麗の美男子で白蜀江花菱綾織袴で浅沓を穿く。直径十二センチ程の円鏡を頸にかけ笏を持つ。」と岩戸山町で伝えられるとおりの姿である。江戸時代、円空は男神として天照大神の塑像を制作している。江戸時代に流行した鯰絵には天照大神が男神として描かれているものがある。京丹後市久美浜町布袋野(ほたいの)の三番叟(さんばそう)に登場する翁は天照大神を表すとされ、振袖を着てカツラを装着し、かんざしを挿して金色の烏帽子を被る姿である。また、藤原不比等が女性が天皇に即位できるように記紀を作り替えたとも言われる[25]

江戸時代には荻生徂徠、山片蟠桃などを筆頭に天照大御神の男神説が数多く主張されており、明治以降も津田左右吉や松前健、楠戸義昭、武光誠、筑紫申真、溝口睦子、宝賀寿男などに男神説が見られる。

ただし前述のように現在では国学時代に主流となった女神説が一般的であり、伊勢神宮を始め各神社でも女神としている。また、現代語訳本や漫画においても女神として描かれることが主流である。

なお、日本国内の諸説から離れて比較神話学の立場から見た場合、世界的に太陽神は男神より[女神とされることが多かったという指摘もある。詳細は「太陽神」の項目を参照のこと。太陽女神(あるいは、女神とされることもある太陽神)の例としては、ソールサウレシャマシュシャプシュマリナ羲和トカプチュプカムイなどがある。

一方日本神話をギリシャ神話やローマ神話と同じ性格の「神話」・「虚構」と位置づけることに反対し、上古東アジアの神話、習俗、祭祀の事情から男神であったとする説もある。「地域移動」を高所・天からの降下(天降り・天孫降臨)と受けとめる考え方があったからとされる。日本の上古支配氏族である天孫族(天皇家や高天原起源の諸豪族)高句麗王家では、始祖の朱蒙が日光に感精した河伯の娘から卵で産まれたという伝承をもつ。日本と高句麗(扶余)との間には、王者の収穫祭が即位式に結びつく点、穀物起源神話や王者の狩猟の習俗などで、両者の王権文化は多くの共通点をもっており、この他、朝鮮半島では例として天日槍命関係の伝承に見るように、朝鮮半島では日光により感精し卵から始祖が誕生する卵生神話が存在し、始祖の卵生伝承も朝鮮半島に多く、日本にも僅かであるが伝わっていたとされる。『姓氏録』などの記録において、女性を始祖とする氏族が一つも記載されていないことも、天照大御神が女神たりえなかった根拠とする見方がある[26][私注 5]

一方、これは朝鮮半島民族の影響下にあったためであり、卵生伝承は日本ではシベリア系北方民族と関わりがあったアイヌの神話の中に見られるが日本神話においては見あたらないとする説もある。

各仏教宗派の教学

仏教界においては、宗派にもよるがちょうど八幡神(やはた/ハチマン)のように「てんしょうだいじん」と音読みで読まれることが多い。

真言宗
真言宗では天照大神を大日如来の化身と見ていた[27]
日蓮宗・法華宗
日蓮は御書の中で自身の出身地である安房国長狭郡(現在の千葉県鴨川市の大半)を、天照大神の日本第一の御厨(東条御厨)であると記している。日蓮は天照大神と八幡大菩薩を日本の法華経守護の善神の筆頭とし十界曼荼羅に勧請しており[28]、その本地を釈迦牟尼仏だとしている[29]。現在でも日蓮宗・法華宗の寺院では三十番神の一柱として天照大神が祀られている姿が見られる。
昭和になると日蓮宗・法華宗各派は、日蓮が御書にて天照大神を帝釈天や梵天などのインドの神と比べて「小神」と呼んだこと、「天照大神」という文字が十界曼荼羅の中で鬼子母神八大龍王などよりも下に書かれていることなどが問題視され、法華宗が不敬罪で訴えられる事件となった[30]

天照大神を祀る神社

  • 天照大神を祀る神社を神明神社といい全国各地にあるが、その総本社は神宮(伊勢神宮)の内宮(皇大神宮)である[1][6]。皇大神宮は三種の神器のうちの一つ八咫鏡(ヤタノカガミ)を御神体として安置する神社である。
  • 宮崎県高千穂町岩戸には岩戸隠れ神話の中で天照大神が隠れこもったとされる天岩戸と天照大神を祀る天岩戸神社がある。東本宮は天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)を祀り、西本宮は大日孁尊(おおひるめのみこと)を祀る。
  • 日前神宮・國懸神宮 - 日前神宮の祭神である日前大神は天照大神の別名でもあり、朝廷は神階を贈らない別格の社として尊崇した。神体の鏡はいずれも伊勢神宮内宮の神宝である八咫鏡と同等のものとされる。
  • 伊雑宮(三重県志摩市磯部町) - 皇大神宮(伊勢神宮内宮)の別宮の一社。度会郡大紀町の瀧原宮とともに「天照大御神の遙宮(とおのみや)」と呼ばれる。
  • 瀧原宮・瀧原竝宮(三重県度会郡大紀町) - ともに天照大御神御魂(あまてらすおおみかみのみたま)を祀る別宮。瀧原宮はその和御魂(にぎみたま)、瀧原竝宮は荒御魂(あらみたま)が祀られるとされる。
  • 日向大神宮(京都市山科区日ノ岡)
  • 古賀神社(福岡県古賀市)
  • 天照皇大神宮(福岡県糟屋郡久山町)
  • 廣田神社(兵庫県西宮市) - 天照大神の荒御魂を祀る。旧官幣大社で日本書紀にも記される。
  • 皇大神社 (福知山市)(京都府福知山市大江町)
  • 山口大神宮(山口県山口市)
  • 大日霊貴神社(秋田県鹿角市八幡平)
  • 八倉比売神社(徳島県徳島市国府町矢野) - 社伝に御祭神・大日孁尊(天照大神)の葬儀の様子が記されている。
  • 籠神社[31] - 天照大神と孫神・彦火明命(饒速日命・ニギハヤヒ)を祀る。元伊勢の一社で「元伊勢籠神社」とも称される。
  • 愛媛県西条市にある伊曽乃神社は、天照大神荒御魂]]と武国凝別命を祀っている。西条祭りでは伊勢音頭が歌われ、伊勢神宮の式年遷宮では西条のだんじりが奉納されている。
  • 石川県金沢市にある尾崎神社は、 天照大神、東照大権現、加賀藩三代藩主前田利常を祀る。
  • 宗忠神社 (京都府京都市)・神道山 (岡山県岡山市) - 黒住教の霊地。
  • 大洲七椙神社 - 誉田別命、建御名方命、天照皇大神。長野県下伊那郡]松川町大字元大島

全国の天照大神伝承

天照大神の伝承は各地に存在する。

全国の天照大神伝承

  • 木曽山脈の恵那山には天照大神誕生の際に、胞衣(えな)が埋設されたという伝承が残る[32]
  • 長野県戸隠山の戸隠神社には天岩戸の伝承が残る[33]
  • 三重県のめずらし峠は、天照大神と天児屋根命が出会ったという伝承が残っている[34]
  • 奈良県の與喜(よき)山には天照大神が降臨した伝承が伝わっている[35]。また、長谷寺の本尊十一面観世音菩薩立像の左脇侍雨宝童子立像は、天照大神として信仰されており、頭髪を美豆良に結って冠飾を付け、裳を着し袍衣を纏った姿をしている[36][私注 6]
  • 島根県隠岐は天照大神が行幸の際、そこに生育していた大木を「おおき」と感動して呼んだことが隠岐の名の起源であるという伝承が残る[37]
  • 鳥取県因幡の八上郡には、天照大神がこの地にしばらくの間行宮する際、白兎が現れて天照大神の裾を銜(くわ)えて、行宮にふさわしい地として、現在も八頭町と鳥取市河原町の境にある伊勢ヶ平(いせがなる)にまで案内し、そこで姿を消したとされる[38]。八頭町の青龍寺の城光寺縁起と土師百井(はじももい)の慈住寺記録には、天照大神が国見の際、伊勢ヶ平付近にある御冠石(みこいわ)に冠を置いたという伝承が残っている[38]。この伝承と関連して八頭町に3つの白兎神社が存在し、八頭町米岡にある神社は元は伊勢ヶ平にあった社を遷座したものと伝えられるが、具体的な伝承に基づく全国的に見ても極めて珍しい神社である[39]
  • 同じく鳥取県八上の氷ノ山(ひょうのせん)の麓、若桜町舂米(つくよね)には天照大神が大群を従えての行幸伝承とともに、天照大神が作ったとされる和歌が伝わっている[40]。2007年(平成19年)、若桜町舂米地区内で天照大神が腰掛けをしたさざれ石が発見された[41]
  • 氷ノ山の名は、天照大神が樹氷の美しさに感動して日枝(ひえ)の山と呼んだことが起源とされ、氷ノ越えの峠(ここにもかつて白兎を祀る因幡堂があった)を通って因幡をあとにしたとされる[42]
  • 現在は存在しないが、熊本県の八代市には上古に天照大神の山陵が在ったと伝えられる[43]
  • 宮崎県高千穂町岩戸にあり天照大神を祭神とする天岩戸神社の周辺には、岩戸隠れ神話の中で天照大神が隠れこもったとされる天岩戸をはじめ、複数の神話史跡や関連の地名が残る。

参考文献

  • Wikipedia:天照大神(最終閲覧日:22-10-09)
    • 薗田稔、茂木栄『日本の神々の事典 神道祭祀と八百万の神々』 学研、 1997年
    • 後藤然、渡辺裕之、羽上田昌彦ほか『神道の本 八百万の神々がつどう秘教的祭祀の世界』学研「ブックス・エソテリカ」、 1992年
    • 佐藤 弘夫, アマテラスの変貌 - 中世神仏交渉史の視座, 2000-8, 法蔵館, 227, isbn:9784831871299
    • 伊藤 聡, 天照大神=大日如来習合説をめぐって(上), https://hdl.handle.net/10109/168%7Cdate=2003-3, 茨城大学人文学部, 茨城大学人文学部紀要. 人文学科論集, volume39, pages74-58

関連項目

  • 西王母
  • 雷母
  • 熊女:朝鮮神話で洞窟に籠もって再生する女神である。岩戸神話と共通するモチーフである。
  • 瀬織津姫(撞賢木厳之御魂天疎向津媛命) - 廣田神社などを筆頭に、天照大神の荒魂として各地の神社に祀られていることがある。
  • 稚日女尊
  • 鳴女:天照大御神のトーテムとも言うべき雉女神。
  • 下光比売命:天照大御神と同一の女神。
  • 太一 - 至高神の意で天照大神と習合したとされる[44]

注釈

  1. 「我が心清く明し。故れ、我が生める子は、手弱女を得つ。」(『古事記』)
  2. 中世神話では主に男性神として、中世に編纂された『日諱貴本紀』には両性具有神として描写される。

私的注釈

  1. 「右目から月が生まれ、左目から太陽が生まれた」とは盤古神話と一致する。
  2. 「鏡」は日本の神社ではご神体として祀られることが多いが、中国神話では雷母の持ち物とされ、雷女神の象徴であり、雷光を発生させる道具であると考える。雷女神は、中国・日本の神話の中では、どちらかといえば下位の女神といえるが、太陽女神から別れて地位が低下した女神と思われ、元々は太陽女神が天候神としての性質も備えていて、雷鏡を所有していたと思われる。天照大御神が天候神であり、雷を発生させる能力がある、と考えられていたことが分かる。
  3. 管理人の考えでは、そもそも陰陽という思想そのものが、男神を神仙の世界に参画させるために作られたものである。
  4. これは太陽神は炎帝が変形したもの、月女神は嫦娥が変形したものといえる。
  5. 日光感精説話は「日光感精」と「卵胎生」の両方の要素を示す必要性はない、と考える。「日光感精」は男性(父親)が太陽なのであり、卵(太陽)を生むパターンは母親が太陽であり、卵は太陽から別れた「子供の太陽」の象徴だからである。中国では、母親が鳥の卵を飲んで子供を生む話が多いが、これは中庸的であって、卵は「太陽」の象徴なのだが、父親が太陽のとき、母親は卵(太陽の精)を体内に取り混んで感精して子供を生む。「卵を飲む」話と「日光感精」は意味としては同じなのである。日本神話では、賀茂氏の一族の玉依姫が丹塗りの矢により妊娠する話がある。玉依姫自身が、まず太陽(玉)の化身なのである。そのため、夫が火雷神に変更されているが、夫の精である丹塗りの矢に感精して子供を生む話であるので、北東アジアの「感精懐胎説話」として、みな「同じ種類の話」とでき得る。広い意味での「日光感精説話」が日本にないわけではない。語られる地方によって特色が少しずつ異なるだけである。
  6. 「袍衣」の意味は? 蚕だろうか?

参照

  1. 1.0 1.1 『八百万の神々』
  2. 『日本書紀上』p.86、日本古典文学大系、岩波書店
  3. http://www5c.biglobe.ne.jp/~akimitsu/sub4.htm, 神戸市東灘区 西岡本からのお知らせ, 2013-06-16, Akimitsu|date=2013, 神戸市東灘区西岡本
  4. http://www.ishikawa-jinjacho.or.jp/search/detail.php?e7a59ee7a4be4944=1854, 神社を探す ― 大日孁神社/おおひるめじんじゃ, 2013-06-16, 石川県神社庁, 2008, 石川県神社庁, 2018年5月
  5. http://www.gifu-jinjacho.jp/syosai.php?shrno=519&shrname=%E2%98%85%E5%A4%A7%E6%97%A5%E5%A5%B3%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E2%98%85, 大日女神社 (おおひめじんじゃ), 2013-06-16, 岐阜県神社庁, 2011, 岐阜県神社庁
  6. 6.0 6.1 『日本の神々の事典』(full, 2018-05)
  7. 布波能母遅久奴須奴神、八島牟遅能神などにも見られる。
  8. 次田潤『新版祝詞新講』p.506、戎光祥出版、2008年。
  9. 『古事記の本』学研、2006年、81頁。
  10. 日本書紀には6柱とする説もある
  11. 宮地直一「大神宮信仰の通俗化」『伊勢信仰Ⅰ』雄山閣(1979)5頁
  12. 宮地直一「大神宮信仰の通俗化」『伊勢信仰Ⅰ』雄山閣(1979)4頁
  13. 神社本庁監修『神社のいろは用語集 祭祀編』扶桑社(2015)141頁
  14. 宮地直一「大神宮信仰の通俗化」『伊勢信仰Ⅰ』雄山閣(1979)16-17頁
  15. 15.0 15.1 15.2 15.3 佐藤弘夫「日本国主天照大御神観の形成」『鎌倉仏教の様相』吉川弘文館(1999)115-146頁
  16. 西垣晴次『お伊勢まいり』岩波新書(1983)127-129頁
  17. https://kotobank.jp/word/三輪神道-139990, 三輪神道とは - コトバンク, コトバンク, 小笠原春夫, 2022-08-10
  18. https://kotobank.jp/word/春日信仰-229876, 春日信仰とは - コトバンク, コトバンク, 落合偉洲, 2022-08-10
  19. https://kotobank.jp/word/長寛勘文-97704, 長寛勘文とは - コトバンク, コトバンク, 瀧浪貞子, 2022-08-10
  20. 末木文美士『中世の神と仏』山川出版社(2003)45頁
  21. http://hjueda.on.coocan.jp/koten/ktshk/sotsuron2.htm, 近世初期における神宮復興の運動, 上田勝彦, 2022-08-10
  22. 佐藤, 2000, page150
  23. 伊藤, 2003, pages74-73
  24. 上島享「中世王権の創出とその正統性」『日本中世社会の形成と王権』(2018-05)
  25. 斎藤英喜『読み替えられた日本神話』(要ページ番号, 2018-05)
  26. 宝賀寿男「天照大神は女性神なのか」『古樹紀之房間』、2010年。
  27. 伊藤, 2003, pages73-71
  28. 『日蓮宗辞典』日蓮宗事典刊行委員会 1999年5月
  29. 『日蓮聖人の国神観』日蓮聖人と国神観 山川智應 1940年5月(要ページ番号, date2017-12)
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  32. 日本の山1000, 山溪カラー名鑑, 1992, 08, 山と溪谷社, isbn:4635090256, page.355
  33. 引用エラー: 無効な <ref> タグです。 「S」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません
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  40. 大江幸久『もう一つの因幡の白兎神話 天照大神行幸と御製和歌の伝わる八上神秘の白兎と天照大神伝承』(要ページ番号、2017-12)
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  43. 森本一瑞『肥後国誌』(要ページ番号、2017-12)
  44. 吉野裕子「伊勢神宮考」(『民俗学研究』第39巻3号、1974年)p.209-232