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『古事記』には、天皇の美濃行幸は記されていないが、冒頭の系譜で八尺入日売命を娶って成務天皇らを生んだことを記している。また大碓命と三野(美濃)国造の2人の娘について『日本書紀』と似た伝承を記し、次のような伝承も記している。天皇は朝夕の食膳に参上しない兄(兄の名は記されていないが、一般には大碓命と考えられている)を参上させるため、小碓命によく教え諭すよう命じた。しかし数日しても何も変わりがないため小碓命に聞くと既に教え諭したという。どのように諭したのか聞くと厠に入るのを待ち伏せして打ちのめし、手足を引き千切って投げ捨てたという。「教え諭す」という言葉を「思い知らせる」、つまり処刑だと勘違いしたのである。小碓命、のちの倭建命(ヤマトタケル)は恐れられ疎まれ、危険な遠征任務に送り出されるようになった。なお、これはあくまで『古事記』での話であり、『日本書紀』では大碓皇子の惨殺はない。日本武尊(ヤマトタケル)と天皇の仲も後述するように良好である。
 
==== 私的解説 ====
「美濃行幸」は、景行天皇が東国にも縁故があることを「匂わせる」ための伝承ではないかと考える。天皇と八坂入媛命との間に生まれた'''渟熨斗皇女'''(ぬのしのひめみこ)は、更に美濃に住み、子神の市隼雄命と共に地域の開拓に務めた、という伝承があるので、'''その血筋が美濃あるいは更に東国'''にあるかもしれない、と伝承を知った人に思わせることができる。
=== 九州巡幸 ===

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