チャンヤンと雷公は[[兄弟]]だが相続で争い、雷公は自分が得た土地に納得しなかった。そこで天に上って雹と雨を降らせてチャンヤンを溺れさせようと考える。チャンヤンは水田を耕そうとするが、牡の水牛を持っていなかったため、雷公から水牛を借りた。耕作が終わるとチャンヤンは水牛を殺して祖先を祀り、祖霊祭で水牛を食べてしまった。雷公は怒り、洪水を起こす、と言ったのだが、三日の猶予をもらえたので、チャンヤンはその間にヒョウタンを育てた。雷公が洪水を起こし、チャンヤンはヒョウタンに乗って逃れた。生き残ったのはチャンヤンとその妹のニャンニ(Niang Ni)だけだった。チャンヤンは'''竹'''の助言を得て、妹のニャン二を説得して結婚した。二つの臼を別々の山から転がして二つが一緒になったら結婚するなどの難題を乗り越えたのだ。二人の間に肉塊が生まれたので、それを切り刻み九つの肥桶に入れて九つの山に撒いた。すると肉片から人間が大勢生まれた。しかし、彼らはまだ言葉が話せなかった。そこで土地公を天井に派遣して秘策を得た。松明を点して'''山を焼き竹を燃やす'''と弾けて音がする。それを真似て人々は言葉を話し始めた。人々は一緒に住み、七人の爺さんは牛殺しの刀を、七人の婆さんは紡車を管理して暮らすことになった。<ref>創世神話と王権神話 アジアの視点から、鈴木正祟、p115-117</ref>。
== 私的解説 私的妄想 ==
チャンヤン神話は、登場する神々が多く、複雑で少なくとも2,3個の「祖神神話」が合わさって複合した神話と考える。その上、脱落している部分もあるように思う。また、植物を擬人化する、とうよりも、人間の話としたら残虐になりすぎる話を植物の話とすることで、残虐性を和らげようとする方向性がある気がする。人でないものから唐突に人が生まれたりする。ともかく、「メイパンメイリュウと蛾王」のエピソードを勝手に「冥界パート」と名付け、それ以前を「現世パート1」、以後の大洪水の部分を「現世パート2」と分けてみた。
主人公のチャンヤンを楓の樹に関連する[[蚩尤]]と同一視する説が苗族にはある。別にそれは間違ってはいないと思うけれども、なぜ蚩尤のみにこだわるのかが理解できない。蚩尤のみにこだわる点は間違っていると考えるからだ。中国の洪水神話との類似性から、チャンヤンはダロンでもあり、伏羲でもある、とは誰でも想像できるはず。そして、日本人ならいつか、チャンヤンとは'''荻'''で養母を殺してしまった'''小泉小太郎'''のこと、と気が付くはず。視野を狭くして、始祖を特定のものだけと決めつけるのは、不必要なナショナリズムの台頭を招き、思想的にやや危険かと思う。ただし、チャンヤンが楓香樹だとすると、「自ら魚を盗んで食べた」ことを認めたことになるので、その点は立派なことだと思う。我が家の近所の小太郎君は、自らは何も盗まなかったことになっている。でも、別の話で「盗んだ小豆」は雉娘に食わせてしまったことになっていて、自分だけはその話から抜けて「開拓の英雄面」をしている。おかげさまで親戚筋からは「親を捨てて殺したのを嫁のせいにしてる」とか露骨に非難されている気がしてならない。いくら神話を改変しても、元の話をみんなよく覚えていて、1万年くらいの時間の経過では忘れてくれない。チャンヤン君も狭い世界に閉じこもらず、自分が世界中で何と語り継がれているのかを知ることも大切かと思う。
=== 現世パート1 ===