豊稲田姫

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豊稲田姫(とよいなだひめ)は稲含神社(群馬県甘楽町秋畑)に伝承が残る女神である。

概要

  • 祭神の豊稲田姫(その他の神々)はインドから来た神(来訪神)で、口に種を含んで稲を日本に伝来させた。
  • その秘密を守るため、かつて氏子は稲作をおこなわなかった(禁忌:作物の俗信)。
  • 榛名神とはインドから来た姉妹であったが仲違いをしたため、氏子は榛名神には頭を下げず、破ると祟りがあった[1]

稲含神社の起源

稲含神社の祭神は豊稲田姫とされている。『稲含大明神御縁起』によれば、第28代安閑天皇の御代(530年頃)に創建されたといわれる。那須の中野保家には、この縁起書の 写本が保存されており、永正2年(1505)3月と記されている。その文面には、豊稲田姫は 印度の国から日本へ渡って、養蚕、稲作を日本に広めたとあり、また姫は稲含へ行って蚕を飼ったという伝説がある。

参道の途中に、手水場・籠岩・桑の木沢と いう所がある。山から出て来た姫は、天熊の大人という人物を従えて、神池の手水場で御手を洗い、大人の命により桑の木沢より桑を取らせて、岩の上で蚕を飼われた。それからこの岩を籠岩と言うようになったという。

豊稲田姫は、印度から稲の種子を持って来られるのに苦労され、どこに隠しても見つかってしまうので、口に含んで持って来られた と言われている。以来、養蚕を五穀の守神として、今も多くの人が参詣している(秋畑稲含神社境内案内)。

私的解説

日本神話において、葛城・賀茂氏系神話と物部氏系神話は、「非常に近い」のだけれども「何か違う」の典型的な女神である。葛城・賀茂氏は台湾原住民におけるパイワン族チモ族、物部氏はパイワン族といえると考える。同じ「パイワン族」と名乗りながらパイワン族とチモ族は思想に異なる点があり、一線を画している。

起源

台湾原住民プユマ族の伝承に「大洪水後ルビルビルとタタ」という二人の女の子が生まれた、という話がある[2]。これは、中国ミャオ族神話のバロンダロンに相当し、おそらく古くはダロンは男子ではなく女子だったのだと考える。豊稲田姫の起源はプユマ族の「タタ」、ミャオ俗の「ダロン」に相当し、名前からは元はアミ族の女神であることが窺える。榛名山の女神とは、名前からして「バロン」のことと考えるので、榛名女神と豊稲田姫の仲が悪い、ということは、バロンを擁するチモ族とダロンを擁するパイワン族の「仲が悪かった」と言っているも同然のように思う。

チモ族が日本でも葛城・賀茂氏に相当し、パイワン族が物部氏に相当するとすると、信濃葛城氏に関連する金刺氏は木曽・水無神社で物部氏系の女神を崖から突き落とす祭祀を行っているし、赤城大明神縁起で、上野の側は信濃国更級郡の金刺氏の神と思われるものを猛非難しているので、双方の仲は「悪かった」というよりも神話的には「今でも悪い」という方が正しいように思う[3]

参考文献

関連項目

脚注

  1. 『日本の伝説27 上州の伝説』(角川書店)p.123
  2. 神々の物語、台湾原住民文学選5、神村徹編、草風館、2006年8月1日出版、p77
  3. おそらく映画「千と千尋の神隠し」での銭婆(上野側)と湯婆(信濃側)が双子でそっくりなのに仲が悪い、ということに相当する仲の悪さであると思う。千尋だったら「私をこの二人の対立に巻き込む?」と言うと思うけれども、千尋自身がこの2人を合成した「天照大御神」であって、どちらも「自分の前世」も同然だから逃げられない、ということになりそうだと、そんな感じなのが、豊稲田姫(上野側)と奇稲田姫(信濃側)と天照大御神(記紀神話)の関係だと考える。