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これは一見すると母子姦の話ではない。ただ「泣きわめく子供」というのは須佐之男をイメージさせ、なにがしかの神話が崩れた話であると推察される。そして、前世でなにがしかの恨みがあると、それを晴らそうとして相手の子供に生まれ変わったりする、と古代の人が考えていたことが分かる。ということは、'''夫が妻の浮気を恨んで亡くなった場合、妻の息子に生まれ変わって復讐することもある'''、とそのようにも考えられていたのではないだろうか。この場合、息子の実の父親は「亡くなった母親の先夫」ではないかもしれない。でも「生まれ変わり」だから、息子は先夫も同然である。彼は、自分を裏切った妻に復讐するために、間男と妻の息子として生まれ変わった、と考えられたのではないだろうか。だから、父親でもある間男を殺してしまうし、母親も浮気の罪で殺してしまうのだ。息子が母親に「貸したもの」とはまさに「彼の命」そのものだったので、彼は生まれ変わって相手の命を取り立てたのではないだろうか。
少なくとも、後世の人がそう考えたから、「'''母親と結婚して父親と母親を殺す男'''」の話と、「'''浮気した妻と浮気相手を殺す男'''」の神話が成立したのだと考える。この2つの話は「同じ意味」を持つ話で、'''「浮気相手を殺す話」は前世の立場から見た話'''、'''「母親と父親を殺す話」は後世の立場から見た話'''なのだけれども、'''殺人者は二位一体で「父と子」でもあり、「同じ人物」なのでもある'''。ただし、霊異記の話の目的は行基の偉大さを示すものなので、母親は殺されずに仏の功徳で助けられることとなっている。。ただし、霊異記の話の目的は行基の偉大さを示すものなので、母親は殺されずに仏の功徳で助けられることとなっている。そして、「泣きわめくばかりの子供」というのは須佐之男的でもあるし、西欧の伝承のいわゆる「取り替え子」的でもあると考える。取り替え子は「悪い妖精」が本当の赤ん坊を自分たちの仲間と取り替えてしまう、という伝承だが、これも「生まれ変わり」の概念の一種かもしれないと思う。 == 愛欲と生まれ変わりの関係 ==霊異記が編纂されたのは平安時代であって、平安時代の日本はまだ母系が強力な社会だった。なので、こんな説話もある。 <blockquote>昔、墓の前で激しく泣いている女がいたので、仏がそれを見て嘆いた。弟子が嘆いたわけを聞くと、仏は「この女は前世で一人の男子を生み、その子に強く愛着して、口でその子の男根を吸った。三年後に女は病で亡くなったが、その際にも息子の一物を愛撫して『後世ではずっとおまえの妻になろう』と言った。こうして女は隣家の娘に生まれ変わり、息子の妻となった。その夫を亡くしたので彼女は泣いているのだが、私はこの愛欲にまみれて悪い因縁を作った女のことを嘆いたのだ。」と言った。<ref>日本霊異記第四十一、日本古典文学全集、小学館、p248-251</ref>。</blockquote> これは桑を摘んでいて蛇と通じて亡くなった「和製馬頭娘」の話に挿入的に付随して語られたエピソードである。ここまで原型が崩れてしまうと、「母子姦」という珍しい話だから、元の話が類推できるけれども、元の話を知らなければ想像や推察だけで元の形に戻すのは難しいと感じてしまう。ただ「馬頭娘」と共に語られているので、娘を犯して殺した蛇神と、母親との愛欲にまみれた男は、どちらも「元は同じもの」だから同じ項に一緒に収録したのか、とそのように想像してしまう。ともかく、古代の人が「人間は執着するものがあると、その周辺に生まれ変わることがある」と考えていたことが分かるし、'''「母子姦」の話は「生まれ変わり」という概念と非常に関連が深い'''ことが分かる。
== 関連項目 ==

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