<blockquote>行基が難波で布教のために説法をしていた。一人の女が男の子を連れてきていたが、その子は十歳を過ぎているのに、絶えず泣き喚き、歩くこともできず、乳を飲んでいた。行基は女に「その子供は淵に投げ捨てなさい。」と言った。人々は「慈悲深い行基様が、なんでそのような無慈悲なことを言うのだろう。」と不審がった。女は子供がかわいかったので捨てず、次の日もまた子連れで説法を聞きにやってきた。しかし、また子供が泣きわめくので、ついに耐えきれず子供を淵に捨てた。すると子供は水の上に浮かんで「ああ残念だ。もう三年おまえから取り立てて食ってやろうと思ったのに。」と言った。行基はこの話を聞き、母親に「お前は前世で、彼の物を借りて返済しなかったので、貸主がおまえの子供に生まれ変わって取り立てようとしたのだ。」と教えたとのことだ<ref>日本霊異記第三十、日本古典文学全集、小学館、p225-227</ref>。</blockquote>
これは一見すると母子姦の話ではない。ただ「泣きわめく子供」というのは須佐之男をイメージさせ、なにがしかの神話が崩れた話であると推察される。そして、前世でなにがしかの恨みがあると、それを晴らそうとして相手の子供に生まれ変わったりする、と古代の人が考えていたことが分かる。ということは、'''夫が妻の浮気を恨んで亡くなった場合、妻の息子に生まれ変わって復讐することもある'''、とそのようにも考えられていたのではないだろうか。この場合、息子の実の父親は「亡くなった母親の先夫」ではないかもしれない。でも「生まれ変わり」だから、息子は先夫も同然である。彼は、自分を裏切った妻に復讐するために、間男と妻の息子として生まれ変わった、と考えられたのではないだろうか。だから、父親でもある間男を殺してしまうし、母親も浮気の罪で殺してしまうのだ。息子が母親に「貸したもの」とはまさに「彼の命」そのものだったので、彼は生まれ変わって相手の命を取り立てたのではないだろうか。
少なくとも、後世の人がそう考えたから、「'''母親と結婚して父親と母親を殺す男'''」の話と、「'''浮気した妻と浮気相手を殺す男'''」の神話が成立したのだと考える。この2つの話は「同じ意味」を持つ話で、'''「浮気相手を殺す話」は前世の立場から見た話'''、'''「母親と父親を殺す話」は後世の立場から見た話'''なのだけれども、'''殺人者は二位一体で「父と子」でもあり、「同じ人物」なのでもある'''。
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