「オンドリ雷神」の版間の差分
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河姆渡文化では「世界樹」はイノシシ神で表されると考える。バロン・ダロン神話では、世界樹の名前は「日月樹」という。イノシシ神が太陽神かつ月神の性質を持っていたことが示唆される。一方、河姆渡文化では、太陽はイノシシ神とは別にある。イノシシ神は、古くは月神のみの性質だったのが、時代が下ってダロンが「洪水神話」に付け加えられたように、後に「太陽神」としての性質が'''付け加えられた'''のではないだろうか。 | 河姆渡文化では「世界樹」はイノシシ神で表されると考える。バロン・ダロン神話では、世界樹の名前は「日月樹」という。イノシシ神が太陽神かつ月神の性質を持っていたことが示唆される。一方、河姆渡文化では、太陽はイノシシ神とは別にある。イノシシ神は、古くは月神のみの性質だったのが、時代が下ってダロンが「洪水神話」に付け加えられたように、後に「太陽神」としての性質が'''付け加えられた'''のではないだろうか。 | ||
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| + | そしてこの日月樹は雷神の力によって枯れてしまう。河姆渡文化ではイノシシ神は雷神と一体的になって制御され、それを行き過ぎないように抑制しているのが黄帝型神としての役割のように感じられるが、バロン・ダロン神話では、雷神が樹木を抑制し、場合によっては枯らしてしまう存在として描かれる。その点でも、黄帝型神の性質が雷神に習合させられているように思う。 | ||
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2026年1月5日 (月) 23:28時点における版
中国南部の少数民族では、雷神は雄鶏の姿をしている、と考えられている。彼の役割は、
- 魔王と対峙する(魔除け)
- 人類に穀物をもたらす。
- 子宝を授ける。
などである。
鶏冠帽
中国南部の少数民族は、「鳳凰帽」「鶏冠帽」「花帽」などと呼ばれる装飾された帽子を持ち、若い女性などがお祭りなどで身につける。これは娘達を守護する意味もあるようである。
歴史
河姆渡文化に「太陽を抱きかかえる2話の雄鶏の図」があるので、オンドリ雷神の思想は、河姆渡文化の時代には存在していたといえる。そして雷神は二柱いる。現在語られている中国の炎黄神話、印欧語族の神話、インドネシア・ヴェマーレ族の神話、台湾原住民の神話を総合的に判断して、この2話の「雷鳥」は次のように考える。
- 原オアイム(水雷神、中国の黄帝・槃瓠など、印欧語でヴァルナ。「オアイム」とは台湾の射月を行う鳥神、黄帝型神)
- 原トゥワレ(火雷神、中国の炎帝・祝融など、印欧語でゼウス、ユーピテルなど。「トゥワレ」とはヴェマーレ族の太陽神、祝融型神)
後者は、特に印欧語族で著名な「雷神」あるいは「太陽神」である。ヴェマーレ族でも有力な「父神」とされるので、紀元前5000年頃の中国南部でも同様に考えられていたと考える。後者が発展したものが、現在語られている「オンドリ雷神」の一番の原型であろう。
原オアイムについて
前者の原オアイムは、「天空の水神」から、中国以外の印欧語族の中では「天空神」、「水神」に分かれ、次第に地位が低下した傾向がある。台湾、ヴェマーレ族などのオーストロネシア語族の中では「神」とされる要素は強くないように感じる。また、中国では「現実の地面に存在する水」の神としての性質が次第に強まり、中国の河伯、日本の河童のような水神に変化したと考える。また共工や人身御供を求める悪い河伯(悪竜)にも転じ、悪神とされてしまった群もあると思う。
ミャオ族の英雄アペ・コペンは、英雄であるけれども、同族食いを肯定する神としても描かれ、オアイムが悪神へと変化させられる過程の神として重要と考える。ただし、その英雄性も長く残され、主に印欧語族の風神へと変化していると思われる。
それ以外に原オアイムは、「射月」の性質より、「神」ではなく羿のような人間の射日英雄に変化した群もあるのだろう。
また、台湾の伝承では、「オアイム」とは人が死後変化した鳥であるとされている。誰か生きている人が亡くなったら、鳥あるいは鳥神、雷神に変化する、という思想が非常に古い時代からあったことが分かる。この思想の流れをくんだのが、日本の雷神管公などの怨霊とされる雷神なのだろう。
母系社会なので、原オアイムと原トゥワレが支えている太陽が「太陽女神」であると考える。人間になぞらえれば、家長、族長、村長といった立場だろう。
原トゥワレについて
雷神以外の姿・月神
オンドリ雷神である原トゥワレには、同起源の神が他にいたと考える。「猪紋黒陶鉢」のイノシシ神である。このイノシシ神は、体に植物の紋様が描かれ、植物神でもあることが示唆される。当人の「目」の他に体に「目」がついており、誰かがその背後に隠れているような、あるいはイノシシ神が誰かの代理人でもあるような、そんな印象を受ける。
他に太陽神と二柱の雷神がいるので、このイノシシ神はそれ以外の神と考える。植物神でもあることから、これは
- 世界樹
- 月神
のいずれか、あるいは両方を兼ねたものと考える。桂男の伝承のように「月に大きな木が生えていて、それを切り続けなければならない。(さもなければ月の光が人類から失われてしまうかもしれない。)」という思想が古代中国にはあった。
このイノシシ神が「月神」であって、原オアイムが黄帝であるならば、月のイノシシ神と黄帝(原オアイム)は対立する存在である。これは後に「獣身」であったと伝わる蚩尤対黄帝の原型ともいえるのではないだろうか。原オアイムは黄帝の前身で、天界と地上にまたがる建木(イノシシ神)と戦い、これを野放しに伸びないように管理する神だったと考える。
しかし、黄帝は炎帝とも対立するので、蚩尤(イノシシ神)は炎帝でもあった、と考える。ただ、炎帝を「良し」と考える人々も多かったので、炎帝と蚩尤はかなり早い段階で2つに分けられてしまい、「天の火雷神」として「正しい神」とされる群と、蚩尤のように「悪神」あるいは「月神(植物神)」として退治したり、管理したりしなければならない神の群に分けられてしまったのではないだろうか。河姆渡文化の段階で、炎帝と蚩尤はすでにほぼ「別の存在」とされていたのだろう。だから、後の中国神話で、蚩尤は黄帝と対立するけれども、「対蚩尤」という点では炎帝は「良き神」であって、黄帝の側につく。炎帝・蚩尤とも黄帝と対立する神で、「火」という性質を持つことから起源が同じことが想像されるのに、なぜ一方の炎帝が黄帝の味方で、もう一方の蚩尤が黄帝の敵にされてしまうのかといえば、炎帝を「良し」と考える人々が悪神・蚩尤を炎帝から切り離して、炎帝を黄帝の味方側にしてしまったからだと考える。その作業は河姆渡文化の時代にすでに完了していたのだ。
余談だが蚩尤(Chīyóu)の名は、インドの月神チャンドラ(Candra)に類似するように思う。
月神の目
イノシシ神は体内にも「目」を持っている。これは「何の目」なのだろうか、ということになる。結論から述べると、これは「雷神の目」である。この場合の「雷神」とは、イノシシ神と元は同じであったと思われる火雷神である「原トゥワレ」である。その理由は、次の時代に来る「良渚文化」にそのような図像があるから、と述べるしかない。それは別の場で詳細に述べたい。
おそらく、イノシシ神は人間の世界に直接関わる神でもあって、水雷神である黄帝(原オアイム)はイノシシ神を管理してその能力を抑制し、火雷神である炎帝(原トゥワレ)はイノシシ神を動かす原動力となる。黄帝と炎帝が協力してイノシシ神の能力を調整したとき、イノシシ神は一番安定して人類の役に立つ、と考えられていたのではないだろうか。そのようにして、イノシシ神が黄帝かつ炎帝に関するものとされ、彼らの下位で動く存在とされたものが、河姆渡文化なのだと考える。
このイノシシ神の一形態は炎黄いずれかの「息子」とされ、更に時代が下るとバロン・ダロン神話のダロンとして、洪水神話に組み込まれるようになっていったと考える。すなわち、このイノシシ神は、少なくとも中国神話の蚩尤と伏羲の原型といえるのではないだろうか。
バロン・ダロン神話の雷神
バロン・ダロン神話の雷神は
- 同族食い(人肉食)を嫌う
- 近親結婚を嫌う
- 火雷神というには水を操って大洪水を起こしたり、水神としての性質を内包している
という特徴があり、2種類の2羽の雷神が並び立つ、というよりはこの2羽が習合してオールマイティーな能力を獲得しつつある雷神だと考える。すなわち、雷神は黄帝型神と祝融型神の混合型である。
河姆渡文化では「世界樹」はイノシシ神で表されると考える。バロン・ダロン神話では、世界樹の名前は「日月樹」という。イノシシ神が太陽神かつ月神の性質を持っていたことが示唆される。一方、河姆渡文化では、太陽はイノシシ神とは別にある。イノシシ神は、古くは月神のみの性質だったのが、時代が下ってダロンが「洪水神話」に付け加えられたように、後に「太陽神」としての性質が付け加えられたのではないだろうか。
そしてこの日月樹は雷神の力によって枯れてしまう。河姆渡文化ではイノシシ神は雷神と一体的になって制御され、それを行き過ぎないように抑制しているのが黄帝型神としての役割のように感じられるが、バロン・ダロン神話では、雷神が樹木を抑制し、場合によっては枯らしてしまう存在として描かれる。その点でも、黄帝型神の性質が雷神に習合させられているように思う。
関連項目
- アペ・コペン:ミャオ族の「原オアイム」に相当する英雄神。