「総論・再現神話」の版間の差分
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=== 2 === | === 2 === | ||
| − | 2.彼らの家臣に'''姫'''という青年がいた。優れた青年であり、姜女王の多くの敵と戦ってこれを滅ぼした。彼は「犬族」の出身だった。蛙と馬も彼のトーテムだった。彼自身は身分の低い'''父系'''の部族出身だった。ある時代、女王の補佐官だった兄弟に、'''饕餮'''という'''傲慢で怠け者''' | + | 2.彼らの家臣に'''姫'''という青年がいた。優れた青年であり、姜女王の多くの敵と戦ってこれを滅ぼした。彼は「犬族」の出身だった。蛙と馬も彼のトーテムだった。彼自身は身分の低い'''父系'''の部族出身だった。ある時代、女王の補佐官だった兄弟に、'''饕餮'''という'''傲慢で怠け者'''な人間が現れ、権威をかさに来て横暴な政治を行い人々を苦しめた。特に「女王と神々のため」と称し、神の数を増やして、祭祀のために多くの人身御供や税金を要求した。姫青年はこれを憂い、女王に補佐官の政治を改めて貰いたい、と願った。多くの人々が青年に賛成し、彼と一緒に饕餮と戦うことにした。 |
=== 3 === | === 3 === | ||
| − | + | 3.女王は民の声を聞き、政治を改めるべきだと考えたが、饕餮は聞き入れなかった。女王は密かに兄弟たちの元から逃げ出し、反乱軍の元にはせ参じた。自分の気持ちが民と共にあることを示すためである。女王が来てくれたことで、形勢は一気に逆転した。それまでは姫青年と民の方が女王と饕餮補佐官に逆らう「謀反人」だったのだが、今度は補佐官が女王に逆らう「謀反人」になったのだ。姫青年と民は勝利を収めた。饕餮補佐官は戦死した。 | |
女王は姫青年がとても好きになってしまったので、姫青年と結婚し夫婦になった。今までに前例のない他部族出身の'''正式な「夫」'''とされた。そして、以後は'''姜女王の兄弟と夫の両方が補佐官を務めることとなった'''。姫青年が補佐官となったことで、民の声は女王に届きやすくなり、政治はあらたまった。姫青年は女王の名において「'''これからは食人を禁ずる'''。かわりに、祭祀の際は動物を生け贄に捧げる。」と発布した。 | 女王は姫青年がとても好きになってしまったので、姫青年と結婚し夫婦になった。今までに前例のない他部族出身の'''正式な「夫」'''とされた。そして、以後は'''姜女王の兄弟と夫の両方が補佐官を務めることとなった'''。姫青年が補佐官となったことで、民の声は女王に届きやすくなり、政治はあらたまった。姫青年は女王の名において「'''これからは食人を禁ずる'''。かわりに、祭祀の際は動物を生け贄に捧げる。」と発布した。 | ||
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5.女王と姫補佐官との間には何人か子が生まれたが、中に一人の賢い男子がいた。姓は母系の一族なので、当然「'''姜'''」になる。この子は、見かけは父親の姫補佐官に良く似ていたが、性格は亡くなった饕餮補佐官に良く似ていた。人々は、「姜王子はまるで饕餮補佐官の'''生まれ変わり'''だ。」と噂した。 | 5.女王と姫補佐官との間には何人か子が生まれたが、中に一人の賢い男子がいた。姓は母系の一族なので、当然「'''姜'''」になる。この子は、見かけは父親の姫補佐官に良く似ていたが、性格は亡くなった饕餮補佐官に良く似ていた。人々は、「姜王子はまるで饕餮補佐官の'''生まれ変わり'''だ。」と噂した。 | ||
| − | + | 姜王子は現状に不満を持っていた。彼は母方の一族と親しかったので、内心叔父の饕餮を殺した両親を悪者だと思っていた。母親は兄弟を裏切った悪者だし、父親は謀反を起こした悪者なのだ。 | |
| − | + | そして現実的に、どんなに賢くても女王となるのは女性なので、彼は頂点に立つことができない。姉妹の女王の補佐官になったとしても、今度は誰かよその家の者が夫としてやってきて共に補佐官となるだろうから、その男と権力を分け合わなければいけない。そちらの方が女王の信頼を得れば、姜王子の方が隅に追いやられてしまうことだってあり得る。しかも姫補佐官は父系の部族の出だったので、'''兄妹同士の結婚は「近親の結婚で好ましくない」'''と考えていた。姫補佐官は兄妹婚を肯定する姜一族内のしきたりまで変えようとはしなかったが、母方の一族のしきたりに従えば姜王子は父補佐官の考えに逆らう親不幸者になってしまう。だから兄妹婚を実行して、女王となる妹の兄であるというだけでなく、夫も兼ねたい、とは言いだしにくかった。「理不尽だ」と姜王子は考えた。兄弟姉妹たちの誰よりも自分は賢いのだし、男が頂点になって「男王」になって何が悪いのだろうか。父親の出身部族では、男が家長になることが当たり前なのに。 | |
| + | |||
| + | 王になった自分が自ら政治を行えば、よその家の男から夫としてやってきた男に権力を奪われる心配はない。補佐官がいなければ政治を行えない女王制の方が無駄だ。神だって「男」ということに変えて、男の王が祭祀を行えばいい。こう考える姜王子を母方の叔父たちが密かに支援した。叔父たちは自分たちを隅に追いやった姉妹の姜女王のことも、夫の姫補佐官のことも恨んでいたのだ。 | ||
=== 6 === | === 6 === | ||
| − | + | 6.ある時、河が大反乱を起こして洪水が起きた。気の毒な天災であって、神に対して祭祀を行っても効き目はなかった。姜王子にとっては、これは「両親が悪者のせいで天災が起きた」と理由をつけてクーデターを起こす好機だった。この頃、王子は母方の叔父達だけでなく、次の女王となる予定の妹、すなわち皇太女も味方に引き込んでいた。姜王子は妹を口説き「両親が生きているうちは父親が反対するから兄妹である二人は結婚できない。だから両親を殺そう。」とそそのかした。妹は恋にのぼせて兄にだまされ、両親を殺すことに同意した。自分が即位すれば兄と正式に結婚できると思ったのだ。 | |
| + | |||
| + | 姜王子と皇太女は父親であった姫補佐官に酒を飲ませて殺し、母親を捕らえて「天が禍を起こすのはお前の政治が悪いからだ。お前が生け贄になれ。お前は火と太陽の女神なのだから、罪がなければ焼け死ぬことはないだろう。」と言って、火をつけ焼き殺した。姜女王は麻薬を飲まされて意識が朦朧としていたので抵抗できなかったのだ。 | ||
| + | |||
| + | 両親を殺して皇太女は即位し「先代の政治が悪かったので、天が怒り、祭祀を行っても許されないような大洪水が起きた。その怒りを鎮めるために先女王は責任を取って人身御供になった。」と述べた。人身御供の儀式では、神々をもてなすための宴席をもうけ、神々と共に生贄の肉を食べるということを行う。二人は両親を殺して行った祭祀の宴席で、伝統の通りに親を細かく切り刻んで焼いて食べた。食べなかった者たち、特に兄弟姉妹は殺された。亡くなった親を慕って、後々新女王と姜補佐官に逆らうようになったら困るからだ。 | ||
| + | |||
| + | そして、以後、中国では「よその家から来た婿というものはよくよく信用せずに、こき使えば良いもの」とされた。そうすれば今後姫青年のような優れた男が外から娘達の「婿」としてやってきても、家の中のことに口を出される心配がなくなる。 | ||
| − | + | また、この件を記念して忘れないために「'''寡婦は夫が死んだら焼き殺されねばならない。'''」と定められた。この思想は中国国内というよりは中国の外で広まり、印欧語族の'''寡婦殉死'''の制度に繋がった。また「'''年取った親は殺さねばならない。'''」とも定められたが、これはさすがに反対が多くて'''すぐに廃れた'''。「'''王の政治がうまくいかない場合は神の加護が得られないためで、王を殺さねばならない'''」、とも言ったが、当然自分の首を絞めかねない定めなので、中国国内ではほとんど適用されず、採用させられたのはやはり印欧語族だった。目下の者達が逆らわないように、姜王子と新女王は彼らの仲間や指導者が目障りだと感じたときに何かと理由をつけて殺すことを正当化するための方便をどんどん作り出していった。そういう恐怖政治を行って彼らはとても恐れられた。こういう恐ろしい政治は彼らの権力を誇示するためでもある。 | |
| − | + | 酒瓶の象徴である[[ヒョウタン]]が姜王子の印とされた。姜王子と新女王の行為を暴挙とみなす者も多く、あちこちで反乱が起き国が混乱した。しかし、姜王子は勇敢な戦士でもあったので敵対するものと激しく戦い、冷酷に反対勢力を粛正して権力を維持した。王子は賢い人ではあったので、騒動の根本的な原因となった洪水に対する治水事業にはそこそこ成果を上げた。 | |
=== 7 === | === 7 === | ||
| − | + | 7.姜王子と新女王は正式に結婚して夫婦となった。王子は新女王の筆頭補佐官にもなった。新女王は親の後継者として大切に育てられてきたので、甘やかされてわがままなところが少々あった。気に入らない者を軽い気持ちで罰したり、お気に入りのものを次々と変えたりしたのだ。母系の社会なので、原則として妻に夫は何人いても良い。庶民であれば、女性は正式な夫を持たずに気に入った男をその都度自分の家に通わせるだけで良かった。「通い婚」といえば聞こえが良いが、「結婚」という形式も持たず男女がその時の心のままに気に入った相手と男女の仲になるのが母系社会の習わしである。子供が生まれれば、子供は「母親の子」ではあるのだが原則として「父親」というものはまだ存在しない。 | |
| + | |||
| + | そのような時代なので、姜王子の権力には限界があった。彼が新女王の一番のお気に入りであるうちは彼が夫兼臣下の筆頭だが、女王が他にも好きになった男性ができて、そちらを筆頭にしたいと考えれば、姜王子はあっという間に二番目、三番目の家臣に格下げされれしまう。それは王子の母親が辿った道でもある。母女王は兄弟であり夫でもあった饕餮よりも一族の外からやってきた姫補佐官を一番愛し信頼していた。 | ||
| + | |||
| + | 新政府の権力の確立に奔走し、治水事業に心血を注いだ姜王子は、自分が築いた地位を誰かに横取りされるかもしれない、という考えに耐えられなかった。自らが築いた地位をもっと括弧たるものにし、自分が安定して権力を維持したいと王子は考えた。わがままで気まぐれな女王を擁していてはそれは叶わないかもしれない。だから、王子は新女王を殺して、自分が「王」となることに決めた。そうすれば誰も自分を脅かすことはできないのだ。欲深い王子の心の中に、妹でもあり妻でもあった新女王に対する慈悲の気持ちはなかった。「あんなやつ、ちょっと気に入らないから殺してしまえばいい。」と、わずかでもそう思ったら気軽に実行してしまう。姜王子はそういう男だったのだ。 | ||
| + | |||
| + | そこで新女王がお産で体が弱って自由に動き回れなくなった隙を狙って「両親を生け贄にした新女王は悪者だ。」と言いがかりをつけて、新女王を捕らえた。表向きには姜王子は親殺しではない。新女王のわがままに振り回されて、彼はやむなく両親を殺した、ということにした。本当は彼が新女王をそそのかして両親を殺させたのに。王子は動くのもつらい体で逃げ回る新女王を捕らえ「両親を殺した罪を償え。親の無念の怒りを自らが生贄となって鎮めろ。」と言って裸にして木に吊して殺した。死体は切り刻まれて湖に投げ込まれた。 | ||
| − | + | そして、家というものは「先祖を祀る権利は男が継ぐものだ。女は家長になっても祭祀を行ってはならない。」と定められた。当時の「王」というのは現実的な政治よりも、神々や亡くなった先祖と霊的に交流することで、人々の役に立つことが大切だとされてきた。神々と対話できるからこそ、人々に敬ってもらえるし、大切にしてもらえる。俗な政治の権力家は権力はあっても、失策があれば「政治が悪いのはおまえのせい。」と言って責められるし、最悪の場合両親や妻に姜王子がしたように「お前が人身御供になって責任をとれ。」と言われてしまう。祭祀者なら、何かあれば「神様があれこれな理由で怒っている。」と人々に言えば良いだけだ。そうやって社会的に妻の地位によらない自分だけの確固たる地位を築けば、妻が死のうが生きようが、自分は自分の権力を維持できるし、財産も持つことができる。 | |
| − | + | そうして、姜王子は祭祀者となった。新女王との間に生まれた子供が女の子だったので、赤ん坊を新女王に立て、姜王子は摂政にもなって、祭祀と政治の両方の権力を握った。王子は亡くなった叔父の饕餮補佐官の地位を高めるため、饕餮補佐官を神々の筆頭に据え、自分はその代理人だと名乗った。死した饕餮補佐官の意向を地上で実現するのが代理人たる自分の役目なのである。政治と天候の乱れはよそからやってきた姫補佐官を慣例を破って重用し、天の神々を怒らせたからだ。饕餮補佐官は神々に従ったのだから、死んで天の神の筆頭になった、と姜王子はそう述べた。人々は王子の苛烈な粛正が怖くて、王子が何を決めて、どう言おうと逆らうことができなかった。 | |
| − | + | 姜王子は「祭祀を古い形式に戻す」と述べて食人を復活させた。いやだ、なんて言ったら姜王子に殺されてしまう、と誰もが知っていた。姜王子は'''酒と麻薬'''を使い、'''姉妹を操って'''親を殺し、権力を手に入れた恐ろしい男だ、とみな理解していたのだ。 | |
| + | |||
| + | 姜王子は粛正されずに生き残っていた妹王女と結婚して、彼女に赤ん坊女王の養育をさせた。他にも姜王子に子供ができると、妹王女はその養育も力を注いだ。妹王女は賢く、強欲で残虐かつ狡猾な兄を嫌っていたが、人々の上に立つ者として政治的な混乱を鎮めなければならないので、表向きは一端兄に協力したのだ。それが自分の命を守るためでもあった。子供達は大切に育てたが、結局妹王女は隙をついて姜王子を殺し、両親と姉の仇を討った。そして祭祀者と摂政の位にはついたが、自らは女王とならず、老いると育てた赤ん坊女王に全ての権利を譲って引退した。人々は「妹王女こそが親の跡取りだったら良かったのに。」と噂した。 | ||
=== 8 === | === 8 === | ||
| − | + | 8.時代が下ると、子孫達は増え、いろんな考えの人が現れるようになった。姜王子が男性でも祭祀者や摂政になる、という先例を作ったのだから、男性が祭祀者や摂政になって個人的な権力を持つようになっても良い、と考える者。伝統的な太陽女神信仰と女王制度を重要視して、財産は女性のもの、と考える者。その間をとって、祭祀者は女性でも男性でも良いし、女性も男性も財産を持つことが許される、と考える者などである。彼らは自らの思想に従って神々を信仰した。姜王子を敬う人達は、饕餮補佐官と姜王子を最高神と考えたし、太陽女神信仰を重要と思う人は太陽女神を最高神としたが、「父」と「母」の真の後継者となる「太陽女神」は夫に騙され殺された女王なのか、親の敵を討った妹王女なのかで意見が分かれた。女性も男性も同じように権利を持つべきと思う者は饕餮補佐官と太陽女神の両方と神として祀った。彼らの真の「父」ともいえる姫補佐官を神格化する者も現れた。 | |
| + | |||
| + | こうして、人々が好き勝手に自分の好きな先祖を神格化して祀るようになったので、どうしても社会的な統率力やまとまりに欠けるようになった。どの神様が一番偉いのかで人々が争うようにもなった。それではまずい、ということで大きな宗教的思想が二つ起こった。 | ||
| − | + | 一つは太陽女神を頂点として、姫派と饕餮派は仲良く並び立ち女神、すなわち地上における女王を支えよう、という思想である。彼らは生前は互いに争い戦ったかもしれない。でももう大分時代は下ったのだし、自分たちは二人のどちらの子孫でもあるといえる。どちらが強く正当だったのかを争うのではなく、どちらの派閥も協力して平等に仲良く太陽女神を支えるべきである。一族は死んだ先祖は天に昇って鳥神になり太陽女神を支える、と考えていた。だから、姫補佐官は一族の者ではないのだけれども、一族と同じように天に昇って鳥になったと考えた。 | |
| − | + | もう少し保守的な人達は、身分の低い姫補佐官が天に昇って鳥神になるのはあり得ないことだと考えていた。でも、尊敬すべき先祖ではある。だから、彼が水に投げ込まれたことを記念して、補佐官を水神として祀ることにした。水神となって水害から子孫を守って欲しい、と願ったのだ。 | |
| − | |||
| − | + | 二つ目の思想は、かたくなに姜王子を信奉し、男性が女性と平等では飽き足らない、男性の方が女性よりも優位に立つべき、と考えるものだった。女なんかに財産と権力を渡してはならない。彼らにとっての神は饕餮補佐官と姜王子のみである。太陽神も女神から姜王子そのものに変更し、姫補佐官は水の中の悪神とされた。悪霊と化した姫補佐官を鎮めるだけの力ある太陽神は姜王子のみ、ともされた。こうして、饕餮補佐官と姜王子が悪い水神を退治する話が作られた。それに合わせて姫補佐官の妻であった女王も、悪い水神の妻の悪い女神にされてしまった。こうして彼らは女神を信仰しなくなったのだ。 | |
| − | + | 二つの大きな神話群は各地に散っていき、後の時代の神話や宗教思想に大きな影響を与えた。太陽女神信仰と男性の太陽神信仰の中庸的・折衷的な神話も生まれた。だけど、人間の歴史全体としては男性の太陽神信仰が強い勢力となり、人間社会は父系化していった。 | |
| − | + | === 9 === | |
| + | 9.父兄の黎明期の文化は[[良渚文化]]である。[[良渚文化]]では、雷神と獣面紋が主たる神として祀られていた。いずれも男性形の神である。良渚文化の早期は副葬品から女性が優位だったと考えられている。また「[[共工]]」という神話的概念が生まれていたようだ。 | ||
| + | 「[[共工]]」という概念があったとすれば、それと対立する[[祝融]]、[[禹]]といった概念もあったと想像する。女性が優位で母系的であった頃の良渚文化は、女性の祭祀者兼首長が、雷神、獣面神、共工をある程度並べて祀っていたと思われる。良渚文化では玉蝉がみられ、このセミが女性首長自身の太陽女神性を表彰していたと考える。セミは神話的に「生と死の再生の象徴」と思われるので、良渚の太陽女神は「生と死の循環を行う女神」と考えられたのだろう。夫に騙され殺された太陽女王がその原型と考える。首長が太陽女神の代理人である女性であっても、男性の神々を主に祀っていたのなら、神々と信仰の世界では「父系化」がすでに始まり、進んでいた状態といえはしないだろうか。 | ||
| − | + | 共工は「良き神」として祀られていたとしても、現在伝わる中国神話から察するに、蛇神だったり水神だったりすると想像する。いわゆる「[[黄帝型神]]」である。[[祝融]]は天から火を降らせた火神だ、という神話がある。日本では古来より「火雷神」として火の神と雷の神が一体であるという概念がある。天から火を降らせる、という性質からして祝融には雷で火事を起こす雷神としての性質が含まれてもおかしくはない。鳥雷神、特に雄鶏雷神は古代の長江流域に見られる思想であり、[[良渚文化]]よりも古い[[河姆渡文化]]からは二羽の雄鶏が太陽を支える図が出土している。よって、良渚文化で信仰されていたのは | |
| + | * [[祝融]]に相当する鳥雷神 | ||
| + | * [[禹]]に相当する獣面神 | ||
| + | * [[共工]]に相当する水神 | ||
| + | だったのではないだろうか。母系が優位の時代には彼らは雷神を頂点としながらもある程度は並び立っていた。[[禹]]は異形の獣神として現され、月神や樹木神だった可能性はある。 | ||
| − | + | 時代が下り父系が優位となると、まず女性首長が担っていた「太陽女神」としての地位は男性首長が「太陽神」となるように変更されたことと思う。彼らの開祖的な先祖とみなされる[[禹]]は初代の王であり、単なる獣神あるいは月神・樹木神から、太陽神へと変更されたのではないか。[[禹]]の地位が単独で上昇するにつれて、水神としての[[共工]]の地位は低下し、後に中国神話で悪神とされるように、「悪い神」へと変更されてしまったと考える。[[禹]]を強き神とするためのスケープゴートである。共同体の中で「[[共工]]」を神として指示する人々が女神信仰も指示していたので、彼らの地位が低下するにつれ、太陽女神と[[共工]]の地位が変更され母系優位の文化も衰退してしまったと思われる。そして財産権・相続権を有するのは太陽神・[[禹]]に代表される「男性」だとして、父系の文化は竜山文化へと確立してゆく。 | |
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| − | |||
| − | + | だから、[[禹]]の起源は黄河文明ではなく長江文明であって、治めた川は黄河ではなくて、本当は長江のことだったのではないか、と考える。良渚文化の玉器に複数の獣面が掘られたものがあるが、それは「太陽が複数あった」という[[羿]]神話を彷彿とさせる感がある。 | |
=== 10 === | === 10 === | ||
| − | + | 10.一方、良渚文化に先立つ[[河姆渡文化]]では、二羽の雄鶏雷神が太陽を支える図が象徴である。母系社会であるので、太陽は女神で、雄鶏雷神の一羽がかつての「[[饕餮]]補佐官」、もう一羽が「姫補佐官」なのであろう。要するにこの二羽の雄鶏雷神が、後の中国神話の[[炎帝]]と[[黄帝]]に相当すると考える。両者が神として並び立つ姿が理想と考える人達は二人の先祖を対立したままに放っておかなかったのだ。この場合、同じ性質を持つ雷神が二羽並び立つのではなく、それぞれ天候を左右する性質を持つ神として、炎帝は雷神、黄帝は風神とみなされるようになったと考える。インド神話のインドラとヴァーユ、北欧神話のトールとオーディンのように神々の頂点に天候に関する二神が並び立つ神話があるからだ。しかし、この河姆渡式の神話でも強力な太陽女神は後世に残らなかった。(ちなみに、北欧神話の太陽は神としての地位は高くないが女神である。)その代わりに残ったのが、女神達の頂点に君臨し死ぬことのない[[西王母]]だと考える。彼女は死ぬことのない女神であって、親の敵を討った妹王女がその原点と考える。中東の太陽女神シャパシュ、ヒッタイト神話の太陽女神ヘバトは太陽女神であり、死なない女神である。世界的に見て、太陽女神が残されている神話は少数派なのだが、残されている場合には「死なない女神」として残っている場合が多いと感じる。 | |
| + | |||
| + | 何らかの理由で「死と再生」を行う権高い女神は世界の神話の中に多く登場するが、メソポタミア神話のイナンナのように、元は太陽女神であったと思われる女神でも、太陽女神としての地位を失ってしまっているものが多いようだ。そもそも、「死と再生」を行う太陽女神と、「死なない太陽女神」では原型となった人物が異なるため、「異なる太陽女神」として考えるべきなのだと考える。 | ||
=== 11 === | === 11 === | ||
2025年12月19日 (金) 17:44時点における最新版
本来あったと思われる伝承のプロット[編集]
1[編集]
1.昔、姜氏という「人食い」の氏族がいた。彼らは母系の氏族で、家長は女性、族長も女性だった。その頃は全ての氏族が母系であって、人々に「父」というものは存在しなかった。家長は家族の娘たちをまとめ、家族の子を育て、それを母方の叔父や兄弟たちが守り支えていた。彼らは太陽の神、火の神を祀り、虎と牛を姉妹だと考えていた。族長は「太陽女神の化身」と考えられていた。族長は神々を祀り対話するシャーマンでもある。太陽女神は人々に穀物や野菜の種をもたらす存在と考えられていたので、種をまく時期には人身御供を焼き殺して、生け贄の肉を細切れにして種とし、一部を植え、一部を豊穣のために神と食す、という祭祀を行っていた。神が怒って天災をもたらす時などにも怒りを静めるために人身御供を捧げた。狩の獲物も、農作物も神が授けてくれたものなのだから、お礼に人間の中からもお返しをあげなくてはいけない、と考えたのだ。族長の一族は神と民とをつなぐ人々でもあったので、神そのものとも見なされていた。だから彼らも神と同様人身御供の肉を食べた。
女王の兄弟たちは、女王の代理の補佐官として表向きの政治を取り仕切り人々を支配した。母系社会では女性は家の財産を守るために兄弟と結婚することが許されていたので、補佐官は女王の「夫」でもあった。女王は一族以外の男を恋人に持つことができたが、その場合相手の男は一夜限りの相手の場合はもちろんのこと、長く女王と連れ添った場合でも女王の家庭内のことに口を出すことは許されなかった。女王から生まれてきた子供達は誰が遺伝子上の父親であろうと、女王の正式でかつ一番の「夫」である補佐官の子供とされた。
2[編集]
2.彼らの家臣に姫という青年がいた。優れた青年であり、姜女王の多くの敵と戦ってこれを滅ぼした。彼は「犬族」の出身だった。蛙と馬も彼のトーテムだった。彼自身は身分の低い父系の部族出身だった。ある時代、女王の補佐官だった兄弟に、饕餮という傲慢で怠け者な人間が現れ、権威をかさに来て横暴な政治を行い人々を苦しめた。特に「女王と神々のため」と称し、神の数を増やして、祭祀のために多くの人身御供や税金を要求した。姫青年はこれを憂い、女王に補佐官の政治を改めて貰いたい、と願った。多くの人々が青年に賛成し、彼と一緒に饕餮と戦うことにした。
3[編集]
3.女王は民の声を聞き、政治を改めるべきだと考えたが、饕餮は聞き入れなかった。女王は密かに兄弟たちの元から逃げ出し、反乱軍の元にはせ参じた。自分の気持ちが民と共にあることを示すためである。女王が来てくれたことで、形勢は一気に逆転した。それまでは姫青年と民の方が女王と饕餮補佐官に逆らう「謀反人」だったのだが、今度は補佐官が女王に逆らう「謀反人」になったのだ。姫青年と民は勝利を収めた。饕餮補佐官は戦死した。
女王は姫青年がとても好きになってしまったので、姫青年と結婚し夫婦になった。今までに前例のない他部族出身の正式な「夫」とされた。そして、以後は姜女王の兄弟と夫の両方が補佐官を務めることとなった。姫青年が補佐官となったことで、民の声は女王に届きやすくなり、政治はあらたまった。姫青年は女王の名において「これからは食人を禁ずる。かわりに、祭祀の際は動物を生け贄に捧げる。」と発布した。
4[編集]
4.戦いで死なずに生き残った女王の兄弟たちは、持てる権力が低下したので、これを快く思っていなかった。人身御供を立てることは、政敵をたやすく死に追いやるための方便も兼ねているから、その手段を奪われたことも悔しい。しかし、立場が弱くなり、女王の命令で出された発布に異議を唱えることはできない。
5[編集]
5.女王と姫補佐官との間には何人か子が生まれたが、中に一人の賢い男子がいた。姓は母系の一族なので、当然「姜」になる。この子は、見かけは父親の姫補佐官に良く似ていたが、性格は亡くなった饕餮補佐官に良く似ていた。人々は、「姜王子はまるで饕餮補佐官の生まれ変わりだ。」と噂した。
姜王子は現状に不満を持っていた。彼は母方の一族と親しかったので、内心叔父の饕餮を殺した両親を悪者だと思っていた。母親は兄弟を裏切った悪者だし、父親は謀反を起こした悪者なのだ。
そして現実的に、どんなに賢くても女王となるのは女性なので、彼は頂点に立つことができない。姉妹の女王の補佐官になったとしても、今度は誰かよその家の者が夫としてやってきて共に補佐官となるだろうから、その男と権力を分け合わなければいけない。そちらの方が女王の信頼を得れば、姜王子の方が隅に追いやられてしまうことだってあり得る。しかも姫補佐官は父系の部族の出だったので、兄妹同士の結婚は「近親の結婚で好ましくない」と考えていた。姫補佐官は兄妹婚を肯定する姜一族内のしきたりまで変えようとはしなかったが、母方の一族のしきたりに従えば姜王子は父補佐官の考えに逆らう親不幸者になってしまう。だから兄妹婚を実行して、女王となる妹の兄であるというだけでなく、夫も兼ねたい、とは言いだしにくかった。「理不尽だ」と姜王子は考えた。兄弟姉妹たちの誰よりも自分は賢いのだし、男が頂点になって「男王」になって何が悪いのだろうか。父親の出身部族では、男が家長になることが当たり前なのに。
王になった自分が自ら政治を行えば、よその家の男から夫としてやってきた男に権力を奪われる心配はない。補佐官がいなければ政治を行えない女王制の方が無駄だ。神だって「男」ということに変えて、男の王が祭祀を行えばいい。こう考える姜王子を母方の叔父たちが密かに支援した。叔父たちは自分たちを隅に追いやった姉妹の姜女王のことも、夫の姫補佐官のことも恨んでいたのだ。
6[編集]
6.ある時、河が大反乱を起こして洪水が起きた。気の毒な天災であって、神に対して祭祀を行っても効き目はなかった。姜王子にとっては、これは「両親が悪者のせいで天災が起きた」と理由をつけてクーデターを起こす好機だった。この頃、王子は母方の叔父達だけでなく、次の女王となる予定の妹、すなわち皇太女も味方に引き込んでいた。姜王子は妹を口説き「両親が生きているうちは父親が反対するから兄妹である二人は結婚できない。だから両親を殺そう。」とそそのかした。妹は恋にのぼせて兄にだまされ、両親を殺すことに同意した。自分が即位すれば兄と正式に結婚できると思ったのだ。
姜王子と皇太女は父親であった姫補佐官に酒を飲ませて殺し、母親を捕らえて「天が禍を起こすのはお前の政治が悪いからだ。お前が生け贄になれ。お前は火と太陽の女神なのだから、罪がなければ焼け死ぬことはないだろう。」と言って、火をつけ焼き殺した。姜女王は麻薬を飲まされて意識が朦朧としていたので抵抗できなかったのだ。
両親を殺して皇太女は即位し「先代の政治が悪かったので、天が怒り、祭祀を行っても許されないような大洪水が起きた。その怒りを鎮めるために先女王は責任を取って人身御供になった。」と述べた。人身御供の儀式では、神々をもてなすための宴席をもうけ、神々と共に生贄の肉を食べるということを行う。二人は両親を殺して行った祭祀の宴席で、伝統の通りに親を細かく切り刻んで焼いて食べた。食べなかった者たち、特に兄弟姉妹は殺された。亡くなった親を慕って、後々新女王と姜補佐官に逆らうようになったら困るからだ。
そして、以後、中国では「よその家から来た婿というものはよくよく信用せずに、こき使えば良いもの」とされた。そうすれば今後姫青年のような優れた男が外から娘達の「婿」としてやってきても、家の中のことに口を出される心配がなくなる。
また、この件を記念して忘れないために「寡婦は夫が死んだら焼き殺されねばならない。」と定められた。この思想は中国国内というよりは中国の外で広まり、印欧語族の寡婦殉死の制度に繋がった。また「年取った親は殺さねばならない。」とも定められたが、これはさすがに反対が多くてすぐに廃れた。「王の政治がうまくいかない場合は神の加護が得られないためで、王を殺さねばならない」、とも言ったが、当然自分の首を絞めかねない定めなので、中国国内ではほとんど適用されず、採用させられたのはやはり印欧語族だった。目下の者達が逆らわないように、姜王子と新女王は彼らの仲間や指導者が目障りだと感じたときに何かと理由をつけて殺すことを正当化するための方便をどんどん作り出していった。そういう恐怖政治を行って彼らはとても恐れられた。こういう恐ろしい政治は彼らの権力を誇示するためでもある。
酒瓶の象徴であるヒョウタンが姜王子の印とされた。姜王子と新女王の行為を暴挙とみなす者も多く、あちこちで反乱が起き国が混乱した。しかし、姜王子は勇敢な戦士でもあったので敵対するものと激しく戦い、冷酷に反対勢力を粛正して権力を維持した。王子は賢い人ではあったので、騒動の根本的な原因となった洪水に対する治水事業にはそこそこ成果を上げた。
7[編集]
7.姜王子と新女王は正式に結婚して夫婦となった。王子は新女王の筆頭補佐官にもなった。新女王は親の後継者として大切に育てられてきたので、甘やかされてわがままなところが少々あった。気に入らない者を軽い気持ちで罰したり、お気に入りのものを次々と変えたりしたのだ。母系の社会なので、原則として妻に夫は何人いても良い。庶民であれば、女性は正式な夫を持たずに気に入った男をその都度自分の家に通わせるだけで良かった。「通い婚」といえば聞こえが良いが、「結婚」という形式も持たず男女がその時の心のままに気に入った相手と男女の仲になるのが母系社会の習わしである。子供が生まれれば、子供は「母親の子」ではあるのだが原則として「父親」というものはまだ存在しない。
そのような時代なので、姜王子の権力には限界があった。彼が新女王の一番のお気に入りであるうちは彼が夫兼臣下の筆頭だが、女王が他にも好きになった男性ができて、そちらを筆頭にしたいと考えれば、姜王子はあっという間に二番目、三番目の家臣に格下げされれしまう。それは王子の母親が辿った道でもある。母女王は兄弟であり夫でもあった饕餮よりも一族の外からやってきた姫補佐官を一番愛し信頼していた。
新政府の権力の確立に奔走し、治水事業に心血を注いだ姜王子は、自分が築いた地位を誰かに横取りされるかもしれない、という考えに耐えられなかった。自らが築いた地位をもっと括弧たるものにし、自分が安定して権力を維持したいと王子は考えた。わがままで気まぐれな女王を擁していてはそれは叶わないかもしれない。だから、王子は新女王を殺して、自分が「王」となることに決めた。そうすれば誰も自分を脅かすことはできないのだ。欲深い王子の心の中に、妹でもあり妻でもあった新女王に対する慈悲の気持ちはなかった。「あんなやつ、ちょっと気に入らないから殺してしまえばいい。」と、わずかでもそう思ったら気軽に実行してしまう。姜王子はそういう男だったのだ。
そこで新女王がお産で体が弱って自由に動き回れなくなった隙を狙って「両親を生け贄にした新女王は悪者だ。」と言いがかりをつけて、新女王を捕らえた。表向きには姜王子は親殺しではない。新女王のわがままに振り回されて、彼はやむなく両親を殺した、ということにした。本当は彼が新女王をそそのかして両親を殺させたのに。王子は動くのもつらい体で逃げ回る新女王を捕らえ「両親を殺した罪を償え。親の無念の怒りを自らが生贄となって鎮めろ。」と言って裸にして木に吊して殺した。死体は切り刻まれて湖に投げ込まれた。
そして、家というものは「先祖を祀る権利は男が継ぐものだ。女は家長になっても祭祀を行ってはならない。」と定められた。当時の「王」というのは現実的な政治よりも、神々や亡くなった先祖と霊的に交流することで、人々の役に立つことが大切だとされてきた。神々と対話できるからこそ、人々に敬ってもらえるし、大切にしてもらえる。俗な政治の権力家は権力はあっても、失策があれば「政治が悪いのはおまえのせい。」と言って責められるし、最悪の場合両親や妻に姜王子がしたように「お前が人身御供になって責任をとれ。」と言われてしまう。祭祀者なら、何かあれば「神様があれこれな理由で怒っている。」と人々に言えば良いだけだ。そうやって社会的に妻の地位によらない自分だけの確固たる地位を築けば、妻が死のうが生きようが、自分は自分の権力を維持できるし、財産も持つことができる。
そうして、姜王子は祭祀者となった。新女王との間に生まれた子供が女の子だったので、赤ん坊を新女王に立て、姜王子は摂政にもなって、祭祀と政治の両方の権力を握った。王子は亡くなった叔父の饕餮補佐官の地位を高めるため、饕餮補佐官を神々の筆頭に据え、自分はその代理人だと名乗った。死した饕餮補佐官の意向を地上で実現するのが代理人たる自分の役目なのである。政治と天候の乱れはよそからやってきた姫補佐官を慣例を破って重用し、天の神々を怒らせたからだ。饕餮補佐官は神々に従ったのだから、死んで天の神の筆頭になった、と姜王子はそう述べた。人々は王子の苛烈な粛正が怖くて、王子が何を決めて、どう言おうと逆らうことができなかった。
姜王子は「祭祀を古い形式に戻す」と述べて食人を復活させた。いやだ、なんて言ったら姜王子に殺されてしまう、と誰もが知っていた。姜王子は酒と麻薬を使い、姉妹を操って親を殺し、権力を手に入れた恐ろしい男だ、とみな理解していたのだ。
姜王子は粛正されずに生き残っていた妹王女と結婚して、彼女に赤ん坊女王の養育をさせた。他にも姜王子に子供ができると、妹王女はその養育も力を注いだ。妹王女は賢く、強欲で残虐かつ狡猾な兄を嫌っていたが、人々の上に立つ者として政治的な混乱を鎮めなければならないので、表向きは一端兄に協力したのだ。それが自分の命を守るためでもあった。子供達は大切に育てたが、結局妹王女は隙をついて姜王子を殺し、両親と姉の仇を討った。そして祭祀者と摂政の位にはついたが、自らは女王とならず、老いると育てた赤ん坊女王に全ての権利を譲って引退した。人々は「妹王女こそが親の跡取りだったら良かったのに。」と噂した。
8[編集]
8.時代が下ると、子孫達は増え、いろんな考えの人が現れるようになった。姜王子が男性でも祭祀者や摂政になる、という先例を作ったのだから、男性が祭祀者や摂政になって個人的な権力を持つようになっても良い、と考える者。伝統的な太陽女神信仰と女王制度を重要視して、財産は女性のもの、と考える者。その間をとって、祭祀者は女性でも男性でも良いし、女性も男性も財産を持つことが許される、と考える者などである。彼らは自らの思想に従って神々を信仰した。姜王子を敬う人達は、饕餮補佐官と姜王子を最高神と考えたし、太陽女神信仰を重要と思う人は太陽女神を最高神としたが、「父」と「母」の真の後継者となる「太陽女神」は夫に騙され殺された女王なのか、親の敵を討った妹王女なのかで意見が分かれた。女性も男性も同じように権利を持つべきと思う者は饕餮補佐官と太陽女神の両方と神として祀った。彼らの真の「父」ともいえる姫補佐官を神格化する者も現れた。
こうして、人々が好き勝手に自分の好きな先祖を神格化して祀るようになったので、どうしても社会的な統率力やまとまりに欠けるようになった。どの神様が一番偉いのかで人々が争うようにもなった。それではまずい、ということで大きな宗教的思想が二つ起こった。
一つは太陽女神を頂点として、姫派と饕餮派は仲良く並び立ち女神、すなわち地上における女王を支えよう、という思想である。彼らは生前は互いに争い戦ったかもしれない。でももう大分時代は下ったのだし、自分たちは二人のどちらの子孫でもあるといえる。どちらが強く正当だったのかを争うのではなく、どちらの派閥も協力して平等に仲良く太陽女神を支えるべきである。一族は死んだ先祖は天に昇って鳥神になり太陽女神を支える、と考えていた。だから、姫補佐官は一族の者ではないのだけれども、一族と同じように天に昇って鳥になったと考えた。
もう少し保守的な人達は、身分の低い姫補佐官が天に昇って鳥神になるのはあり得ないことだと考えていた。でも、尊敬すべき先祖ではある。だから、彼が水に投げ込まれたことを記念して、補佐官を水神として祀ることにした。水神となって水害から子孫を守って欲しい、と願ったのだ。
二つ目の思想は、かたくなに姜王子を信奉し、男性が女性と平等では飽き足らない、男性の方が女性よりも優位に立つべき、と考えるものだった。女なんかに財産と権力を渡してはならない。彼らにとっての神は饕餮補佐官と姜王子のみである。太陽神も女神から姜王子そのものに変更し、姫補佐官は水の中の悪神とされた。悪霊と化した姫補佐官を鎮めるだけの力ある太陽神は姜王子のみ、ともされた。こうして、饕餮補佐官と姜王子が悪い水神を退治する話が作られた。それに合わせて姫補佐官の妻であった女王も、悪い水神の妻の悪い女神にされてしまった。こうして彼らは女神を信仰しなくなったのだ。
二つの大きな神話群は各地に散っていき、後の時代の神話や宗教思想に大きな影響を与えた。太陽女神信仰と男性の太陽神信仰の中庸的・折衷的な神話も生まれた。だけど、人間の歴史全体としては男性の太陽神信仰が強い勢力となり、人間社会は父系化していった。
9[編集]
9.父兄の黎明期の文化は良渚文化である。良渚文化では、雷神と獣面紋が主たる神として祀られていた。いずれも男性形の神である。良渚文化の早期は副葬品から女性が優位だったと考えられている。また「共工」という神話的概念が生まれていたようだ。
「共工」という概念があったとすれば、それと対立する祝融、禹といった概念もあったと想像する。女性が優位で母系的であった頃の良渚文化は、女性の祭祀者兼首長が、雷神、獣面神、共工をある程度並べて祀っていたと思われる。良渚文化では玉蝉がみられ、このセミが女性首長自身の太陽女神性を表彰していたと考える。セミは神話的に「生と死の再生の象徴」と思われるので、良渚の太陽女神は「生と死の循環を行う女神」と考えられたのだろう。夫に騙され殺された太陽女王がその原型と考える。首長が太陽女神の代理人である女性であっても、男性の神々を主に祀っていたのなら、神々と信仰の世界では「父系化」がすでに始まり、進んでいた状態といえはしないだろうか。
共工は「良き神」として祀られていたとしても、現在伝わる中国神話から察するに、蛇神だったり水神だったりすると想像する。いわゆる「黄帝型神」である。祝融は天から火を降らせた火神だ、という神話がある。日本では古来より「火雷神」として火の神と雷の神が一体であるという概念がある。天から火を降らせる、という性質からして祝融には雷で火事を起こす雷神としての性質が含まれてもおかしくはない。鳥雷神、特に雄鶏雷神は古代の長江流域に見られる思想であり、良渚文化よりも古い河姆渡文化からは二羽の雄鶏が太陽を支える図が出土している。よって、良渚文化で信仰されていたのは
だったのではないだろうか。母系が優位の時代には彼らは雷神を頂点としながらもある程度は並び立っていた。禹は異形の獣神として現され、月神や樹木神だった可能性はある。
時代が下り父系が優位となると、まず女性首長が担っていた「太陽女神」としての地位は男性首長が「太陽神」となるように変更されたことと思う。彼らの開祖的な先祖とみなされる禹は初代の王であり、単なる獣神あるいは月神・樹木神から、太陽神へと変更されたのではないか。禹の地位が単独で上昇するにつれて、水神としての共工の地位は低下し、後に中国神話で悪神とされるように、「悪い神」へと変更されてしまったと考える。禹を強き神とするためのスケープゴートである。共同体の中で「共工」を神として指示する人々が女神信仰も指示していたので、彼らの地位が低下するにつれ、太陽女神と共工の地位が変更され母系優位の文化も衰退してしまったと思われる。そして財産権・相続権を有するのは太陽神・禹に代表される「男性」だとして、父系の文化は竜山文化へと確立してゆく。
だから、禹の起源は黄河文明ではなく長江文明であって、治めた川は黄河ではなくて、本当は長江のことだったのではないか、と考える。良渚文化の玉器に複数の獣面が掘られたものがあるが、それは「太陽が複数あった」という羿神話を彷彿とさせる感がある。
10[編集]
10.一方、良渚文化に先立つ河姆渡文化では、二羽の雄鶏雷神が太陽を支える図が象徴である。母系社会であるので、太陽は女神で、雄鶏雷神の一羽がかつての「饕餮補佐官」、もう一羽が「姫補佐官」なのであろう。要するにこの二羽の雄鶏雷神が、後の中国神話の炎帝と黄帝に相当すると考える。両者が神として並び立つ姿が理想と考える人達は二人の先祖を対立したままに放っておかなかったのだ。この場合、同じ性質を持つ雷神が二羽並び立つのではなく、それぞれ天候を左右する性質を持つ神として、炎帝は雷神、黄帝は風神とみなされるようになったと考える。インド神話のインドラとヴァーユ、北欧神話のトールとオーディンのように神々の頂点に天候に関する二神が並び立つ神話があるからだ。しかし、この河姆渡式の神話でも強力な太陽女神は後世に残らなかった。(ちなみに、北欧神話の太陽は神としての地位は高くないが女神である。)その代わりに残ったのが、女神達の頂点に君臨し死ぬことのない西王母だと考える。彼女は死ぬことのない女神であって、親の敵を討った妹王女がその原点と考える。中東の太陽女神シャパシュ、ヒッタイト神話の太陽女神ヘバトは太陽女神であり、死なない女神である。世界的に見て、太陽女神が残されている神話は少数派なのだが、残されている場合には「死なない女神」として残っている場合が多いと感じる。
何らかの理由で「死と再生」を行う権高い女神は世界の神話の中に多く登場するが、メソポタミア神話のイナンナのように、元は太陽女神であったと思われる女神でも、太陽女神としての地位を失ってしまっているものが多いようだ。そもそも、「死と再生」を行う太陽女神と、「死なない太陽女神」では原型となった人物が異なるため、「異なる太陽女神」として考えるべきなのだと考える。
11[編集]
11.姫補佐官と饕餮補佐官のことを
「黄帝が天(円)、炎帝が地(方)」
と作り替えることに反対した人達もいた。彼らは彼らで、
「姫補佐官と饕餮補佐官が協力して悪い火雷神と天で戦う。」
という話を作って持っていたのだ。姫補佐官と饕餮補佐官が、「喧嘩はしたけど、仲は良かった」という設定にはしたかったけれども、どちらかを「地(目下)の神」とするような優劣をつけたくなかったのだ。それでは不平等だ。だから、彼らは姫補佐官のトーテムが蛙であることにちなんで
蛙饕餮
という合成神を作り出した。姫補佐官と饕餮補佐官を一つの神にまとめて「父神」と呼ぶことにしたのだ。そうして二人が「天の蛙饕餮神」となるようにしたのだ。そこまで極端にしなくても「2神」が日月を支えて天に並び立つと考える人たちもいた。ちなみに蛙のことを中国では「蛙黽(あぼう)」というので、蛙饕餮のことを人々は「アペ父さん」と呼んでいた。こうして黄帝も炎帝も採用せず、「アペ父さん」を祀っていた人々は石家河文化へと移っていった。彼らは
「黄帝が天(円)、炎帝が地(方)」と考えた屈家嶺文化
から分かれていったのではないだろうか。「天の蛙饕餮神」は仰韶文化、縄文八ヶ岳の人々に信仰されたと思われ、彼らの土器に蛙人紋として残されていると思われる。そして、この蛙饕餮の中には「姜王子(祝融)」の性質も混じっていたと思われる。何故かというと、人々が
「姜王子(祝融)は饕餮の生まれ変わりだ。」
と考えていたからだ。だから姜王子(祝融)と饕餮をまぜこぜにして語り継いでいた。甘基王(ガンジ王)やザグレウスとディオニューソスの神話にその考え方が見えるように思う。
12[編集]
女神たちの変遷を纏めれば、殺された姜女王は太陽女神から月の女神へ変化した。姜王子が自分で太陽神・火神を名乗りたかったからだ。そして、本来は太陽女神に捧げられて切り刻まれた人身御供たちの肉片が植物の「種」とされていたのだが、切り刻まれた姜女王の肉片が植物の「種」とされるようになった。姜女王が太陽女神だったのなら、生け贄たちも彼女と一体で同じもののはずだから。そして、姜女王の肉片(種)を妹の女王が人々に与える、とされたのだろう。種はいったん地面の下に入るものだから、姜女王には地母神、冥界神の性質も与えられた。こうして、姜女王は
太陽女神から転落して地母神(冥界神)
にされてしまった。伏羲・女媧伝承では「母女神」は存在そのものが消されて消滅しており、それは「ヒョウタン」という形で表されることになった。殺された姜女王は
「女媧」
という形に変換されたのだと思う。女媧の第1子が母親の手でバラバラにされて、種としてまかれたということにして、その記念に「第1子を殺して神に捧げよう。」という祭を行うことになった。西方で「幼児供犠」という祭祀に変化したと思われ、非常に評判が悪かった。子供をバラバラにしてばらまく女媧のメーデイアという女神も登場した。伏羲という神は、父系が優位になってきてから付け加えられたのだと思われる。
ベンガルのコンド族の農耕祭祀では人身御供は第1子に限定されず、古い形式の太陽女神の祭祀を強く残していたと考えるが、彼らの地母神女神はタリ・ペンヌーといった[1]。カルタゴで「幼児供犠」の生け贄を受けた第一の神はタニトという女神だった。おそらくベンガルの女神とカルタゴの女神は同起源だと考える管理人である。(彼らの中間地点にはバビロニアの女神ティアマトがいる。)彼らは本来は、子供を殺したのではなく、母親や姉を殺してバラバラにした女神だったのだろう。
13[編集]
太陽女神だった姜女王とその夫との子の神話的象徴が伏羲・女媧とすれば、伏羲は姜王子の姿を投影した神といえる。伏羲は祝融、禹の別の姿でもある。ということは女媧は塗山氏女の別の姿でもある。塗山氏女は夫の禹に追い回されて死んだ。管理人が、姜王子が妹で妻でもある者を殺したのだろう、と考える所以である。
| 母女神(燃やされた女神) | 父神 | 息子妻女神 | 息子神・疫神 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| ヒョウタン | 女媧 | 伏羲(ときに犬形とされる[2]) | 伏羲・女媧型神話 | |
| 有莘氏女嬉 | 鯀 | 塗山氏女 | 禹 | 五帝神話との対比 |
| 有莘氏女嬉 | 白馬 | 塗山氏女 | 禹 | 五帝神話との対比 |
| 相柳 | 共工 | 祝融 | 祝融神話との対比 | |
| 西王母的妻 | 譚華丹 | 甘基王(盤瓠風・蛙) | ヤオ族の羿的神話との対比 | |
| 嫦娥 | 羿 | 逢蒙・黒耳 | 羿神話との対比 | |
| 蛙羿 | 干ばつ(複数の太陽) | 土家族神話との対比[3] | ||
| 蛙 | 雷神 | 壮族神話との対比[4] | ||
| 盤瓠 | 干ばつ・水難(祝融) | |||
| 盤瓠 | 息子たち | |||
| 養蚕の母 | 黄帝 | 祝融・蚩尤(炎帝・饕餮) | 炎黄闘争との比較 |
14[編集]
14.また、時代が下って姫補佐官と姜女王が仲の良い夫婦であった、という伝承も希薄になってきた。炎帝と姜女王が姉弟だったことも。そして、新たに夫の姜王子に殺された蚕王女の化身に見立てた若い娘が狙い撃ちのように人身御供に立てられるようになった。これは子孫が姜王子の霊に妻を与えて、これを慰撫するためのものだった。姜王子は生きている時にとても恐ろしい男だったので、鬼神となった後も人々は彼を恐れていた。それに、姜王子は饕餮補佐官の生まれかわりとも考えられていたので、彼が再び生まれかわってくるかもしれない、と人々はそれも恐れていた。彼に敵だと見なされたら、それだけで身が危ういと皆考えていた。
ともかく、女は女であるだけで悪いのだ、とされるようになり、殺された女性たちは「芋の母」とか「蚕の母」とみなされるようになった。
15[編集]
15.そしてとても長い年月が流れた。その王室の子孫たちは、姜王子にならって、本当に先祖の姫補佐官のことを邪魔者だと思っていたし、姜女王の事を一族を裏切った悪い女だと思っていた。子供たちを育てて、夫の姜王子に使えた、妹の姜王妃のことは、「良い王妃だった。」と褒め称える人たちと、「夫の姜王子を操った悪い王妃だった。」と悪く言う人に分かれた。
そして、子孫たちは直接人身御供を立て続けていたら、親殺しの先祖の姜王子が非難されるようになってきたし、文明が進んで殺人もだんだん悪いこととされるようになってきた。そこで、裏から人を操って、自分たちの政敵や標的を、「他人に人身御供として殺させる」ようになった。そうして自分たちの先祖からは、姜女王、姫補佐官、饕餮補佐官の名前を隠してしまった。そして、自分たちの名前も隠してしまったので、今ではもう姜という名前は、自分たちでは知っているけれども、名乗っていないのである。
私的解説[編集]
13項の図にあるように、黄帝、羿、槃瓠、ときに蛙トーテムの人は「同じ神」であると管理人は考える。
- 彼らはたいてい、干ばつ、ときに水害と闘い
- 息子的な存在と対立して、だいたい殺されてしまう
- (人身御供を禁じる側である)
という共通した特徴があるように思う。