「菟原処女」の版間の差分

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=== 起源的な神話・台湾アタヤル族の伝承 ===
 
=== 起源的な神話・台湾アタヤル族の伝承 ===
 
台湾アヤタル族タウツァー部族の伝承より。
 
台湾アヤタル族タウツァー部族の伝承より。
<blockquote>昔、一人の婦人がいて、'''豚'''と戯れて男児を産んだ。子供が成長しても、互いに伴侶がいなくて寂しい思いをしていた。母親は'''息子'''に恋情を抱き、木の汁で顔を染めて息子に近づき「私はあなたの妻になりましょう。」と言った。息子は母とは知らずに結婚し、まもなく女の子が生まれた。そのうちに母の顔の色が元に戻り、息子は母親との不義に恐れおののいたが、どうしようもなかった。母親は正体がしれると、そのままどこかへ消えてしまったが、その後犬と交わって多くの子を産んだ。そのため子孫が増えて至るところに社を建てた。かくしてアヤタル族タウツァー部族は、'''犬'''と豚の子孫から成っている<ref>神々の物語、台湾原住民文学選5、神村徹編、草風館、2006年8月1日出版、p45</ref>。</blockquote>
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<blockquote>昔、一人の婦人がいて、'''[[ブタ|]]'''と戯れて男児を産んだ。子供が成長しても、互いに伴侶がいなくて寂しい思いをしていた。母親は'''息子'''に恋情を抱き、木の汁で顔を染めて息子に近づき「私はあなたの妻になりましょう。」と言った。息子は母とは知らずに結婚し、まもなく女の子が生まれた。そのうちに母の顔の色が元に戻り、息子は母親との不義に恐れおののいたが、どうしようもなかった。母親は正体がしれると、そのままどこかへ消えてしまったが、その後犬と交わって多くの子を産んだ。そのため子孫が増えて至るところに社を建てた。かくしてアヤタル族タウツァー部族は、'''犬'''と豚の子孫から成っている<ref>神々の物語、台湾原住民文学選5、神村徹編、草風館、2006年8月1日出版、p45</ref>。</blockquote>
  
 
=== 赤神と黒神 ===
 
=== 赤神と黒神 ===
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黒彦神社の現在の祭神は、天照皇大神、倭伊波礼彦命(神武天皇)、建御名方神である。地元の伝承では'''黒彦'''とは、大泊瀬皇子(おおはつせのみこ)と呼ばれた5世紀の雄略(ゆうりゃく)天皇の兄のことだそうだ。地元の伝承では、'''天皇の地位をめぐる争いに敗れた黒彦王が当地に逃れて'''きて地名になった、とのこと。ただ、日本書紀には、黒彦王は殺害されたとある、とのことである<ref>[https://www.sarashinado.com/2015/02/11/241/ 更旅241・黒彦と長谷寺の白助はさらしなの兄弟?]、さらしな堂(最終閲覧日:24-12-26)</ref>。
 
黒彦神社の現在の祭神は、天照皇大神、倭伊波礼彦命(神武天皇)、建御名方神である。地元の伝承では'''黒彦'''とは、大泊瀬皇子(おおはつせのみこ)と呼ばれた5世紀の雄略(ゆうりゃく)天皇の兄のことだそうだ。地元の伝承では、'''天皇の地位をめぐる争いに敗れた黒彦王が当地に逃れて'''きて地名になった、とのこと。ただ、日本書紀には、黒彦王は殺害されたとある、とのことである<ref>[https://www.sarashinado.com/2015/02/11/241/ 更旅241・黒彦と長谷寺の白助はさらしなの兄弟?]、さらしな堂(最終閲覧日:24-12-26)</ref>。
  
==== 私的考察 ====
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==== 私的解説 ====
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台湾の伝承では先夫である「[[ブタ|豚]]」が[[太昊型神]]、'''前世優先型'''、「[[イヌ|犬]]」が[[非太昊型神]]である。一般的には息子神は[[イヌ|犬]]のトーテムで表されることがある([[伏羲]]、[[グミヤー]]など)ので息子は「[[イヌ|犬]]の子」とすることが正しいと考えるが、本伝承では[[ブタ|豚]]神の子であることが強調される。これはおそらく息子神が[[ブタ|豚]]神の「生まれ変わり」と考えられていたことから、「直の息子」と変更されたのだろう。息子神が「生まれ変わり」であるという設定は省かれ、息子が復讐のために母親を殺すことは、本伝承ではない。
  
 
== 関連項目 ==
 
== 関連項目 ==

2026年3月11日 (水) 23:02時点における版

菟原処女(うないおとめ)とは、奈良時代より日本の摂津国菟原郡菟原(現在の兵庫県芦屋市および神戸市東灘区付近)での古の出来事として伝えられてきた、一人のおとめ(年若い女性)を巡る悲しい妻争いの伝説である。妻争い伝説(つまあらそい)ともいう。

2人の男から求婚された娘が自ら命を絶ち、男達も後を追って死んでしまったというもの。

あらすじ

兵庫県神戸市の東部地域から芦屋市域にかけてが、当時の難波の先の湾の湿地帯に茂る葦(あし)を材として屋根を葺いた家々のあったことに由来する「葦屋(あしのや)」の地名で呼ばれていた頃の話である。

菟原処女(うないおとめ)[1]という可憐な娘がいて、多くの若者から思いを寄せられていた。中でも同じ里の菟原壮士(うないおとこ)[2]と、和泉国から来た茅渟壮士(ちぬおとこ)という二人の立派な男性が彼女を深く愛し、妻に迎えたいと激しく争うようになった。娘はこれを嘆き悲しみ、「卑しい私のために立派な男たちが争うのを見ると、生きていても結婚などできましょうか、黄泉で待ちます」と母に語ると自ら命を絶ってしまった。茅渟壮士はその夜、彼女を夢に見て彼女が愛していたのは自分だと知り、後を追った。菟原壮士も負けるものかと小太刀をとって後を追った。その後、親族たちは集まって、このことを長く語り継ごうと、娘の墓を中央に男の墓を両側に作ったという。

文学

万葉集

奈良時代末期に成立した『万葉集』では、田辺福麻呂歌集(「過葦屋処女墓時作歌一首」9-1801~2)、高橋虫麻呂歌集(「見菟原処女墓歌一首」9-1809~11)[1]、および、福麻呂・虫麻呂に追和した大伴家持の歌(「追同処女墓歌一首」9-4211~12)の3組が、いずれも菟原処女墓(うないおとめのはか)について詠んだ短歌として知られている。

高橋虫麻呂の本歌「見菟原処女墓時作歌一首 并短歌」と反歌を以下に挙げる。

本歌《原文》 
葦屋之 菟名負處女之 八年兒之 片生之時従 小放尓 髪多久麻弖尓 並居 家尓毛不所見 虚木綿乃 牢而座在者 見而師香跡 悒憤時之 垣廬成 人之誂時 智弩壮士 宇奈比壮士乃 廬八燎 須酒師競 相結婚 為家類時者 焼大刀乃 手頴押祢利 白檀弓 靫取負而 入水 火尓毛将入跡 立向 競時尓 吾妹子之 母尓語久 倭文手纒 賎吾之故 大夫之 荒争見者 雖生 應合有哉 宍串呂 黄泉尓将待跡 隠沼乃 下延置而 打歎 妹之去者 血沼壮士 其夜夢見 取次寸 追去祁礼婆 後有 菟原壮士伊 仰天 叫於良妣 𬦸[* 1]地 牙喫建怒而 如己男尓 負而者不有跡 懸佩之 小劔取佩 冬𮏽[* 2]蕷都良 尋去祁礼婆 親族共 射歸集 永代尓 標将為跡 遐代尓 語将継常 處女墓 中尓造置 壮士墓 此方彼方二 造置有 故縁聞而 雖不知 新喪之如毛 哭泣鶴鴨(高橋虫麻呂)『万葉集』巻第九「見菟原處女墓時作歌一首(并短歌)」[* 3]

反歌《原文》 
葦屋之 宇奈比處女之 奥槨乎 徃来跡見者 哭耳之所泣  ─高橋虫麻呂、『万葉集』巻第九「反歌[承前、其一]」

反歌《原文》 
墓上之 木枝靡有 如聞 陳努壮士尓之 依家良信母  ─高橋虫麻呂、『万葉集』巻第九「反歌[承前、其二]」

大和物語

平安時代に書かれた『大和物語』ではこの伝説が脚色され、舞台は生田川となり、娘の親が男たちに難題を出し、3人の死後に墓を作ることについて争いが起きたとされている。

求塚

観阿弥または世阿弥の作と伝えられる謡曲『求塚』では、男たちは刺し違えて死んだことになっている。

旧跡

神戸市東灘区御影塚町にある処女塚は、娘「菟原処女」の墓、付近にある西求女塚(灘区都通に所在)と東求女塚(東灘区住吉宮町に所在)は2人の求婚者の墓と伝えられる。しかし実際の築造時期はそれぞれ異なっており、発掘調査によって、いずれも三世紀後半から四世紀後半にかけて作られた古墳であり、伝説のように菟原処女と二人の荘子の死を受けて同時に築かれたものではない。しかし万葉集の時代にはこれらの古墳群は海岸沿いにあったことを考えればこの伝説が海から見た古墳の景から生まれたという説がある程度の説得力を持つのではないかと大谷歩は論じている[3]

類話

起源的な神話・台湾アタヤル族の伝承

台湾アヤタル族タウツァー部族の伝承より。

昔、一人の婦人がいて、と戯れて男児を産んだ。子供が成長しても、互いに伴侶がいなくて寂しい思いをしていた。母親は息子に恋情を抱き、木の汁で顔を染めて息子に近づき「私はあなたの妻になりましょう。」と言った。息子は母とは知らずに結婚し、まもなく女の子が生まれた。そのうちに母の顔の色が元に戻り、息子は母親との不義に恐れおののいたが、どうしようもなかった。母親は正体がしれると、そのままどこかへ消えてしまったが、その後犬と交わって多くの子を産んだ。そのため子孫が増えて至るところに社を建てた。かくしてアヤタル族タウツァー部族は、と豚の子孫から成っている[4]

赤神と黒神

竜飛岬の黒神と当地の赤神が、十和田湖の女神を巡って争い、赤神が負けたが、同情した女神は赤神を選んだという伝説がある。(秋田兼男鹿氏赤神神社に伝わる伝説)

黒彦神社・長野県千曲市

昔、ある所に、黒彦の命と白彦の命がいた。2人はいとこで、年も同じ、住む屋敷も近くで、まるで兄弟のように仲睦まじく暮らしていた。
年月が過ぎ、黒彦は狩りが得意となった。白彦はに秀でて、などもたしなむようになった。それぞれの道は違っても、一層、親しみ合う仲になった。
ところが、2人が17才の春、美しい桜姫に、2人とも心が奪われるようになり、いがみ合うようになった。2人は姫を妻にしようと競い合って、2人で桜姫に求婚に行った。桜姫は「私には、もはや、いいかわした命がいます」と言って去ってしまった。白彦は、「桜姫が他の命の妻になった。この世に未練はない」と書きおきして、自害してしまった。黒彦は、白彦の死を見て、本当に桜姫を愛したのは白彦だと悟り、この上は霊場巡りをして、白彦の霊を慰めようと、旅に出た。黒彦は国々を回った後、信濃国五加に入り、千本柳を見て、「柳の木は白彦が好きな木だった。私はここで白彦のように書や歌をたしなみ、ここに骨をうずめる。」と、千本柳のそばに庵を建てて、住みついた。
黒彦神社は、そんな黒彦の徳を慕って、里びと達が祀った社だそうだ[5]

黒彦神社の現在の祭神は、天照皇大神、倭伊波礼彦命(神武天皇)、建御名方神である。地元の伝承では黒彦とは、大泊瀬皇子(おおはつせのみこ)と呼ばれた5世紀の雄略(ゆうりゃく)天皇の兄のことだそうだ。地元の伝承では、天皇の地位をめぐる争いに敗れた黒彦王が当地に逃れてきて地名になった、とのこと。ただ、日本書紀には、黒彦王は殺害されたとある、とのことである[6]

私的解説

台湾の伝承では先夫である「」が太昊型神前世優先型、「」が非太昊型神である。一般的には息子神はのトーテムで表されることがある(伏羲グミヤーなど)ので息子は「の子」とすることが正しいと考えるが、本伝承では神の子であることが強調される。これはおそらく息子神が神の「生まれ変わり」と考えられていたことから、「直の息子」と変更されたのだろう。息子神が「生まれ変わり」であるという設定は省かれ、息子が復讐のために母親を殺すことは、本伝承ではない。

関連項目

  • 手児奈 - 千葉県市川市に伝わる同型の伝承

参考文献

脚注

  1. 用字は、足偏に昆。
  2. 用字は、草冠に叙。
  3. 万葉集/第九巻
  1. 1.0 1.1 http://k-amc.kokugakuin.ac.jp/DM/detail.do?class_name=col_dsg&data_id=68325, うないおとめ - 万葉神事語辞典, 塩沢一平, 國學院デジタルミュージアム[1](公式ウェブサイト), 國學院大學, 2019-04-23
  2. http://k-amc.kokugakuin.ac.jp/DM/detail.do?class_name=col_dsg&data_id=68324, うないおとこ - 万葉神事語辞典, 塩沢一平, 國學院デジタルミュージアム(公式ウェブサイト), 國學院大學, 2019-04-23
  3. 大谷歩「処女墓伝説歌の生成」(日本文学、66巻(2017)5号)[2]
  4. 神々の物語、台湾原住民文学選5、神村徹編、草風館、2006年8月1日出版、p45
  5. 【生活・行事・民俗】民話 黒彦神社、ちくま検定テキスト(最終閲覧日:24-12-26)
  6. 更旅241・黒彦と長谷寺の白助はさらしなの兄弟?、さらしな堂(最終閲覧日:24-12-26)