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== 宗教と民俗 ==
ミャオ族の多くはすべてのものに霊魂や生命が宿ると信じ、樹、岩、山、川、泉などを崇拝する。祖霊や祖先の祭祀を怠らない。毎年旧暦10月頃の卯日や辰日を年越しの日の苗年(ノンニャン)として祖先に感謝する祭りを行う。男性は蘆笙(キー)を吹き、女性は華麗な銀飾りと豪華な刺繍の衣装をきて舞う。この時は、男女の自由恋愛の機会でもあり、ユーファンと呼ばれる歌掛けで感情を表現した。貴州省の黔東南の香炉山で旧暦6月19日に行われるチーピエ(山に登る)の祭りは有名で、沢山の若い男女が「歌垣」に集まる。また、黔東南では、13年に一度の大きな'''祖先祭祀'''であるノン・ニュウを'''父系'''氏族(clan) が合同して行い、大量の水牛や豚を供犠して祖先を祀る。ノンとは「'''食べる'''」、ニュウは「'''鼓'''」の意味で、祖先の霊魂が宿るとされる'''楓'''香樹から作った木鼓をたたいて、祖先の霊を呼び戻して交流する<ref>「鼓」といった打楽器は'''雷神の象徴'''といえないだろうか。'''楓'''は蚩尤が死んで変化した木とされている。ノン・ニュウとは「鼓を食べる」という意味であり、牛の皮を貼った鼓を叩いて先祖の霊を呼び、水牛を共食する、という祭祀であるとのことである。'''牛が死んだ先祖と同一視され'''、一方で牛が水牛を食べ、神霊の階級として牛>水牛という世界観があるのではないだろうか。</ref>。銅鼓を使用することもある。ノン・ニュウの由来については様々な伝承があるが、祖先の中でも悲劇の死を遂げた女性を祀ることが強調されることが多い。虎に食べられて死んだり、祭りの際に'''木鼓の下敷きになって'''死んだり、である。その他、男性の太陽神を祀る祖先祭を行っている地域もある死者と生者 死んだり、である。その他、男性の太陽神を祀る祖先祭を行っている地域もある<ref>死者と生者 : 中国貴州省苗族の祖先祭祀、鈴木正崇、慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会、2002、p57。中国貴州省苗族の祖先祭祀、鈴木正崇、慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会、2002、p57</ref>。
黔東南のミャオ族の間では、楓香樹から生まれた蝶々のメイパンメイリュウが、樹下の水泡と恋愛して12の卵を生み、そのうちの一つから人間が生まれ、他の卵から生まれた龍や水牛と兄弟であるという創世神話が語られている<ref>これは死んだ神から生まれた娘(女神)が万物の'''母'''となった、という思想と思われる。これは天界から追放された須佐之男が地上の氏族の先祖となったり、楽園から追放されたアダムが人間の先祖となったりする神話的思想と類似性があるように管理人は思う。</ref>。その後、人類は天上の雷神と争い、大洪水を起こされ、瓢箪に乗って兄と妹が生き延びる。兄と妹が結婚して(兄妹始祖神話)、その子孫が現在のミャオ族になったという<ref>「大洪水」の神話は中国のものとほぼ同一の内容なのではないだろうか。ミャオ族が古代の中国の文化と共通した文化を有していることが分かる。</ref>。ノンニュウは神話にちなんで、蝶々や兄妹始祖、祖先や死者の霊を祀り、再び東方にあるとされる究極の故郷に送り返す祭りである<ref>死んだ祖神を降ろしてきて祀り、また送り返す、という祭祀は日本にもあるように思う。</ref>。一方、明代や清代には漢族が流入し、「漢化」によって、道教や仏教の影響を受けた地域もある。また、19世紀末からキリスト教の布教活動が活発化し、貴州省西北部の石門坎は1905年からプロテスタント布教の拠点となり、ミャオ語の文字が作られ、聖書も刊行されて、急速に改宗者が広がった。ちなみに、ミャオ語の聖書は日本の横浜で印刷されている。しかし、中華人民共和国の成立(1949年)以後、大躍進や文化大革命などを経て、宗教は弾圧され、民間信仰は迷信活動として禁止された。宗教や祭祀などは、改革開放が本格化した1980年代半ば以降に復興してきたが、現在は民族観光に利用されるなど、文化の商品化が進んでいる。西欧の学者はミャオ族の思考を、精霊信仰の概念で説明しようとしてきたが、進化主義の観点に立つ原始宗教のニュアンスがあって低く見下す価値観を払拭できない。アニミズムの概念を見直し、現地の見方による世界観・宇宙観の提示が求められる。
「楓」であり「鼓」でもあるニュウとは中国語の「'''融'''」のことと考える。要は「祝融」の「融」のことであって、この神が犠牲獣の牛や豚のことも併せて指し、楓に殺されて非業の死を遂げた女神を「共に殺人犯を殺して食べて」慰撫しよう、と子孫が考えたものがノンニュウの始まりかと思う。だから、少なくともこの祭祀は、楓(蚩尤と祝融)の神としての地位はそれほど高くなく、[[河姆渡文化]]的な思想に近い所から派生しているように思う。「融」はこの祭祀では河姆渡文化で発見された豚の紋様のように、樹木であり犠牲獣に過ぎないからである。
ノンの方は、「熊」を意味するのかもしれないし、似た子音の女神「[[女媧]]」を指すのかもしれないと思う。ノンニュウは、「ノンニュウについては、モン族に太陽の女精霊ンカウ・ヌー (Nkauj Hnub)、月の男精霊ンラン・リー (Nrang Hli)の名があるので、元は「'''非業の死を遂げた女媧(ノン)を子孫たちが「ここに餌がありますよ」と降ろして、殺人犯の融(ニュウ)を一緒に食べて慰める太陽と月'''」、という祭祀なのではないだろうか。」という意味ではないかと考える。
「男性の太陽神」とは、ノンニュウの精神とは逆に、「ノンの方は、「熊」を意味するのかもしれないし、似た子音の女神「[[女媧]]」と同じ女神かもしれない思う。ノンニュウは、「'''非業の死を遂げた女媧(ノン)を子孫たちが「ここに餌がありますよ」と降ろして、殺人犯の融(ニュウ)を一緒に食べて慰める'''」を「太陽神」としたものと考える。「融」は太陽女神を殺して魚女神に変えてしまい、「太陽神」の地位を自分の「地帝+世界樹」の地位と入れ替えてしまったのではないだろうか。この祝融(チャンヤン)をそのまま太陽神として崇めている地域もあるし、ノンニュウのように亡くなった女神を慰めるために犠牲獣の地位に留めている思想もある、ということなのだろう。」、という祭祀なのではないだろうか。
「男性の太陽神」とは、ノンニュウの精神とは逆に、「'''融(月)あるいはリー'''」を「太陽神」としたものと考える。「融」は太陽女神を殺して魚女神に変えてしまい、「太陽神」の地位を自分の「月+地帝+世界樹」の地位と入れ替えてしまったのではないだろうか。ただし、各地の神話を見るに、女神は「世界樹」のような大きなものではなく、穀類や芋に変えられてしまったように思う。この祝融(チャンヤン)をそのまま太陽神として崇めている地域もあるし、ノンニュウのように亡くなった女神を慰めるために月と犠牲獣の地位に留めている思想もある、ということなのだろう。 また、興味深いことだが、「女媧と融」の起源が[[河姆渡文化]]にあるとすると、そこではまだ母系社会で「太陽女神」が崇拝されていたと考えられるので、女媧は彼らの中でもすでに「太陽女神」としては取り扱われておらず、太陽女神は「別に存在していた」ということになる。日本神話でいえば、にあるとすると、そこではまだ母系社会で「太陽女神」が崇拝されていたと考えられるので、女媧は彼らの中でもすでに「太陽女神」としては取り扱われていないように見える。太陽女神が死んでしまったのなら、今ある太陽は何なのか、ということになるからだ。よって、太陽女神は「別に存在していた」ということにならないだろうか。日本神話でいえば、[[伊邪那美命]]と[[天照大御神]]のように「主要な母神」とされる女神が二柱以上いた可能性があると考える。子音から見た場合には、蝶のメイパンメイリュウとノンは「起源の同じ女神」と考える。蝶や蛾の幼虫は「木の葉」を食べる。彼女は、自らを殺した楓を復讐のために食べる女神、として蝶になぞらえられたのではないだろうか。のように「主要な母神」とされる女神が二柱以上いた可能性があり、一方はすでに太陽女神と見なされなくなっていたと考える。子音から見た場合には、蝶のメイパンメイリュウとノンは「起源の同じ女神」と考える。蝶や蛾の幼虫は「木の葉」を食べる。彼女は、自らを殺した楓を復讐のために食べる女神、として蝶になぞらえられたのではないだろうか。 一方、タイのモン族の伝承では、ノンは「太陽の少女」とされて、「死んだ」とはされていない。しかし、月の少年と太陽の少女は今も追いかけあっている、ということでバロン・ダロンが互いに追いかけ合って結婚した場面を彷彿とさせる。恐ろしいのは追いかけ合っていた彼らが、互いに出会った時で、出会ったら「ニンリルとエンリルの惨劇」以外の何物でもないと考える。しかし、ともかく、モン族は「楓(月)がノンを殺した」という部分を削除してしまったようである。ただ、モン族の伝承でも太陽女神の地位はかなり低下しており、単なる精霊神のように扱われて、「天の最高神」は中国で述べるところの「舜」に入れ替わってしまっているように思う。
=== タイのミャオ族の精霊信仰 ===
* 天界の精霊
: 天界には、人間を助けるヨーム・スア (Yawm Saub) という精霊がいるとされている。この精霊はミャオの洪水神話や、初めての結婚などの神話に登場する。また雨をつかさどる龍 Saub)という精霊がいるとされている。この精霊はミャオの洪水神話や、初めての結婚などの神話に登場する。また雨をつかさどる龍 (Zaj Laug) や虹 (Zaj sawv) もいるとされるが、在所は海の下もしくは湖の下の宮殿であるとされている。その他にも太陽の精霊 もいるとされるが、在所は海の下もしくは湖の下の宮殿であるとされている。その他にも太陽の精霊ンカウ・ヌー (Nkauj Hnub)、月の精霊 、月の精霊ンラン・リー (Nrang Hli)、雷神 (Xob) などが知られている。 ==== 私的考察 ======== 陰界について ====これは現代の神話でいえば、'''ダー'''とは「苗族の[[ダロン]]、かつ中国の[[蚩尤]]」のこと。神々の総称としては印欧語族の「'''デーヴァ'''」のこと、といえる。'''ツォー・ニュン (Ntxwj Nyug)'''とは「苗族の[[チャンヤン]]、かつ中国の[[祝融]]」のこと(印欧語族で一番名が近い神はギリシアの[[ディオニューソス]]。ゲルマン神話のユングヴィであろう。)。'''トゥアム・テーム'''とは中国の「'''[[饕餮]]'''」のことと考える。タイのミャオ族では、'''祝融が饕餮の上位の神'''とされている。 ==== 陽界について ====善意のある守護霊 (Dab quas) と悪意のある精霊 (Dab qus)の語源は一つと考える。quasとqusは中国語の「蛙蟇(カエル)」と考える。どちらも「蛙トーテムの神」という意味と考えるが、善意の蛙神と悪意の蛙神の2種類があるのである。彼らの関係は、端的に述べれば、殺される父のダクシャと、殺した息子のシヴァであろう。また、樹木に関する性質を持つ「Dab qus」の方は'''[[蚩尤]]'''であるともいえる。ということは、「Dab quas」の方は父である「黄帝」と自動的になるだろう。彼らは父子だからトーテムが「同じ」なのである。 薬の精霊 (Dab tshuaj) は、「デーヴァ」という名を持っているが、「医薬神」という性質を鑑みれば、中国神話の「[[炎帝]]」のことと考える。結婚生活を守護する精霊 (Dab roog) は「白(太陽女神)」のこと、敷居の精霊 (Dab txhiaj meej)は「蜜のデーヴァ」、すなわち「熊デーヴァ」という意味の名と考える。境界神でもある。 ==== 天界について ====ヨーム・スア (Yawm Saub)とは、印欧語族の神話で言うところの「ジャムシード王」に一番近い名ではないかと考える。インド神話のヤマも当初は「天界の神」と考えられていた。スア(Saub)とはやはり「蛙蟇(カエル)」と考える。この神は印欧語族の中では「Tiwaz」という神になって太陽神などの位置にあったように思う。またD音が外た「スア(シヴァ)」も同類の神といえる。「DM」という子音の方は、有名なメソポタミアのドゥムジがいる。「DM」「TWT」「SW」の神は、特に男性の場合、ヨーム・スア (Yawm Saub)から派生した神々であって、一見して異なる子音の神々のように思えるが、実は近い存在の神々であることが分かる。おそらく「DM」の子音を持つこの神は中国神話の「'''[[舜]]'''」、メソポタミア神話のシャマシュ、ヒッタイトのシャッルマに相当するのではないだろうか。龍や虹にも「蛙蟇(カエル)」を意味する名が見える。ちなみにヴェマーレ族の神話では、大洪水を起こすのがトゥワレである。 太陽の女精霊ンカウ・ヌー (Nkauj Hnub、日の娘)は、中国の苗族の祭祀「ノンニュウ」やニャンニという女神の名と関連すると考える。月の男精霊ンラン・リー (Nrang Hli、月の少年)の方は、「ヤン(若、young)」に関連する言葉と考える。「月」であり、「男」である。いずれにしても「N」の子音が目立ち、「熊トーテム」が強調された名と考える。この二神の名は、メソポタミア神話のイナンナとナンナ、ニンリルとエンリル、「月」の方はインド神話のマヌ、ゲルマン神話のマンヌス、マーニ、マーナガルムに相当すると考える。マーナガルムも天界において太陽と月を追いかける。モン族はンラン・リー (Nrang Hli)に「男、月」の両方の意味を込めたかもしれないが、ゲルマン神話では「男、月」に加えて「狼(天狗)」の性質まで付け加えている。ンラン・リーのトーテムの一つが「犬」であったことが示唆される。これは中国神話の伏羲にもある性質である。またモン族はンカウ・ヌーとンラン・リーは大洪水とは切り離した存在にしているようである。
=== 神話 ===
* 洪水神話:太古の洪水の際にミャオ族の一組の男女が天の精霊(ヨーム・スア Yawm Saub(タイ・ミャオ族))の指示に従い、瓢箪(船、太鼓の場合もある)にのって逃れる神話がある。
* 射日神話:ミャオ族の英雄(カー・ユウアム Kaj Yuam(タイ・ミャオ族))が太古に九つあった太陽を八つ射落とした神話がある。中国の射日神話と類似している。
 
==== 太陽と月 ====
天地創造の時代、まだ世界に光と闇がはっきり分かれていなかった頃、太陽を象徴する美しい乙女(Nkauj Hnub)と、月を象徴する勇敢な青年(Nraug Hli)がいた。
* '''恋と引き裂かれる二人''':二人は深く愛し合っていたが、家族や運命によって引き裂かれた。一説では、太陽乙女の両親が別の裕福な家族との結婚を決めてしまったため、二人は決して一緒になれない運命を背負ったとされている。
* '''天の守護者へ''':最終的に二人は神々に仕える巨大な精霊(あるいは神そのもの)となり、彼女は昼を照らす「太陽」に、彼は夜を照らす「月」になった。
* '''永遠の追いかけっこ''': 太陽と月が交互に現れ、決して同じ空に長く留まれないのは、この二人が今も互いを追いかけ続けているからだという、切ない自然現象の起源として語り継がれている<ref>Google AIのまとめより。参考文献:Asian Folklore Studies 48-1 1989, 59-94, Tapp, Nicholas.pdf、Hmong Religion、Nicholas Tapp</ref>。
 
==== カー・ユウアム ====
モン族の伝承に登場する半ば伝説的な英雄、天の射手。鉄と銅で最初の弩弓を作り、それを使い世界を巡る九つの太陽を射抜いたと伝えられている。彼はそのうち八つの太陽を射落とし、それらが空から落ちて'''干ばつと死をもたらした'''。残った太陽は恐れて姿を消し、雄鶏の鳴き声を聞くまで姿を現さなかった。その後、太陽の最初の光が当たった場所には、永遠に赤い羽根が生えていた<ref>[https://pantheon.org/articles/k/kaj_yuam.html Kaj Yuam]、クーパー、R.編(1998年)『モン族』シンガポール:タイムズ・エディションズ社、EncyclopediaMYTICA(最終閲覧日:16-01-22)</ref>。
== 食文化 ==
[[Category:ミャオ族神話|*]]
[[Category:笛|*]]
[[Category:射日神話]]

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