=== 難題型について ===
「姥捨伝説」に関わらず、「大国主命と須勢理姫」のように一般的に異界流譚の話に難題はつきものである。異界から抜け出したり、目的を達成するために怪物を倒すが、あるいは難題をクリアしたりする試練が与えられる。難題型は後者のタイプである。そうすることで、物語としては異界と現実の区別が明瞭にもなる。異界と現実の間の境界を越えることは、それほど困難なことなのだ。「伊弉諾の冥界下り」のように、主人公自身が境界を越える強力な能力があれば、境界を越えるいわゆる「黄泉がえり」は単独で行われる。そうでない場合は、誰かの助力を得て行われる場合が多い。「姥捨伝説」の場合は「親」が強力な「助け手」となる。「姥捨伝説」に関わらず、「大国主命と須勢理姫」のように一般的に異界流譚の話に難題はつきものである。異界から抜け出したり、目的を達成するために怪物を倒すか、あるいは難題をクリアしたりする試練が与えられる。難題型は後者のタイプである。そうすることで、物語としては異界と現実の区別が明瞭にもなる。異界と現実の間の境界を越えることは、それほど困難なことなのだ。「伊弉諾の冥界下り」のように、主人公自身が境界を越える強力な能力があれば、境界を越えるいわゆる「黄泉がえり」は単独で行われる。そうでない場合は、誰かの助力を得て行われる場合が多い。「姥捨伝説」の場合は「親」が強力な「助け手」となる。
助けてくれる親はどこかに「隠れている」場合が多い。これは「死」の暗喩でもあって、元々主人公はなにがしかの困難を「異界(冥界)にいる親」に助けてもらう、という話だったのではないだろうか。そして、苦難の末、親を冥界から連れ出すことも可能となったのである。
主人公が叡智で困難を切り抜け、武力ではなく魔力で勝利を得る話は、いわゆる「魔法使いの弟子(ATU325)」系の物語との関連があるように思う。遠く類話といえよう。
=== 枝折り型について ===
「姥捨て伝説」を下敷きにしているが、もっと近現代的な思想から変形させたものと考える。構造としては
# 話の世界観としては、姥捨が当たり前である。
# しかし、登場人物、聞き手共にそれを「良くないこと」だと考えている。
という前提が暗黙の内にあって話が作られている。「姥捨」が良いことであったとすれば、子供は親が何をしようが親を捨ててしまったであろうし、聞き手も「姥捨」を良いことと考えていたのなら、子供の行動に共感できないはずである。だから、「姥捨」を下敷きにしながら、それに対する反論的説話といえる。
特に日本の場合は、親を助け、国を救って殿様にも認められ、「めでたし、めでたし」で終わる話が有名だが、元は師匠と対立する「魔法使いの弟子」系の物語の変形版かもしれないと思う。難題を課し、主人公と対決するのが「師匠」から「殿様」へと替わったのではないか。難題を課すのが「舅」であれば、大国主と須佐之男の物語のようにもなるだろう。助けてくれるのが、須勢理姫から「親」に変わっているのだ。 長野県の「姥捨山」に地元ではなく、群馬県の「赤城大明神縁起」に伝承の一つが記されている。更科五郎という悪者とその姉が、群馬県で暴れ回り、しまいに退治されて姉は姥捨て山に捨てられてしまう、という筋書きである。史実ではなくても、山の名前から見て、誰かが親を捨てた、とか親を害したという伝承くらいはあったのではないだろうか。親を害して、その権利と財産(本話の場合は「叡智」)を奪った、という話が根本にあったかもしれない。近隣には犬が産土神を追いかけて傷つける犬石の話、母親と一緒に土地を開拓して母親だけ殺してしまう小泉小太郎の話などがあるので、広く類話と考える。親が枝を折るのは、親が神話的に「木を切る人」であるという暗喩と考える。神話的な「樹木」は世界樹のように「世界を支えるもの」でもあるが、[[桂男]]の桂の木のように天界の邪魔な木となって、これを切り倒し続けなければいけない場合もある。この場合、親が人々のために木を切り続ける「'''[[黄帝型神]]'''」といえる。それに対して、子供は親を捨てて害そうとするような'''[[祝融型神]]'''である。両者が対立するのではなく、和解して平和な世界を作って欲しい、という'''河姆渡型'''の思想に沿って作られた話と考える。
== 物語の種類 ==
他に、年老いた親を捨てに行く際に子供も連れて行くが、担いできたもっこごと親を捨てようとする。すると、子供から「おっ父を捨てるときに使うから、もっこは持って帰ろう」と言われ、親を捨てる非道さに気付き(あるいは我が身に置き換えて恐怖を思い知ったため)姥捨てをやめるという内容のものがあり、同様の物語は中国やヨーロッパ、アフリカなど広範囲に分布している。枝折り型のあとに難題型が続く複合型、また数は少ないが、嫁にそそのかされた息子により一度は山に捨てられるが、知恵により鬼から宝を巻き上げ財を成し、猿真似をした嫁は命を落とすという嫁姑の対立がテーマになっているものもある。
== 冠着山について ==
長野県の冠着山は俗称を「姨捨山」といい深沢七郎が『楢山節考』で姥捨て伝説を結び付けた。しかし、日本思想史学者の古田武彦は地元の放光院長楽寺への現地調査の結果などからこの地に姥捨て伝説はなかったと結論付けている<ref>[http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/sinjitu5/unmeihi1.html 神と人麻呂の運命1] 古田武彦</ref>。
神道集「[[赤城大明神]]の事」には姨捨山の由来が書かれている。要約すると以下のようになる。
: 群馬に父と一人の息子と3人の娘が住んでいた。そこに信濃国'''更級郡'''より二人の姉弟がやってきた。姉は弟をそそのかすし、弟は'''乱暴者'''だった。父と息子が留守の間に乱暴者は3人の娘のうち2人を殺した。末娘は何とか助かった。父が戻ってきたが、世をはかなんで亡くなった。兄が戻ってきて、乱暴者を倒した。意地悪な女は信濃国に逃げたが'''宇津尾山'''という山に捨てられた。以後、その山を'''伯母捨山'''と言うようになった。
科野国造・建五百建命は[[神八井耳命]]の孫で金刺氏の祖と言われる。長野県には各地に金刺氏ゆかりの神社がある。また善光寺も金刺氏に関連する寺である。善光寺の宿坊の住職を務める若麻績氏は金刺氏の末裔と言われるなど、である。この神の妻神は'''[[会津比売神]]'''(かいづひめのみこと)といい、諏訪大社の祭神・建御名方神の子神と言われている。長野市川中島、篠ノ井、稲荷山、松代付近でこの女神が祀られていたようで、「貝佐」「海津」といった地名は女神の名に由来すると考えられる。「宇津尾山」もおそらく女神の名にちなんだ名と思われる。山の麓には、斎森神社、臼道祖神と「うず」や「えず(かいづの別の読み方)」にちなんだ神社の名や女神信仰を思わせる神社の名がみられる。
一方、現在の冠着山には姥捨伝承に関する寺社が全くない。これが「この地に(通常みられる形の)姥捨伝説はなかった」という結論の根拠にもなっているのではないか。ということは、冠着山は本来は「宇津尾山」といって[[会津比売神]]に関する山とされていたものが、いつしか「姥捨山」に変えられてしまい、姥捨伝承が後付けされた、ということなのではないだろうか。姥捨伝承は「後付けされたもの」だから、現地に行ってもゆかりのあるアイテムや寺社が存在しないのではないか。
そのかわり、姥捨伝承が後付される前の女神信仰の痕跡が山の周囲に残されているのだろう。「山に捨てられた姥」とは[[会津比売神]]のことと思われる。地元にその伝承は残されなかったが、どういうわけか上野(群馬県)に残されたのである。ただし、多くの人を殺すような「悪い女神」として描かれている。地元では干ばつの際に、臼道祖神のご神体の臼を'''水に沈めた'''、とある。「[[赤城大明神]]の事」で、更科姉弟は多くの人を「'''水に沈めて'''」殺す。ご神体を水に沈めることは「人身御供」を思わせるし、篠ノ井には「干ばつの際に水に人身御供を沈めた」という伝承もある。
== 備考 ==
:(答え:太鼓の皮をはがして、生きている蜂の群れを太鼓の中に入れ、皮を張り直す。太鼓の中で蜂が飛び回ると、太鼓に張ってある皮にぶつかって音が出る。)
なお、「叩かなくても鳴る太鼓」を見て驚いた隣の国の殿様が、中の仕組みを見ようとして太鼓の皮をはがすと、太鼓の中から蜂の群れが飛び出してきて殿様を刺しまくり、隣の国の殿様はさんざんな目にあったというオチの付いた話もある。
一方で、姥捨て伝説の一部にはその信憑性を疑われるものも存在する。
長野県の冠着山は俗称を「姨捨山」といい深沢七郎が『楢山節考』で姥捨て伝説を結び付けた。しかし、日本思想史学者の古田武彦は地元の放光院長楽寺への現地調査の結果などからこの地に姥捨て伝説はなかったと結論付けている<ref>[http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/sinjitu5/unmeihi1.html 神と人麻呂の運命1] 古田武彦</ref>。
また池田信夫は元々日本において「人口問題を解決した方法は、姥捨てとは逆の子捨てである」としている<ref>[http://agora-web.jp/archives/2023676.html 「姥捨て」という都市伝説] 池田信夫</ref>。
=== 外国 ===
* [http://bellis.sakura.ne.jp/k/tegalog.cgi?postid=133 金のかめ]:ブリヤート共和国(シベリア):難題型。ブリヤート共和国(シベリア)
=== 部分的姥捨型 ===
* [http://bellis.sakura.ne.jp/k/tegalog.cgi?postid=121 王様とはたおり]:アルメニア。主人公であり、一市民でもあるはたおりの叡智が国家を救う、という話。叡智に飛んだ老人の出現や、棄老といった要素は見られない:難題型。アルメニア。主人公であり、一市民でもあるはたおりの叡智が国家を救う、という話。主人公は一人で難題を解決し、叡智に飛んだ老人の出現や、棄老といった要素は見られない<ref>主人公は完全に[[祝融型神]]・伏羲型である。</ref>。
== 関連項目 ==
* [[赤城大明神]]:長野県冠着山に関するもう一つの由来譚。
* [[会津比売神]]:姥捨山(宇津尾山)と関連すると思われる女神。
== 参考文献 ==