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1,755 バイト除去 、 2026年1月28日 (水)
== 私的考察 ==
一つには、揚子江流域には「川の神を鎮めるためには犀を生贄に捧げなければならない。」という思想があったと思われる。古代においては揚子江流域に犀が生息しており、[[河姆渡文化]]の遺跡からは犀の骨が出土している。「石犀を5つ作る」とは「犀を5匹殺して石に変えた」とも受け取れる。「犀女神を犀竜として殺し、治水と開拓を行った」という伝承が日本の長野県長野市信州新町にある。当然この話の類話と考える。また、「石に変じる神」とは「塗山氏女」のことでもある。李氷は禹に相当する神で、妻を石に変えて治水を行った、ともいえる。信州新町の場合は息子が母親を殺すが、「夫が妻を石に変える話」の方が、このパターンでは古い形式ではないだろか。親を殺して治水・開拓を行うのは、女媧女神の「天地修復」に近いパターンといえる。李氷はプーラン族のグミヤーに相当するし、中国神話のの遺跡からは犀の骨が出土している。「石犀を5つ作る」とは「犀を5匹殺して石に変えた」とも受け取れる。「犀女神を犀竜として殺し、治水と開拓を行った」という伝承が日本の長野県長野市信州新町にある。当然この話の類話と考える。また、「石に変じる神」とは「塗山氏女」のことでもある。李氷は禹に相当する神で、妻を石に変えて治水を行った、ともいえる。信州新町の場合は息子が母親を殺す。こちらはどちらかといえば、[[禹]]が[[相柳]]を殺すパターンといえる。李氷はプーラン族のグミヤーに相当するし、中国神話の[[禹]]・[[伏羲]]、信州新町の[[泉小太郎]]と「同じ神」ともいえると考える。
もう一つ、揚子江流域には、牛を神聖視する思想があり、[[炎帝神農|炎帝]]や李氷が牛となって龍神と戦う図は、[[蚩尤]]のように牛をトーテムに持つ神々がいる。揚子江の治水は本来彼らの役目とされていたのではないだろうか。李氷の姿は彼らを投影していると考える。そのような点では李氷は[[炎帝型神黄帝]]といえる。 揚子江の神は龍として現れるが、これも牛に変身して戦う。この場合、破れた龍牛神は、、あるいは[[蚩尤]]を投影していると思われる。とすれば、李氷は対応竜の対決を思わせる。こちらは「治水」を名目に李氷が勝つので、そのような点では[[黄帝型神祝融]]ともいえる。 治水神話としては、かなり形が崩れており、揚子江流域に牛神信仰が強かったこともあって、[[炎黄闘争共工]]を下敷きにしつつも、牛神(炎帝的神である李氷)が牛神(を倒した話に近い。[[蚩尤]])を倒す、というやや矛盾を含んだ話へと変化していると考える。黄河の側でも龍蛇神と思われる禹が、同じ水神である[[無支祁]]を倒す、という伝承がある。このように古代中国で、[[炎黄闘争]]の神話を元にして、「'''水神が水神を倒して、治水を完遂する'''」という神話が揚子江・黄河の双方の流域で発生した後、各地に伝播していった可能性があると考える。日本にも水神である[[須佐之男命]]が、水神である[[八俣遠呂智]]を倒す神話がある。倒される[[八俣遠呂智黄帝]]の戦いが、[[無支祁祝融]]的な神で黄河側の神話の流れを組むと考えるが、須佐之男命が牛神になぞらえられる傾向は、揚子江側の神話からの流れと考えられ、揚子江・黄河双方の神話の影響を受けている折衷的な神話が[[八俣遠呂智共工]]退治と考えると非常に興味深く感じる。これは意図的なものなのだろうか。 日本には、犀の名がつく「犀川」という川が存在し、「犀竜」という龍蛇形の女神も存在する。これも興味深いことである。の戦いと連続性のある神話であることが分かる。
== 参考文献 ==

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