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3,293 バイト除去 、 2026年1月22日 (木)
資料が乏しくて良く分からないのだが、城背渓文化がある程度社会の階層化が進んだ社会であれば、「軍事専門職」のような階級が発生しており、それに熊トーテムが伴っていた可能性があるが、正確なところは分からない。
 
苗族には'''コ蔵節'''という祭祀があり、そこでは水牛を犠牲獣とする起源が語られている。
 
<blockquote>ワンという青年が、船に乗っていた時に暴風雨に遭い、命を落とした。彼の家族は、ブタを一頭殺しただけで簡単に葬式を済ませたが、立派な副葬品を添えなかったので、ワンの霊は死者が通る関所を越えることができなかった。しばらくすると、ワンの母親が奇病に罹り、長期間の治療を施しても治らなかった。<br>そこでゴウサ(占い師)を呼んで治療を施してもらったところ、ゴウサは、死んだワンのために、もう一度盛大な葬式を開き、もっとも大きな水牛を殺し、彼が好きだった歌舞を行うよう勧めた。ワンの家族が、ゴウサの言い付け通りにすると、母親の病はまるで奇跡のように良くなった――。<br>このことがあった後、ミャオ族は、「コ蔵病」という病があり、水牛を殺して先祖を祭ることではじめて、疫病や災害から逃れられると信じるようになった。<ref>[http://www.peoplechina.com.cn/maindoc/html/guanguang/jieri/200208/200208.htm 貴州・ミャオ族のコ蔵節 10数年に一度、水牛の首を捧げる]、高氷、人民中国(最終閲覧日:24-12-07)</ref></blockquote>
 
とのことである。「ワンという青年」とは名前から見て'''「[[バロン]]」を男性化したもの'''と考える。苗族の始祖とされる[[チャンヤン]]には、大洪水の後水牛を犠牲とした、という伝承があるので、いわゆる「大洪水」の後に、犠牲獣は豚から水牛に変更されたのだと考える。でも、厳密には城背渓文化にあるように「牛」に変更され、その後苗族の中で水牛に変更されたのだろう。すなわち、'''城背渓文化は伝説的な神話の「大洪水」よりも後の文化'''である、と古代の人達は考えていたと思われる。
 
豚を犠牲にして効果がなかったかどうかはなんともいえない。ヴェマーレ族の伝承では、ラビエという女神が亡くなった際に、豚を犠牲に捧げたら彼女は「月」となって復活した、とあるので一定の効果があった、と考えていた人達もいたし、そういう人達の中では豚は重要な犠牲獣であり続けたと思う。おそらく、当初は'''ダロン・蚩尤は犠牲獣的な存在に過ぎず、「そのトーテム」が豚だった'''ので、彼らをより上位の神としたい人々が、犠牲獣(豚)のトーテムを嫌って、犠牲獣を牛に変更してしまってダロン・蚩尤とは関係のない獣を犠牲にする、としたのではないかと思う。でも、この試みは失敗してしまって蚩尤のトーテムに「牛」が定着することになったので、牛を犠牲獣にすることに変更しても蚩尤は引き続き「犠牲神」であり続けることになってしまった。だから更にそれを「水牛」に変更して、「蚩尤は犠牲獣なんかじゃない」としたのが苗族なのだと考える。
ということで、「太陽神石刻」の人物は「ダロン」という名で、アトラースのように「死して岩となり世界を支える巨人」とするのが一番正解に近いと考える。

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