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'''ヒョウタン'''('''瓢箪'''、'''瓢簞'''、学名:''Lagenaria siceraria'' var. ''gourda'')は、ウリ科の植物。漢語では'''瓢'''(ひょう、'''瓠'''、'''匏'''とも表記)、'''瓢瓠'''(ひょうこ)、'''胡盧'''(ころ、'''葫盧'''、'''壺盧'''とも表記)ともいい、和語では'''ひさご'''、'''ふくべ'''という<ref>http://thesaurus.weblio.jp/content_find/text/0/Lagenaria+siceraria+var.gourda, Weblio シソーラス, 2016-05-04</ref>。
この植物の果実を加工して作られる「ひょうたん」は、「瓢」の「箪(容器)」という意味である。
 
== 祭祀について ==
北斗七星(おおぐま座)は水を汲む 「斗」 の形をしており、大地を潤す農耕の神のシンボルでもあった<ref>Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%9A%87%E5%A4%A7%E5%B8%9D 天皇大帝](最終閲覧日:22-09-26)</ref>([[西王母]]、'''季節型豊穣神'''の項を参照のこと)。
 
ヒョウタンは出雲大社、更埴条理・屋代遺跡群(長野県)で'''杓'''として祭祀で使用されたと考えられ、これは北斗信仰とも関連すると思われる。
 
=== ひょうたん祭り ===
大分県豊後大野市柴山八幡社に800年前から伝わる霜月祭り。頭にひょうたん、赤い服、そしてサイズ130cm・重さ10kgの大わらじをはいたひょうたん様が、3升もある大瓢箪に入ったお神酒を振舞いながら練り歩く<ref>[https://www.nihon-kankou.or.jp/oita/442127/detail/44427ba2210027071 【2021年度一般参加なし】ひょうたん祭り]、 大分県豊後大野市、観るなびHPより(最終閲覧日:22-09-26)</ref><ref group="私注">延年に関連のある祭祀と考える。赤い服は太陽神([[炎帝神農|炎帝]]のような男性形の太陽神)、大きなわらじは巨人(盤古のような世界を支える巨人)、酒を振る舞うところは須佐之男のような酒造神を思わせる。須佐之男は延年に関連する神であるし、須佐之男信仰が[[炎帝神農|炎帝]]信仰、[[伏羲]]信仰と関連する神であることが示唆される祭りのように思う。また祭祀ではヒョウタンで作った杓が特別に使われることがあり、[[伏羲]]信仰は北斗信仰と大きな関連があることが分かる。</ref>。
 
=== 鴨別命のミヅチ退治(岡山県) ===
『日本書紀』の巻十一〈仁徳天皇紀〉の67年(西暦379年)にある、「大虬(ミツチ)」の記述で、これによれば吉備の中つ国(後の備中)の川嶋河(一説に現今岡山県の高梁川の古名)の分岐点の淵に、大虬が住みつき、毒を吐いて道行く人を毒気で侵したり殺したりしていた。そこに県守(あがたもり)という名で、笠臣(かさのおみ、笠国造)の祖にあたる男が淵までやってきて、ヒョウタン(瓢箪)を三つ浮かべ、大虬にむかって、そのヒサゴを沈めてみせよと挑戦し、もし出来れば撤退するが、出来ねば斬って成敗すると豪語した。すると魔物は鹿に化けてヒサゴを沈めようとしたがかなわず、男はこれを切り捨てた。さらに、淵の底の洞穴にひそむその類族を悉く斬りはらったので、淵は鮮血に染まり、以後、そこは「県守淵(あがたもりのふち)」と呼ばれるようになったという(鳥越, 1974, p130, http://www.maff.go.jp/chushi/kj/okayamananbu/2/colum1.html, コラム―高梁川(たかはしがわ), 中国四国農政局, 2012年9月2日)(http://www.j-texts.com/jodai/shoki11.html, 巻十一〈'''仁徳天皇'''紀〉の67年, 『日本書紀 』, 日本文学電子図書館 , 2019-07-24, 是歳於吉備中国川嶋河派有大虬令苦人時路人触其処而行必被其毒以多死亡...)(「ミツチ」と訓ずる(石塚晴通 , 尊経閣文庫本日本書紀本文・訓点総索引, 八木書店, 2007, https://books.google.co.jp/books?id=vMBY0qwe14wC&pg=PA38, p38, isbn:4840694117)、「水父(みづち)」、の訓あり?? 宇治谷, 1988(現代訳)、p.250では竜とつくる。)(Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9B%9F 蛟](最終閲覧日:26-01-10))。
 
=== 茨田堤 ===
仁徳11年(323年)の故事である。淀川沿いに工事された茨田堤(まんだのつつみ)が、たびたび壊れて始末に負えなかったところ、天皇が夢を見られて、武蔵国の強頸(こわくび)と、河内国の茨田連衫子(まんだのむらじころもこ)を生贄として「'''河伯(かわのかみ)'''」に奉じれば収拾するだろう、と告げられた。衫子(ころもこ)は、みすみす犠牲になるのを潔しとせず、河にヒサゴを浮かべて、もし本当に自分を捧げよというのが神意ならば、そのヒサゴを水中に沈めて浮かばぬようにしてみせよ、とせまった。つむじ風がおきてヒサゴを引き込もうとしたが、ぷかぷか浮かびながら流れて行ってしまった。こうして男は頓智で死をまぬかれた<ref>宇治谷, 1988(現代訳)、p. 233。</ref>。こちらは「みずち」の言がないが、浮かべたふくべという共通点もあり、「河の神」と「みずち」を同一視するような文献もある<ref>Aston William George, |title=Shinto: (the Way of the Gods) , Longmans, Green, and Co., 1905 , https://books.google.co.jp/books?id=nyUNAAAAYAAJ&pg=PA150&redir_esc=y&hl=ja, p150–151</ref>。
== 概説 ==

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