=== マロ踊りについて ===
「マロ踊り」はハイヌウェレを屠る祭祀、ともいえるが、「マロ」と聞いたら死因的にはまず[[女媧]](Nüwa)が思い浮かぶ。ハイヌウェレは常に「'''蛇'''」を思わせる布をまとっているが、[[女媧]]は下半身が'''蛇'''の女神である。いずれも、洪水神話に関連する女神でもある。いずれも水生生物で表され、洪水神話にも関わることから、「'''吊された女神'''」である。」である。おそらく、ハイヌウェレは、[[女媧]]と同起源の女神であり、その名は[[バロン]]から変化したものと考える。
=== 超余談 ===
どうもイェンゼンという人は、芋を栽培している人達の間で女神を殺して芋に変える話を「古栽培民の神話」と呼んで、高名になったのか、といつも思ってしまう。芋に変わるようになったのは、オーストロネシア語族が中国大陸から太平洋へこぎ出した後であって、この神話の原型は、ともかく「'''神が死んで穀物に変わった'''」というもので、稲作民の神話だから、米などを想定したと思われる。芋を栽培している人達が「古栽培民」なら稲を栽培している人達は「'''超超古古古栽培民'''」とでも言うべき? そして、そう定義したら「鋭い分析をしている」と言われるべき? 神話学っていったいなに? とつい思ってしまう自分がいる。吉田敦彦は日本人なので、一応須佐之男のオオゲツヒメ殺しとこの神話を比較している。でも、民間伝承では鳥神を射たら餅になるとか、病気になった女神に小豆粥を食べさせたら治った、とか、女神は穀物に関することが多い。だから、まず吉田敦彦は日本人と長江流域の稲作民族のことをイェンゼンに倣って「'''超超古古古栽培民'''」と言えば良かったのに、と思ってしまうわけです。
いわゆる「また、吉田敦彦はマロ踊りについて、ニューギニアのマヨ祭を、マロ踊りの具現のように挙げて比較研究している。「マヨ母」若い女性を村の男達が祭りで陵辱して殺して食べてしまうというものである。豊穣を願う祭祀ではあるけれども、現代の感覚から言えば凄惨さが際立つ祭祀である。「マヨ」と言ったら、子音から見てすぐにギリシア神話の「メーティス」が思い浮かぶ。ゼウスが妻のメーティスを食べてしまったように、太陽神トゥワレの化身の男達がマヨ母を殺して、もしかしたら昔は「焼いて」食べてしまったかもしれない、と思う。印欧語族には寡婦殉死と言って、夫が亡くなったら妻を殺す(だいたい焼き殺す)祭祀があったはず。インドでサティと呼ばれる習慣である。「マヨ」は、印欧語族とオーストロネシア語族に「共通した祭祀」であって、元々太陽神「'''吊された女神饕餮'''」の一種である。ハイヌウェレにはココヤシとイノシシの化身という二重の性質があり、要は彼女は「食べ物」であると強調されているように思う。イノシシはアメタに狩られて、行けに跳びこみ溺れ死んだ、とされるが、これはいわゆる蛇婿譚における妻女神が、池に入水して死ぬのと相関する。ハイヌウェレ神話では「吊された女神」が最初から人間あるいは神としてではなく、食物とされている。そして、その生まれ変わりともいえるハイヌウェレもまた殺されて食料と化す。」あるいはその'''化身の男達'''が、[[女媧]]に見立てた女神を焼いて食べてしまい、彼女の際残と権利を奪う祭祀だったのではないか、と思う。それがニューギニア、インド、ギリシアなどに分かれて、豊穣を求める祭祀になったり、葬儀の際の習慣になったり、神話に残っていたりするのだろう。起源は良渚文化あるいはその直前の文化あたりと思われる。河姆渡系の文化では女神をそのように粗略に扱ったりしないと思われるので。
ハイヌウェレ神話の特徴は、夫に殺されたのではなく、不特定多数の人々に殺された点にある。蛇婿譚や[[メリュジーヌ]]型神話のように夫が原因で女神が消えるあるいは死ぬ場合、夫の元に子供が残されたりして、結果的に夫を利することになる。ハイヌウェレの場合は、彼女がサトイモに変化し、夫という個人ではなく、不特定多数の集団の利益に沿うようになる。ハイヌウェレの神話は、最初はイェンゼンが「鋳物栽培は古いのか古くないのか」で混乱してしまって、サテネというのは、自分(印欧語族)のとこの寡婦殉死の女神サティのこと、ギリシア神話でせいぜいセメレーのこと、って言わない時点で「鋭い分析」という言葉の定義ってなに? と思ってしまうわけですが。
女神が夫(と子孫)の利益のために殺された というものだったのが、 女神が集団の利益のために殺された という形に変化する過程で作られたものではないだろうか。これは人間の祭祀でいえば、若い女性が特に選ばれて集団の利益のために人身御供にされる根拠とされ得る神話といえる。ギリシアのイーピゲネイア、ローマのウェスタの巫女と類似した性質といえる。 これらの「犠牲となる女神群」の起源は、[[バルン]]女神が亡くなる時に、家族になにがしかの財産を残した、その結果家族は利益を得た、というものだったと思われるが、それが時代が下ると政治的にただ女性を生贄として殺し、利益を得ようとする口実として使われるようになったと考える。 特にハイヌウェレ神話の場合は、女性([[バルン]]に相当する女神)は最初から人間ではなく食料として扱われ、生まれ変わったとしてもまた食料とされるという状態で 「何回生まれ変わっても、卑しい女(食物)は卑しい女(食物)である。」 という思想が萌芽しているように思える。女性は型にはまった決められたことをしていれば良いのであって、でなければ罰として殺される、という思想でもあるといえる。要は、吉田がオオゲツヒメと比較することは正しいと思います。でも、穀物に化生したオオゲツヒメの方が、古い形式の神話なのです。日本人の学者なら、そこを指摘して欲しかったな、と思います。あとは「マヨ」なんて、せいぜいが下諏訪の「御船祭」とか。よそでやっている凄惨な祭祀より、自分の国でやっている'''「女性差別」を肯定する神話として、社会的な「女性差別」を正当化した神話と言える。精神的に'''オーストロネシア語族がこの神話を語り継いでいるということは、このような思想が紀元前5000年の中国ですでに生じていたことを示している。それが世界的に男系の思想の広まりと共に世界中に流布し、しまいにはイーピゲネイアやウェスタのような思想として確立していったのだろう。蛇足だが、女性の法王を認めない[[ローマ教]]もアメタとハイヌウェレ神話の思想を受け継ぐ思想なのではないだろうか。凄惨な祭祀にもっと目をむけてくれても良かったかな、と思います。
== 関連項目 ==