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962 バイト追加 、 2025年12月29日 (月) 15:59
* 阿蘇国造とみなす場合([[神八井耳命]]の子孫):健磐龍命:妻は阿蘇比咩命。
と分けているだけではないだろうか。
 
妻神の名を見ると、特に会津比売神と阿蘇比咩命は似た名に見える。信濃国造と阿蘇国造は夫婦揃って「同じ神」とみなして良いのではないか、と考える。また健磐龍命は「阿蘇神」とも言われており、「'''妻の名を拝借する傾向'''」があるように思う。
 
これらの神々の名にみえる「津(ツ)」とは、「雷」や「火山」を意味すると考える。西欧の雷神に例えばギリシアの雷神ゼウス(Zeus)のように「TB」の子音が多いことと関連するのではないだろうか。賀茂氏の祖神・阿遅鉏高日子根(アヂスキタカヒコネ)は「ヂ」音のつく雷神である。富士山の女神は神阿多都比売(かむあたつひめ)と「都(ツ)」音がつく火山の女神である。阿蘇比咩命の女神も当然阿蘇山という火山の女神の性質を持つであろう。
 
また神名における「す」や「そ」が「'''杉'''」を示すものであるならば、「'''須佐之男'''(すさのお)」とは、「'''杉の男'''」という意味である、と言えないだろうか。木の神であり、男神である。「'''杉の木'''」が「伊弉諾の三貴子」として太陽(天照大神)、月(月夜見)と並び立つ神である、ということから古代の日本人がいかに杉の木を重要視していたのかが分かる。ただ、「杉の木」は木工芸の神とも近しい関係にあり、ただ生えているだけでは人間にとって意味がない、といえる。切り倒して加工し、柱や材木、木工芸品に加工してこそ、意味をなしてくるものである。すなわち、杉の木は「'''切り倒して死んだもの'''」でないと意味がない。人の役に立つように加工されてこそ、その価値は生きてくる。また、優れた木工芸の技術を縄文系の人々が最初から有していた、とは考えにくいため、須佐之男は'''弥生の人々の神'''、といえるであろう。そして、「'''死んでこそ'''」意味のある神でもある。須佐之男は死んで役に立つ物(柱、木工芸品など)に生まれ変わることもあるが、必要のない細かな枝葉は'''ゴミ'''であって「'''死んだままのもの'''」、すなわち「'''黄泉の国の物'''」といえる。そのため、神話的には、須佐之男は「'''再生の神'''」でもあり「'''死霊'''」でもある、ということになるのではあるまいか。そして、そのような性質は、同じ系統の神である[[五十猛神]]、武五百建命、健磐龍命(別名阿蘇神)にも共通している、といえるのではないか。

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