神は性別に関係なく子供を生む

2026/01/29よもやま
なぜなら、それは「化生」の一種だから。

犠牲獣の意味

先祖に対する供養と神への供犠

  • 男性の象徴である犠牲獣の多様化
苗族にはコ蔵節(「鼓蔵節(こぞうせつ)」あるいは「祭鼓節(さいこせつ)」)という祭祀があり、そこでは水牛を犠牲獣とする起源が語られている。
ワンという青年が、船に乗っていた時に暴風雨に遭い、命を落とした。彼の家族は、ブタを一頭殺しただけで簡単に葬式を済ませたが、立派な副葬品を添えなかったので、ワンの霊は死者が通る関所を越えることができなかった。しばらくすると、ワンの母親が奇病に罹り、長期間の治療を施しても治らなかった。
そこでゴウサ(占い師)を呼んで治療を施してもらったところ、ゴウサは、死んだワンのために、もう一度盛大な葬式を開き、もっとも大きな水牛を殺し、彼が好きだった歌舞を行うよう勧めた。ワンの家族が、ゴウサの言い付け通りにすると、母親の病はまるで奇跡のように良くなった――。
このことがあった後、ミャオ族は、「コ蔵病」という病があり、水牛を殺して先祖を祭ることではじめて、疫病や災害から逃れられると信じるようになった。(貴州・ミャオ族のコ蔵節 10数年に一度、水牛の首を捧げる、高氷、人民中国(最終閲覧日:24-12-07))
とのことである。「ワンという青年」とは名前から見て「バロン」を男性化したものと考える。苗族の始祖とされるチャンヤンには、大洪水の後水牛を犠牲とした、という伝承がある。よって、いつの時代からか、伝統的なブタに加えて、大渓文化にあるようにウシなどが供養のための犠牲獣に加えられるようになったと考える。苗族の中ではこれが更に水牛に変わったと考える。そして、ブタ、ウシ、スイギュウは主に「男性の象徴」のように考えられ、神格化された。神格化された場合には、文化によって、配偶神である女神もトーテムを合わせてブタ、ウシ、スイギュウとされる場合があったのではないだろうか。インド神話のプリティヴィー、カーマデーヌ、ビルマーヤなどは「ウシ」の女神として現されるので、その夫も「ウシ」とされているのだろう。
  • 女神の男性化と怨霊化そして社会の父系化
もう一つ、犠牲獣のトーテムが増えるにつれて、太陽女神であった女神の「男性化」が進んでいるように思える。「ワンという青年」がその例である。彼は「船に乗っていた時に暴風雨に遭い、命を落とした。」とされている。これはおそらく「大洪水」の神話と関連していて、「大洪水」の別の表現である。バロン・ダロン神話では二人の子供は生き残った、とされているので、ワン青年の名は「バロン」が変化したものと考える。別の伝承では、誰か死んだ「バロン」がいて、彼女が災厄を引き起こした、とみなされている場合があるのだろう。この話ではバロン女神を男性に置き換えているように見える。

ただし、大洪水に限らず、生きている人はいつかは必ず死ぬ。例えば、特に人間的な人格神に「生きた人」のモデルがいたとしても、その人自身は既に死んでいるか、生きていたとしてもいつかは亡くなる。とすれば「ワン青年」は一般的な「人間」の代表的な象徴であって、先祖一般の供養の起原伝承ともいえる。母系社会から父系社会に移行して、女の先祖よりも男の先祖が重要視されるようになったので、バロン女神は男性に置き換えられてしまったのではないだろうか。

そして、「神に対する供犠」が「先祖の供養」でもあるのなら、「神を祀る」とは「死者をなだめ鎮める」ことでもある。死者とは中国では「鬼」と呼ぶ。死んだものを祟らないように神として祀ることを中国では「鬼神信仰」というし、日本では「怨霊信仰」というのではないだろうか。
  • 五穀豊穣などを願う祭祀
鬼神が暴れ祟らないようにして何を願うのだろうか。それは五穀豊穣とか家内安全とか、牧畜が重要視されれば家畜の多産、病気よけなどであろう。あるいは中には「お金持ちになりたい」とか「好きな人と結婚したい」とか個人的な願いもあるかもしれないと思う。韓国には「若くして処女のまま非業の死を遂げた女神」のために「男根」を奉納する、という文化がある。「死んだ女神」を慰めるために捧げられるものは、一般的な食物でもあるし、「夫」でもあるのだろう。冥界で彼女が結婚することで、万物が新たに生み出される、と考えられたかもしれない。でも、死んだ女神から子神が生まれる、というのならまだしも、「万物」、特に五穀や家畜が生まれる、となれば、これはもう立派な「ハイヌウェレ型神話」といえるのではないだろうか。

ワン青年の供犠はこの思想の延長線上にあるように思う。彼を祀ると家内安全や五穀豊穣が得られるのは、それが死んだ彼から「生み出された」と考えられたからではないだろうか。
  • サイやシカの意味
これらも当初は「男性の象徴」としての犠牲獣だったかもしれないと考える。ただ、ワン青年のように、女神を単に男神に置き換えただけだとすると、そこに犠牲獣を捧げた場合、「食物」としての役目は果たしても、配偶神としては、男性に「夫」をあてがうことになっていわゆる「聖婚」が成立しなくなってしまう。そのため、犠牲獣も「女神の象徴」とされるようになり、性のトーテムが男性だったものから女性へと変更されたものもあるように思う。そして、「聖婚的祭祀」から婚姻的な意味を失わせてしまえば、ただ単に神に食物を与えるだけで五穀豊穣が得られるようになる。要は女神でも男神でも、五穀豊穣を生み出すことができるようになる。そうすれば、神が男性でも女性でもどうでも良くなるので、供物だけ与えれば良い、ということになるのではないだろうか。

サイはプーラン族の伝承では意味が薄くなっているが、元は女神として考えられていたと考える。日本の長野県では犀龍は明確に女神である。鹿は台湾の伝承では配偶神としては「男性」で現されるが、弥生時代の日本では「日鹿女神」とか「鹿日女神」といったように太陽女神の化身と考えられていた。また、中国ではおそらく古代で鹿は男性形だったと思われるが、次第に馬に置き換わってしまったと考える。なぜなら台湾の鹿男神の伝承が、馬頭娘の馬の話に似ているからである。

関連項目

井氷鹿と伊香保姫

 丹後半島の蛇頭松姫大神という女神にはまったのです。何故なら、蛇の若者が好きになって、相手の住む池に入水してしまう女神、なのですが、そのあと、女神自身が祟り神的に暴れる蛇神になってしまって「旦那はどこへ行ったのか?」という状態になって、退治されてしまう、という女神で。しかも、その女神に関連すると思われる神社に名に「尾」とつく神様ばかりがいて、個人的に

「尾」は「尾張」の「尾」

と思ってニヤリとしてしまうわけです。で、丹後の神社についてインターネットであれこれ調べていて、たいへんお世話になったサイトに「紀州の井氷鹿女神と丹後の伊加里姫は同じ女神だと思う。」とあったわけです。私は小心者で、しかもHPはあちこち工事中で、人様に「広く見てください」と胸を張って言える状態でもないので、「たいへんお世話になりました。」とご挨拶に行く勇気がありません。

 そこで、どこかで私なりに「感謝の気持ち」を示せれば、と思って井氷鹿女神と伊加里姫を伝承的に比較考察してみることにしました。どちらも水神としての性質を持っていて、海部氏が丹後半島に進出する以前からの古い神だろう、と思うのです。そして、地理的には個人的に東国の神々の方が親しみが深いのですが、上野(群馬県)の伊香保女神も同じ女神だろう、と思うのです。火山の女神です。かつ上野は物部氏系の氏族の開拓した地ですので、古い時代の物部氏に関連する女神かもしれない、と思うようになりました。それは、まだ尾張氏、海部氏が物部氏から分家していなかった時代の女神なのかもしれません。私は物部氏、尾張氏、海部氏は三氏とも、天道日女命を共通の祖神としていますので、同族集団と考えています。

 尾張氏のことをあれこれ調べていたら、熱田神宮の摂社に氷上姉子神社(ひかみあねごじんじゃ)という神社を発見しました。「大高町火上山」という地にあります。氷上姉子とは現在では宮簀媛命と同一視されていますが、Wikipediaによれば「氷上姉子」とは尾張氏が進出するよりも古い神で

『『新修名古屋市史』では氷上の女性神官を指した語としたうえで、これが神格化されて祭神に転化し、さらに尾張氏の手のもとでミヤズヒメと習合してヤマトタケル伝説に組み込まれたと推測している』

とのことです。関連する神社に知我麻社(星宮社)があります。おそらく、尾張氏に先行して物部氏がおり、氷上姉子は彼らが「主君と仰ぐ女神」ではないか、と思うのです。氷上(ひかみ)という名は、井氷鹿(いひか)に通じると思うのですが、赤城大明神縁起を読む限り、上野の物部氏が「伊香保女神」に持っている忠誠心と矜持の強さが尋常ならざるなり、と感じるのです。かつては、熱田でも氷上姉子は、物部氏から強い尊敬を受ける女神であり、それが尾張氏に引き継がれているように思います。

そして、まず最初に、出雲の星神信仰と秋鹿(あひか)女神の信仰を熱田に持ち込んだのは物部氏なのだと思うのです。要するに、秋鹿(あひか)女神と氷上姉子は「同じ女神」だと今は考えているのです。そして、東国には上野の伊香保女神の他に、信濃(長野県)に氷鉋斗賣(ひがのとめ)という女神がいます。みな「同じ女神」で、とても古い女神なのだと考えます。

さて、氷上姉子は「大高町火上山」に祀られていますから、本当に古い時代には「火上姉子」と書いたのではないかと思います。これを

『火上姉子と読んで、巫女的な人物』

としたら、どのような人物なのだろう? と考えてみました。「火上」=「火神」ともいえるかもしれません。私は「あれま」と思いました。これは「火神」というよりも「日神」と書いて

日巫女

とした方がよろしいんじゃないでしょうか。魏志倭人伝ではないですか。物部氏とは女王卑弥呼を「姉御」と呼ぶような人達だったのでしょうか。


ということで、出雲の秋鹿女神について、調べようと思って、関連すると思われる那富乃夜神社に飛んでおります。これは、知我麻社の前身かもしれないと思います。

貫前女神について

荒船山伝承を調べていたのですが、女神の伝承について詳細なサイトを発見しました。で、内容を確認した結果、これって甘基王(ガンジ王)と逆の立場から書いた話ではないか、と思いました。甘基王(ガンジ王)は火を使って敵を攻めますが、貫前女神は攻められても水の力で身を守って対抗しようとします。

そもそも貫前女神は鉾で自分の身を守り、土地の権利も主張しようとします。中世の関東武士団は相続に関し、男女平等だったし、女性が当主になることもできました。そして、女性であっても武芸に優れていれば、男性と同じように戦ったと思います。自ら身を守り、身を立てようとする貫前女神の姿は上野を開拓した物部氏と後裔の関東武士団の矜持を強く感じる気がします。

でもその一方で、貫前女神は祭神として固有名詞を失っています。かつ、時代が下ると「養蚕の女神」として扱われるようになると感じるのですが、中国では蚕の女神は「蚕馬」といって、「殺される女神」の代表格ともいえ、祖神とか開拓神としての印象は良くありません。

一方で女神の地位を高めようとしながら、もう一方でその地位を貶めようとする人々もいる。日本の神話そのものがこういう思想的な対立を含んで作られている気がします。