大汶口文化では図1,2のように、「日雲山」が描かれた図が良くみられ、象徴的な図像であるようである。おそらく、「日雲山」図、とする説が多いけれども、他の異説もままあるようである。一番上に描かれた円が「太陽」を現すことは広く受け入れられているようである。それ以外はどうなのか、ということになる。
管理人は、図1,2は図4の図から発展した図であると考える。頂点に「太陽」があり、その下に巨人が描かれているのが図4なのだが、この巨人は図1,2では「山」に相当するものと考える。図4の巨人を管理人は、図1,2は図4の図から発展した図であると考える。頂点に「太陽」があり、その下に巨人が描かれているのが図4なのだが、この巨人は図1,2では「山」に相当するものと考える。図1,2の頂点にある円が「太陽」である場合は「太陽神個」といえる。ただし、図像が図4から発展したものであっても、頂点の「円」は太陽ではないかもしれない、とも思う。大汶口文化は母系から父系への変遷がみられる文化だが、父系の文化は社会の階層化が進み、王権あういは王権的な制度ができつつあった社会でもあった。後の王権社会で、天上の頂点に座すものは「北極星」である。とすると、図1,2の頂点に座する「円」は「北極星」の可能性もあるように思う。母系社会の世界図の頂点にあるのが「日」であったとすれば、父系社会ではそれは「北極星」であって、世界は「昼」から「夜」へ変わってしまったといえる。その場合は、これは「日雲山」図ではなく、「星雲山」図といえる。ただ、大汶口文化は過渡期の文化であるので、「円」は見る人によって「日」にも「星」にも見えるように描かれたかもしれないと思う。 図4の巨人を[[盤古]]型の巨人とすれば、[[盤古]]が亡くなった後に、その体から山に化生した部分もある、とされている。よって、図1,2の「山」は[[盤古]]の体の一部が変化したものなのである。そして、図1,2と図4を見比べた場合、図4の方が増えている紋様があることが分かる。いわゆる「雲」と呼ばれている部分である。
管理人は、これを「'''雲'''」でもあるし、「'''鳥'''」でもあるし、「'''角'''」でもあると考える。また「'''月'''」とも見なせる。大汶口文化が[[河姆渡文化]]の「太陽を運ぶ[[三足烏]](金烏)」の思想を受け継いでいれば、大汶口文化の住人は、これを引き続き「[[三足烏]]」と考えていたことと思う。[[盤古]]型巨人の一部は、死して樹木に化生した、とも言われており、それを[[扶桑]]のような「巨大樹」とすれば、[[三足烏]]はその頂点に留まっている鳥であるし、また太陽を背に乗せて飛ぶ鳥として現されることもあるので、巨人と太陽の間に存在する神霊としては「[[三足烏]]」が一番適すように思うのである。