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1,617 バイト追加 、 2022年2月25日 (金) 01:45
:また東へ五十五里ゆくと、宣山と呼ばれる山がある。その山からは、淪水が流れ出す。その川は東南に流れて視水に注ぐ。その中には'''蛟がたくさんいる'''。その川のほとりには桑の木が生えている。その幹の太さは五十尺、枝が重なりあって四方にのび、葉の大きさは一尺あまりもある。赤い木目があり、黄色い花がつき、青い萼がある。これを帝女の桑と呼ぶ。
とある。帝女は西王母とされ、織女は天帝の孫と言われている。西王母は女仙を支配する女神でもある。西王母は、女仙の先頭に立って、自ら桑摘み、養蚕、紡織を行う女神でもあった。桑は西王母とは切っても切れない関係にあったのである。
 
漢代の図像には、世界樹の頂上に座す西王母がみられ、東王父が出現する以前は、西王母が世界樹である桑の木の頂上に座す、と考えられていたようである。母系社会には「父」というものは存在しないので、これが古い時代の西王母の図像であったのではないか、と推察する。
 
また、日本神話との比較から述べると、日本神話では織女達を統括し、支配するのは太陽神である天照大神である。とすると、桑と養蚕を支配する西王母とは、本来、太陽女神であったとはいえないだろうか。河姆渡文化のレリーフでいえば、「鳥が運んでいる太陽」そのものが西王母の原型だったのだと考える。しかし、西王母は時代が下るにつれて、中国では「太陽女神」としての性質が薄れていくので、取り残された鳥の従者達に「太陽神」としての性質が移されたのではないか、と個人的には思う。
 
ともかく、「桑」を、西王母を頂上に抱く「世界樹」として考えた時、その根元は水の中や、あるいは混沌の中にあり、それらの中には「蛟がいる」と考えられていたのではないだろうか。メソポタミア神話、イラン神話等でも、「世界樹」の根元には蛇が巣くうことが多い。その起源は、少なくとも古代中国の西王母と桑の木にまで遡ると考える。水の中の蛇、とは当然いわゆる「河伯」でもあっただろう。
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