また、三羽の鳥が西王母のために食事を運んでくるともいい(『海内北経』)、これらの鳥の名は'''大鶩、小鶩、青鳥'''であるという(『大荒西経』)。
敦煌写本(11世紀)には「王母が養蚕の方をお授け下さり」とあり、西王母が養蚕の方法を教えた、とされている。小説的な作品ではあるが、「漢武別国洞冥記(2世紀)」に「濛鴻の沢にて、王母が白海の岸辺で桑を摘んでいた」とある。敦煌写本(11世紀)には「王母が養蚕の方をお授け下さり」とあり、西王母が養蚕の方法を教えた、とされている。小説的な作品ではあるが、「漢武別国洞冥記(2世紀)」に「濛鴻の沢(神話的な地名、濛鴻はカオスを意味する)にて、王母が白海の岸辺で桑を摘んでいた」とある。'''桑'''を摘むのは紡織の作業の開始を示す儀礼でもあった。漢代には皇室の女性達が、桑摘みなど儀礼的な養蚕を行う際には、髪に「華勝」という西王母の髪飾りをつけたという。
「山海経」には