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299 バイト追加 、 2022年11月15日 (火) 20:36
*:長野県長野市にある前方後円墳で、長野盆地(通称:善光寺平)の中でも最古級にあたる4世紀前期の築造とされる。発見当時は多数の銅鏡や玉類、埴輪が発見されている。
* '''南向塚古墳'''
*:長野県長野市にある前方後円墳で、長野盆地(通称:善光寺平)の中でも最古級にあたる4世紀前期の築造とされる。発見当時は多数の銅鏡や玉類、埴輪が発見されている。長野盆地において、平野部に築かれた本古墳は貴重かつ特異な存在である。6世紀前半の築造と思われ、現在明確な出土品は瑠璃製勾玉1点のみである。2017年現在、付近の芋井神社が所有しているとのこと。上杉謙信にまつわる伝承もあるようだが、地元には由来として『孝元天皇の皇子、少名日子建猪心が水内に勅命で下向し開墾を進めたがこの地に斃れ、住民によって葬り、三面観音像を祀ったものである。故に王塚という。』という伝承があるとのこと。「少名日子建猪心」とは「少名日子建猪命」と書けると思うので、記紀神話の'''少名毘古那'''と'''武五百建命'''を合成したような神名であると思う。もしかしたら「少名日子」には「若い」とか「小さい」という意味があり、葬られているのは「若い[[武五百建命]]([[武五百建命]]の子神)」ということなのかもしれないと思う。古墳のある高田は尾張神社のある尾張部にも近く、いずれも水害の多かった長野盆地では古来より微高地で水害の起きない貴重な一等地であった。<br />芋井神社はかつて元諏訪社と呼ばれており、祭神は南方止売命、配祀に南方刀美命とある。これは八坂刀売と建御名方富命のことであろう。南方止売命(女神)の方が主祭神である点は、「母神」としての女神が被葬者(少名日子建猪命(子神))を守護する、という思想が強く出ていると管理人は感じる。記紀神話では[[武五百建命]]は[[神八井耳命]]の末裔とされているが、水内郡には特に諏訪大社との権威と結び付ける形で[[武五百建命]]は建御名方富命の子神である、という伝承がかつてあったのかもしれないと思う。その場合、'''[[武五百建命]]は彦神別神と「同一のもの」'''となり、善光寺の「奥の院」あるいはかつての年神堂に祀られていた彦神別神とは[[武五百建命]]のことである、といえる。のことである、といえる。記紀神話が編纂され、神話・伝承が整理されるにつれて、全国区的な祖神として[[武五百建命]]と[[神八井耳命]]、地方的な諏訪信仰と連動した祖神として彦神別神と建御名方富命の2大伝承が残されていったものと考える。
* '''森将軍塚古墳'''
*: 長野県千曲市(旧埴科郡)にある前方後円墳で、埴科古墳群(はにしなこふんぐん)に属する。築造は長野県内の前方後円墳の中でも最古級にあたる4世紀中期とされており、初代科野国造の建五百建命の墓とする説がある<ref>[http://www.nihonjiten.com/data/263245.html 科野国造 ( 信濃 )] - 日本辞典(2018年7月6日午前4時29分([JST)閲覧)</ref>。

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