==== 武居氏・武井氏 ====
手塚光盛の子の光家は武居大祝になったと伝え、その子の重晴は木曽御獄山禰宜となったといわれる<ref>[http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/keijiban/suwasya1.htm 諏訪社の奉斎氏族]、[http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/index.html 古樹紀之房間]、樹堂氏(最終閲覧日:22-11-08)</ref>。
代々諏訪大社下社大祝職を継いできた金刺氏であったが、戦国時代末期に至って上社との抗争の末に断絶となった。その後、支族の今井氏が入って武居祝と称し祭祀を継承したが、大祝を名乗ることはなかった<ref>[http://www2.harimaya.com/sengoku/html/kanazasi.html 金刺氏]、風雲戦国史、HARIMAYA(最終閲覧日:22-11-14)</ref>。長野市には武井神社があり、善光寺四社の内の一つである。主祭神は建御名方命、相殿に前八坂刀売命・彦神別神を祀り、下社系の神社と思われる。
御嶽神社里社本社(黒沢口)は『古くは諏訪大社の神職が年番で奉仕していたが、徳治二年(1307)、木曽義信が諏訪大社下社の武居祝の次男、宮内少輔重晴を招き、以来、その子孫により奉祀されているようだ』とのことである<ref>[https://genbu.net/data/sinano/ontakemitake_title.htm 御嶽神社 里社本社]、玄松子(最終閲覧日:22-11-14)</ref>。。義仲の子孫と言われる木曽氏と下社との深いつながりが窺える。
== 金刺部 ==