善光寺の創建に関わった一派は、上田から川下に向かい、まずは現在の更埴市にある森将軍塚古墳付近に拠点を置き、そこから更に川下の善光寺平らに入ったものではないかと思う。長野市篠ノ井には会津比売命にちなんだと思われる「海津」という地名がある。
=== 金刺氏の拡がり ===
「科野」という言葉にあるように、金刺氏が関わった土地には「科」という地名がついていることが多いように思う。
群馬県には辛科神社という神社があり、須佐之男命と五十猛神を祀る。
岐阜県には阿夫志奈神社(あぶしなじんじゃ)という神社があり、現在は伊邪那岐大神、伊邪那美大神、素盞嗚尊が主祭神である。4月13~14日にかけて行われる例祭には蠅追男(猿田彦命を表しているという)が榊を手に持って子どもたちを追い回し、背中をたたくとその1年は無病息災といわれている。境内末社には乙姫神社があり、中部地方に盛んであった「常世信仰」が波及していたことが示唆される。
== 支配領域 ==