== 物語の影響 ==
鈴鹿御前=立烏帽子にまつわる物語は、その舞台となった土地に浸透し、鈴鹿山周辺の鏡岩・旧田村社・片山神社・土山の[[田村神社 (甲賀市)|田村神社]]などの伝承に足跡を残した鈴鹿御前=立烏帽子にまつわる物語は、その舞台となった土地に浸透し、鈴鹿山周辺の鏡岩・旧田村社・片山神社・土山の田村神社などの伝承に足跡を残した<ref>[[大川吉崇]]『鈴鹿山系の伝承と歴史』(新人物往来社、1979年)大川吉崇『鈴鹿山系の伝承と歴史』(新人物往来社、1979年)</ref>。
東北地方においても『田村三代記』の影響を受けて各地の社寺縁起や本地譚など[[坂上田村麻呂伝説]]に取り入れられた。[[奥州七観音]]の由来では、[[奈良県]][[桜井市]][[初瀬]]にある[[長谷寺]]の[[霊験譚]]が記された[[鎌倉時代]]前期の仏教説話集『[[長谷寺霊験記]]』に鈴鹿御前は登場しないが、[[仙台藩]]が[[安永 (元号)|安永]]年間([[1772年]] の由来では、奈良県桜井市初瀬にある長谷寺の霊験譚が記された鎌倉時代前期の仏教説話集『長谷寺霊験記』に鈴鹿御前は登場しないが、仙台藩が安永年間(1772年 - [[1781年]])にまとめた『[[安永風土記書出|風土記御用書出]]』の「[[華足寺]]書上」に「田村将軍様奥州七ヶ所観音御建立由来之事」には鈴鹿御前が登場することから、お伽草子『鈴鹿の物語1781年)にまとめた『風土記御用書出』の「華足寺書上」に「田村将軍様奥州七ヶ所観音御建立由来之事」には鈴鹿御前が登場することから、お伽草子『鈴鹿の物語(田村の草子)』など物語の影響が見られる{{Sfn|<ref>阿部|, 2004|pages=80, pages80-82}}{{Sfn|</ref><ef>阿部|, 2004|pages=82, pages82-88}}。[[宮城県]][[白石市]]に鎮座する[[田村神社 (白石市)|田村神社]</ref>。宮城県白石市に鎮座する田村神社]でも主祭神として坂上田村磨と鈴鹿神女が夫婦で祀られている。も主祭神として坂上田村磨と鈴鹿神女が夫婦で祀られている。
== 人物 ==