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、 2022年10月9日 (日) 23:53
'''稚日女尊'''(わかひるめのみこと)は、日本神話に登場する神である。生田神社(中央区)や玉津島神社(和歌山県和歌山市)の祭神として知られる。
== 概要 ==
日本神話ではまず、『[[日本書紀]]』神代記上七段の第一の一書に登場する。[[高天原]]の斎服殿(いみはたどの)で神衣を織っていたとき、それを見た[[スサノオ]]が馬の皮を逆剥ぎにして部屋の中に投げ込んだ。稚日女尊は驚いて機から落ち、持っていた梭(ひ)で身体を傷つけて亡くなった。それを知った[[天照大神]]は[[天岩戸]]に隠れてしまった。『[[古事記]]』では、特に名前は書かれず天の服織女(はたおりめ)が梭で[[外陰部|女陰(ほと)]]を衝いて死んだとあり、同一の伝承と考えられる。
次にこの名前の神が登場するのは人代記に入ってからである。神功皇后が三韓外征を行う際に審神を行い、その際に「尾田(現、三重県鳥羽市の加布良古の古名)の'''吾田'''節(後の答志郡)の淡郡(粟嶋= 安楽島)に居る神」として名乗った一柱の神が稚日女尊であるとされており、元々の鎮座地は三重県鳥羽市安楽島の[[伊射波神社]](式内社 粟嶋坐伊射波神社二座 並 大)に比定されている。
[[神功皇后]]の[[三韓外征]]の帰途、[[難波]]へ向おうとしたが船が真直に進めなくなったため、武庫の港([[神戸港]])に還って占いを行った。そこで稚日女尊が現れられ「私は活田長峡国にいたい」と神宣があったので、[[海上五十狭茅]]に祭らせたとある。これが今日の'''生田神社'''である。
神名の「稚日女」は若く瑞々しい日の女神という意味である。天照大神の別名が'''大日女'''(おおひるめ。大日孁とも)であり、稚日女は天照大神自身のこととも、幼名であるとも言われ([[生田神社]]では幼名と説明している)、妹神や御子神であるとも言われる。[[丹生都比賣神社]](和歌山県伊都郡かつらぎ町)では、祭神で、[[水神]]・[[水銀]][[鉱床]]の神である丹生都比賣大神(にうつひめ)の別名が稚日女尊であり、天照大神の妹神であるとしている。
兵庫県[[西宮市]]の[[越木岩神社]]には稚比売命の磐座がある。
[[玉津島神社]]の社伝の説明では、神功皇后が[[新羅|半島]]に軍を進めた時に、玉津島の神が大変な霊威をあらわしたため、皇后がこれに報いて、御分霊を葛城町天野の地にお鎮め申し上げたとある。 以来玉津島と天野に一神両所が並び立ったとされている。
玉津島神社は、[[住吉大社]]、柿本大神(明石)とともに、'''和歌三神'''と言われている。
=== 異説 ===
[[江戸時代]]に作られた[[偽書]]であるとする説がある『[[ホツマツタヱ]]』には、『[[記紀]]』よりも詳細に稚日女のことが記されている。
『[[ホツマツタヱ]]』によると、[[天照大神]]の諺名ワカヒトにちなんで名付けられた妹神、[[和歌]]の女神和歌姫(諺名は日孁子 ヒルコ 姫)の結婚前までの名前と記されている。また、[[スサノオ]]がしでかした、屋根を破って斑駒(ぶちごま)を投げ込む暴挙によって、落下して来た馬に動転して、不運にも手に持つ梭(ひ)で身を突いて死んでしまったと伝えられているワカヒメは、天照カミ([[天照大神]])の中宮セオリツ姫([[瀬織津姫]])ホノコの妹ワカ姫ハナコであり、[[玉津島神社]]に祀られている稚日女(ヒルコ姫)とは別人ということになっている。稚日女は[[オモイカネ]]と結婚後、下照姫([[シタテルヒメ]])と名を改め、滋賀県天の安川=野洲で[[瀬織津姫]]の御子神、[[天忍穂耳命]]を養育した。神上(かみあ)がってから後に、[[歳徳神]]と称えられたと『[[ホツマツタヱ]]』には記されている。
== 稚日女尊を祀る主な神社 ==
* [[香良洲神社]]([[三重県]][[津市]])<ref>三重県観光連盟 監修(1989):130ページ</ref>
* [[伊射波神社]] (三重県[[鳥羽市]])
* [[生田神社]]([[神戸市]][[中央区 (神戸市)|中央区]])
* [[玉津島神社]]([[和歌山県]][[和歌山市]])
* [[今宮戎神社]]([[大阪市]][[浪速区]])
== 参考文献 ==
* 三重県観光連盟 監修『ふるさとの散歩道 (三重県)』[[国土地理協会]]、平成元年9月第4版、426pp.
==関連項目==
*[[天照大御神]]
*[[織女]]
== 参照 ==
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[[Category:日本神話]]
[[Category:逃走女神]]