東周時代に書かれたとされる『山海経』の大荒西経によると、西王母は「西王母の山」または「玉山」と呼ばれる山を擁する崑崙の丘に住んでおり、西山経には
:「人のすがたで豹の尾、虎の玉姿(下半身が虎体)、よく唸る。蓬髻長髪に'''玉勝'''(宝玉の頭飾)を戴く。彼女は天の厲と五残(疫病と五種類の刑罰)を司る。」
という半人半神の姿で描写されている<ref>徐, 1998, pp164-222</ref>/ref。また、海内北経には。また、海内北経には
:「西王母は几(机)によりかかり、勝を戴き、杖をつく」
とあり、基本的には人間に近い存在として描写されている<ref>徐, 1998, pp164-178</ref>。