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南方熊楠は自身の著書『南方閑話』にて、日本を含めた世界で数多に存在する人柱伝説について紹介している。書かれている人柱の呪術的意図に関しては、62頁の「ボムベイのワダラ池に水が溜らなんだ時、村長の娘を牲にして水が溜まった」とあるように人柱により何らかの恩恵を求めたものや、64頁の「史記の滑稽列伝に見えた魏の文侯の時、鄴の巫が好女を撰んで河伯の妻として水に沈め'''洪水の予防'''とした事」、68頁の「物をいうまい物ゆた故に、父は長柄<!-- 当時は現在の北区長柄よりも広域の地名 -->の人柱 ― 初めて此の橋を架けた時、水神のために人柱を入れねばならぬと関<sup>''(要曖昧さ回避, 2016年5月)''</sup>を垂水村<!-- 垂水神社 (吹田市)の周辺。村制施行前の豊島郡 (摂津国)垂水村を参照、ただし当時はより広域の地名か。この記事での詳細な説明は不要だと思われる。歴史的な地名でもある垂水町 (吹田市)、あるいは垂水 (豊島郡)の立項が望まれるが、実際問題としては期待しがたい。 -->に構えて人を補えんとする」、68頁の「王ブーシーリスの世に9年の飢饉があり、キプルス人のフラシウスが毎年外国生まれの者一人を牲にしたらよいと勧めた」とあるように人柱によって災難を予防、もしくは現在起こっている災難の沈静化を図ったもの、69頁の「大洲城を龜の城と呼んだのは後世で、古くは此地の城と唱えた。最初築いた時下手の高石垣が幾度も崩れて成らず、領内の美女一人を抽籤で人柱に立てるに決し、オヒヂと名づくる娘が当って生埋され、其れより崩るる事無し」、71頁の「雲州松江城を堀尾氏が築く時成功せず、毎晩その邊(辺)を美聲で唄い通る娘を人柱にした」、87頁の「セルヴイアでは都市を建てるのに人又は人の影を壁に築き込むに非ざれば成功せず。影を築き込まれた人は必ず速やかに死すと信じた」とあるように人柱によって建築物を霊的な加護によって堅牢にする意図があったことが明らかとなっている。神話学者の高木敏雄によれば、建築物の壁などに人を生き埋めにし人柱をたてるのは、人柱となった人間の魂の作用で建物が崩れにくくなる迷信があったからだという。
なお、南方熊楠は『南方閑話』の92頁において[[座敷童子]]は人柱となった子供の[[霊魂|霊]]であると書いている。そのほか、罪人が人柱となる話や、82頁にあるようにある特殊な境遇の人間の血を建物の土台に注いだら建物が崩れにくくなるといった人柱同様の迷信が存在していたことも語っている。なお、南方熊楠は『南方閑話』の92頁において座敷童子は人柱となった子供の霊であると書いている。そのほか、罪人が人柱となる話や、82頁にあるようにある特殊な境遇の人間の血を建物の土台に注いだら建物が崩れにくくなるといった人柱同様の迷信が存在していたことも語っている。
もっとも興味深いのは、人柱の呪術的意図が変化することを語っている点である。78頁の「[[昼|晝間]]仕上げた工事を毎夜土地の神が壊すを防ぐとて弟子一人(オラン尊者)を生埋した。さらば[[ヨーロッパ|欧州]]が[[キリスト教]]と化した後も人柱は依然行なわれたので、此教は[[一神教|一神を奉ずる]]から地神抔は薩張り(さっぱり)もてなくなり、人を[[生贄|牲]]に供えて地神を慰めるという考えは追々人柱で土地の占領を確定し建築を堅固にして崩れ動かざらしむるという信念に変わった」もっとも興味深いのは、人柱の呪術的意図が変化することを語っている点である。78頁の「晝間仕上げた工事を毎夜土地の神が壊すを防ぐとて弟子一人(オラン尊者)を生埋した。さらば欧州がキリスト教と化した後も人柱は依然行なわれたので、此教は一神を奉ずるから地神抔は薩張り(さっぱり)もてなくなり、人を牲に供えて地神を慰めるという考えは追々人柱で土地の占領を確定し建築を堅固にして崩れ動かざらしむるという信念に変わった」
上記のようにその時々により、人柱の意味合いも変化していくことがわかる<ref>{{Cite book|和書 |author=南方熊楠|authorlink=, 南方熊楠 |date=, 1926-03-20 |title=, 南方閑話 |publisher=, 坂本書店出版部}}</ref><ref name="Minakata, Heibonsha (1971)">[[#Minakata, Heibonsha (1971)|『南方熊楠全集 第2巻 南方閑話・南方随筆他』 平凡社]]</ref><ref>{{Cite book|和書 |author=高木敏雄|authorlink=, 高木敏雄 |date=, 1925-05-20 |title=, 日本神話伝説の研究 |publisher=, 岡書院 |, ASIN=:B000JB8ZWA |chapter=, 人柱――埋められた人間の霊魂の作用で、工事が堅固になるという思想らしい |page=530}}, page530</ref>。
[[布施千造]]は、[[1902年]]([[明治]]35年)5月20日に発行された東京人類学会雑誌第194号の「人柱に関する研究」303頁―307頁<ref>東京人類学会雑誌 第194号 「人柱に関する研究」 1902年(明治35年)5月20日、303-307頁。</ref>にて、「人柱の名称」「人柱の方法」「人柱の材料」「人柱の起源」「人柱の行われし範囲」「人柱と宗教の関係」について書いている。「人柱の方法」については、自動的なものに、「名誉を遺さんとして人柱を希望するもの」「他人の為、水利を計らんとして身を沈むる者」とあり。他動的なものに、「突然拿捕せられて強制を以って人柱とせらるる者」「止を得ず涙を呑んで埋めらるるもの」とある。

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