== 言語 ==
アムール川流域およびその南方に居住するツングース・満洲語系民族]]には、ナナイ族のほかウリチ族、オロチ族、エヴェンキ(ネギダール)族、[[ウィルタ|ウィルタ族]]がおりアムール川流域およびその南方に居住するツングース・満洲語系民族には、ナナイ族のほかウリチ族、オロチ族、エヴェンキ(ネギダール)族、ウィルタ族がおり<ref name="ogihara55"/><ref name="77katoh283">[[#加藤1|加藤(1977)p.283]]</ref>、[[ナナイ語]]は[[ウィルタ語]]、[[ウリチ語]]とともに南ツングース語派に属している。なお、主としてサハリン島([[樺太]])に住む狩猟漁撈民であったウィルタ人には、自分たちの先祖がロシア極東の[[アムグン川]]一帯から[[トナカイ]]をともなってサハリンに移住したという伝承がのこる。、ナナイ語はウィルタ語、ウリチ語とともに南ツングース語派に属している。なお、主としてサハリン島(樺太)に住む狩猟漁撈民であったウィルタ人には、自分たちの先祖がロシア極東のアムグン川一帯からトナカイをともなってサハリンに移住したという伝承がのこる。
ナナイ語には上アムールと下アムールの二大方言があり、互いに明瞭に異なっている<ref name="redbook" />。文字は[[1930年代]]初め、ナイヒン地方の言葉を基本につくられた。文字は1930年代初め、ナイヒン地方の言葉を基本につくられた<ref name="redbook" />。
ナナイ族と言語・文化の点で最も近いのはウリチ(オルチャ)の人びとで、居住地はナナイ族よりも下流の一帯である<ref name="ogihara75">荻原(1989)p.75</ref>。ウリチの内称は「ナニ」(この土地の人)であり<ref name="ogihara75" />、17世紀から19世紀にかけて北方で展開された、かつての山丹交易にたずさわった「山丹人」に比定されている<ref>佐々木史郎(1996)</ref>。ナナイ語はまた、語彙や文法の面でエヴェンキの影響を受けている<ref name="redbook" />。
=== 生業と移動手段 ===
旧[[ソビエト連邦]]の民族学者、M・G・レヴィンとN・N・チェボクサロフは革命前の極東・シベリアの諸民族を、旧ソビエト連邦の民族学者、M・G・レヴィンとN・N・チェボクサロフは革命前の極東・シベリアの諸民族を、
# 海獣狩猟民
# タイガの狩猟・トナカイ飼養民
の5つに分類したが<ref name="kohno64">[[#河野|河野(1981)pp.64-68]]</ref>、ナナイは3.の漁撈民に含まれる{{refnest|group="注釈"|漁撈民に属するのは、他に[[カムチャツカ半島]]南部の[[イテリメン族]](カムチャダール族)、[[オビ川]]流域の[[ハンティ人|ハンティ族]]などであり<ref name="kohno64" />、アムール川流域ではウリチ(山丹人)やニヴフ(ギリャーク人)が漁撈を主な生業としている<ref name="94katoh166">[[#加藤2|加藤(1994)pp.166-170]]</ref>。}}。
ナナイの主な生業は、[[河川]]での[[サケ]]・[[マス]]漁などの[[漁撈]]であり、中国では[[キャビア]]採取のためなどの[[チョウザメ科|チョウザメ]]漁も行う<ref name="koto3" /><ref name="koto2" />。居住地は魚の豊富な大河や[[湖]]の沿岸、ないし[[川|河川]]の河口部である<ref name="94katoh166" />。また、河川の凍結する冬季には森林での[[狩猟]]も生業としてきた<ref name="koto2" />。[[植物]]の採集も生業の重要な一半を占めており、春から夏にかけて[[セリ]]の類を採集して食用とし、[[イラクサ]]や[[ヤナギ]]など[[繊維]]を採取するための草木も採集した<ref name="ogihara99">[[#荻原1|荻原(1989)pp.99-102]]</ref>。[[シラカンバ|白樺]][[樹皮]]の[[工芸]]でも知られる<ref name="koto2" />。夏季と冬季では集落と住居が異なり、そのどちらも定住的な生活の場である<ref name="ogihara94">[[#荻原1|荻原(1989)p.94]]</ref>{{refnest|group="注釈"|このような生活を送る民族には、ナナイのほか、ニヴフ、ウリチ、エヴェンキ、オロチ、[[アイヌ]]の一部がある<ref name="ogihara94" />。}}。