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==== 『揆園史話』 ====
上古、朝鮮半島から満州・モンゴル・中国北部に至る広大な版図を誇った帝国「檀君朝鮮」があったと伝える偽書。1972年に韓国国立中央図書館古書審議議員の李家源、孫寶基、任昌淳3人が17世紀の著であることを確認する認証書を公表したというが根拠不明であり、偽書説を覆すものではない。
 
==== 『檀奇古史』 ====
== 成立時代 ==
[[武田幸男]]によると、檀君朝鮮(檀君神話、檀君説話)が登場したのは、『[[三国遺事]]』と『[[帝王韻記]]』が著作される13世紀末期以前であり、『[[三国遺事]]』が拠る『[[古記]]』と『帝王韻記』が拠る『檀君本紀』は『三国史記』より古く、『三国史記』が拠る『旧三国史』系統の記事であることから、11世紀以前とする見解が多く、[[契丹の高麗侵攻]]の頃に形づくられ、[[モンゴルの高麗侵攻|モンゴルの高麗攻略]]の際に高い関心を引いて、[[朝鮮民族]]が巨大な苦難に直面するときに、民族統合の精神的[[エネルギー]]となった武田幸男によると、檀君朝鮮(檀君神話、檀君説話)が登場したのは、『三国遺事』と『帝王韻記』が著作される13世紀末期以前であり、『三国遺事』が拠る『古記』と『帝王韻記』が拠る『檀君本紀』は『三国史記』より古く、『三国史記』が拠る『旧三国史』系統の記事であることから、'''11世紀以前'''とする見解が多く、契丹の高麗侵攻の頃に形づくられ、モンゴルの高麗攻略の際に高い関心を引いて、朝鮮民族が巨大な苦難に直面するときに、民族統合の精神的エネルギーとなった<ref>{{Cite book|和書|author1=礪波護|authorlink1=礪波護|author2=, 武田幸男|authorlink2=武田幸男|date=, 1997-01|title=, 隋唐帝国と古代朝鮮|series=, 世界の歴史 (6) |publisher=[[中央公論新社|, 中央公論社]]|, isbn=:978-4124034066|page=256 }}, page256</ref>。[[田中俊明 (歴史学者)|田中俊明]]は、檀君朝鮮(檀君神話、檀君説話)は[[モンゴルの高麗侵攻]]時に、抵抗の拠り所とすべく成立されたとする意見を、外圧によってナショナリズムが覚醒するのは歴史の常としつつ、「檀君神話は、成立が少し遅れる『帝王韻記』にもみえており、『三国遺事』とは別の典拠があったようにみえる。その典拠の成立は、少なくとも、10世紀までさかのぼらせることが可能であり、とすれば、あらたに形成された伝説であっても、モンゴル侵入とは無関係であったと考えざるを得ない。そしてその場合、民族自尊の意識という点では、[[契丹の高麗侵攻|契丹の侵入]]がその背景にあったとみなすことができる。ただし、モンゴル侵入期においても、民族統合の[[シンボル]]として機能したことは十分に考えられる」とする。田中俊明は、檀君朝鮮(檀君神話、檀君説話)はモンゴルの高麗侵攻時に、抵抗の拠り所とすべく成立されたとする意見を、外圧によってナショナリズムが覚醒するのは歴史の常としつつ、「檀君神話は、成立が少し遅れる『帝王韻記』にもみえており、『三国遺事』とは別の典拠があったようにみえる。その典拠の成立は、少なくとも、10世紀までさかのぼらせることが可能であり、とすれば、あらたに形成された伝説であっても、モンゴル侵入とは無関係であったと考えざるを得ない。そしてその場合、民族自尊の意識という点では、契丹の侵入がその背景にあったとみなすことができる。ただし、モンゴル侵入期においても、民族統合のシンボルとして機能したことは十分に考えられる」とする<ref>{{Cite book|和書|author=田中俊明|authorlink=田中俊明 (歴史学者) |date=, 1999 |title=, 朝鮮地域史の形成|series=, 世界歴史|publisher=[[, 岩波書店]] |, ISBN=:978-4000108294 |pages=157, pages157-158}}</ref>。
[[矢木毅]]は、『[[漢書]]』地理志をはじめ中国史書にも檀君朝鮮に関する伝承はただの一言も触れられておらず、檀君朝鮮を伝える文献が存在しないことから、それらの史書が作られた当時は、檀君朝鮮の伝承が成立していなかったと考えるのが自然であり、檀君朝鮮の舞台は、太伯山と阿斯達であり、これらは[[平壌]]の周辺に存在するが、平壌の地は[[統一新羅]]の領域外であり、[[高麗]]の初代王[[太祖 (高麗王)|王建]]の北進政策により、高麗の領域に入ったにすぎず、従って[[高麗]]中期に平壌に存在した土俗的な信仰から創出された後世の説話であることが「[[定説]]」となっていると述べている{{Sfn|矢木毅|2008|p=45-46}}。

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