== 王倹について ==
[[平壌]]の古名として「王険」「王険城」が『[[史記]]』朝鮮列伝に出てくるのが初出であり、元来は地名である。12世紀の高麗時代に成立した正史『[[三国史記]]』[[高句麗]]本紀第五東川王の条には人名として王倹という語が出てくるが、平壌にかつて住んでいた[[仙人]]の名前としてであって、檀君という王がいたことは全く書かれていない。平壌の古名として「王険」「王険城」が『史記』朝鮮列伝に出てくるのが初出であり、元来は地名である。12世紀の高麗時代に成立した正史『三国史記』高句麗本紀第五東川王の条には人名として王倹という語が出てくるが、平壌にかつて住んでいた仙人の名前としてであって、檀君という王がいたことは全く書かれていない。
== 中国地理書 ==
=== 山海経 ===
{{quotation|{{lang|zh-Hant|東海之内,北海之隅,有國名曰朝鮮;天毒,其人水居,偎人愛之。}}<br blockquote>東海之内,北海之隅,有國名曰朝鮮;天毒,其人水居,偎人愛之。(山海経、海内経)</blockquote>|山海経|海内経}}{{Wikisourcelang|zh|山海經/海內經}}
=== 管子 ===
{{quotation|{{lang|zh-Hant|桓公曰:「四夷不服,恐其逆政,游於天下,而傷寡人,寡人之行,為此有道乎?」管子對曰:「吳越不朝,珠象而以為幣乎!發朝鮮不朝,請文皮毤。服而以為幣乎!禺氏不朝,請以白璧為幣乎!崑崙之虛不朝,請以璆琳琅玕為幣乎!故夫握而不見於手,含而不見於口,而辟千金者,珠也,然後八千里之吳越可得而朝也。一豹之皮容金而金也,然後八千里之發朝鮮可得而朝也,懷而不見於抱,挾而不見於腋,而辟千金者,白璧也,然後八千里之禺氏可得而朝也。簪珥而辟千金者,璆琳琅玕也,然後八千里之崑崙虛可得而朝也;故物無主,事無接,遠近無以相因,則四夷不得而朝矣。」}}<br blockquote>桓公曰:「四夷不服,恐其逆政,游於天下,而傷寡人,寡人之行,為此有道乎?」管子對曰:「吳越不朝,珠象而以為幣乎!發朝鮮不朝,請文皮毤。服而以為幣乎!禺氏不朝,請以白璧為幣乎!崑崙之虛不朝,請以璆琳琅玕為幣乎!故夫握而不見於手,含而不見於口,而辟千金者,珠也,然後八千里之吳越可得而朝也。一豹之皮容金而金也,然後八千里之發朝鮮可得而朝也,懷而不見於抱,挾而不見於腋,而辟千金者,白璧也,然後八千里之禺氏可得而朝也。簪珥而辟千金者,璆琳琅玕也,然後八千里之崑崙虛可得而朝也;故物無主,事無接,遠近無以相因,則四夷不得而朝矣。」(管子、軽重甲第八十)</blockquote>|管子|軽重甲第八十}}{{Wikisourcelang|zh|管子/第80篇輕重甲}}
中国最古の地理書である『[[山海経]]』には「朝鮮」、『[[管子]]』には「発朝鮮」と言う国名、地名が書かれており、「朝鮮」という地名はすでに紀元前4世紀頃から有った事が確認されている。しかし具体的にいまのどのあたりを指していたのかは説がわかれるため、はたして特定の決まった地域を指していたのかどうかも判然としない。もちろん「檀君朝鮮」の記述はない。中国最古の地理書である『山海経』には「朝鮮」、『管子』には「発朝鮮」と言う国名、地名が書かれており、「朝鮮」という地名はすでに'''紀元前4世紀頃から有った'''事が確認されている。しかし具体的にいまのどのあたりを指していたのかは説がわかれるため、はたして特定の決まった地域を指していたのかどうかも判然としない。もちろん「檀君朝鮮」の記述はない。
== 現代の檀君朝鮮 ==