夏家店上層文化において、石雕人面のようになにがしかの霊的あるいは神的な存在を「首のみ」で現される文化があるとしたら、それは1000年以上の時を隔てているにもかかわらず、大渓文化、良渚文化の「原始饕餮紋」と共通の文化ではないだろうか。であれば、「原始饕餮紋」と共通の文化的意味を石雕人面は持っているのではないか、と推察される。城背渓文化の太陽神石刻、大渓文化の人紋が弁髪であるとすれば、'''その起源は揚子江流域ではなく、略奪者の起源である中国東北部である可能性が高い'''のではないだろうか。とすれば、「原始饕餮紋」の発生源である中国東北部にその文化が後世まで色濃く残っている可能性があると考える。この「原始饕餮紋」の神の名には「'''2つの子音T'''」が含まれる可能性が高い。そして、遼河文明近隣が発生源であれば、遼河文明には「緑色の眼」の女神像もあることなので、白人文化との接触で、神話が白人にも伝わり、スキタイの西方への移動等で文化が西欧へ移動した可能性もあったと考える。ハプログループO2は、夏家店上層文化の時代になってようやく定住し、遺跡や文献を中心とした歴史学・考古学の中に登場してくるが、移動し遊牧して定住地を持たない「'''略奪者'''」、「'''支配者'''」としての1万年以上の歴史と文化を持っている集団なのではないだろうか。[[上山文化]]の環濠集落の存在がその証拠なのではないか、と思う。
西欧に移動した「TT」系の神は、主に男性の雷神、一部に[[ラダマンテュス]]のような冥界神、ティターン・[[ユミル]]のような巨人として現され、神とされることもあるが、悪魔とされることもままあり、その性質は多岐にわたるように思える。のような巨人、ドラゴンとして現され、神とされることもあるが、悪魔とされることもままあり、その性質は多岐にわたるように思える。[[ユミル]]が民間伝承化した[[トロール]]の一部には「'''子供のように泣き喚く'''」という性質がある。日本神話で、「TT」の子音を持ち粗暴な神に、加茂氏族の祖神である'''アヂスキタカヒコネ'''がいる。また「TT」の子音は持たないが、「'''子供のように泣き喚く'''」神に'''須佐之男'''がいる。また民間伝承に'''ダイダラボッチ'''という巨人がいる。
'''アヂスキタカヒコネ'''は死者が蘇ったもの、と受け取れる性質があり、饕餮と共通する。須佐之男は地上に追放され、いつの間にか冥界に住んでいるので'''冥界神'''である。須佐之男は馬とも関連する神であり、牧畜・畜産がほとんど発展しなかった古代日本では珍しく'''牧畜'''に関する神であることを思わせる神でもある。これらのことから、須佐之男は'''牧畜系の神であり、夏家店上層文化の首だけの石雕人面、要は「'''弁髪饕餮'''」とでも言うべき神が、古代日本で発展し確立したもの'''、と思われる。
ハプログループO2は日本に移動する際、あるいはその直後に日本の国土を調べ、水稲耕作に適する、と判断して水稲耕作を行う集団、あるいは技術を持つ集団を伴って渡来したのではないだろうか。大凌河氏の研究では古墳時代の渡来集団の遺伝子は現代日本人に近い、とのことであるが、古墳時代は為政者となった天皇が大陸から技術集団を招いては日本各地で働かせていた時代でもある。そのため、古墳時代の渡来技術者集団は日本各地に拡がり、現代日本人遺伝子の基盤を形成するに至ったかもしれないが、しかし、技術者として招かれた、という経緯がある以上、最頂点の権力者にはなり得なかった集団群であるようにも管理人は思う。古墳人が渡来してきた時には、もうすでに古代日本の身分秩序は確立していたし、弥生人というのはこのように、'''自らが技術を身につけるのではなく、必要な技術者を中国大陸から招いては、自らの権力や文化文明の発展維持に努めることに長けていた集団'''だったのではないか、と思う。とすれば、水稲耕作に関しても、技術者を伴うか招聘するかで、日本の国中に拡めた、とすることが妥当だと考える。もちろん招かれた集団は独自に水稲耕作に関する神や祭りは持っていたかもしれない。また、日本の母系の縄文系の人々にも当然独自の文化はあったはずである。だったのではないか、と思う。とすれば、水稲耕作に関しても、技術者を伴うか招聘するかで、日本の国中に拡めた、とすることが妥当だと考える。もちろん招かれた集団は独自に水稲耕作に関する神や祭りは持っていたかもしれない。また、日本の母系の縄文系の人々にも当然独自の文化はあったはずである。そこで、水稲耕作集団や縄文系の文化と併せた結果、太陽女神天照大神、月夜見、須佐之男という三貴子が作られることになったのではないだろうか。天皇家の祖神は天照大神と須佐之男の誓(うけい)から生まれたとされており、天照大神の子孫でもあるが、須佐之男の子孫でもある、というように日本の神話纏められている。ただし、須佐之男は本来であれば太陽神石刻のように「太陽を支える神」となるべきであったろうが、そうはならずに天照大神と対立する神として纏められているように思う。 要するに、弥生人の文化とは、牧畜民の文化と、稲作農耕民の異なる文化が混じっている文化であり、その原因は農耕を拡めたにも関わらず、弥生人の本体が夏家店上層文化に近い牧畜民だったことに起因するのだと考える。
== 参考文献 ==