日本への伝播ははっきりしていないが、イネの渡来よりも早い縄文中期~縄文時代後期(約4,000~3,000年前)と考えられている<ref>講談社編, 2013, p189</ref><ref>小西達夫:[http://www.yasaitobunka.or.jp/kenkyuu_kouenkai/20111212_satoimo_report01.html 世界のタロイモ -種の多様性と利用について-] 有名野菜品種特性研究会 「有名野菜品種特性研究会(サトイモ)」報告</ref>。なお、鳥栖自生芋(佐賀県鳥栖市)のほかに、藪芋、ドンガラ、弘法芋(長野県青木村)と呼ばれる'''野生化したサトイモ'''が、本州各地にあることが報告されている<ref>「[http://portal.dl.saga-u.ac.jp/handle/123456789/13543 佐賀県鳥栖市に自生しているサトイモについて]」『佐賀大学農学部彙報』佐賀大学農学部 Vol.71 pp.113 -122</ref>。このうち、青木村の弘法芋群生地は県指定天然記念物となっている<ref>平安時代初期の仏教僧侶・空海(弘法大師)にちなむ伝説から、弘法芋と呼ばれる。別名「石芋」。[http://www.vill.aoki.nagano.jp/assoc/see/ishiimo/ishiimo.html 県指定天然記念物 沓掛の野生里芋] 青木村ホームページ(2018年12月7日閲覧)</ref>。伝播経路は不明であるが、黒潮の流れに沿って北上したと考える研究者がいる<ref>橋本征治「[https://hdl.handle.net/10112/3088 台湾蘭嶼におけるタロイモ栽培]」『関西大学東西学術研究所紀要』第40輯, 2007年4月1日, pp.55-77</ref>。
[[昭和]]30年代ごろまでは、[[高知県]]や[[熊本県]]([[五家庄|五家荘]])などでは山間地での[[焼畑農業|焼き畑]][[輪作]]農業により栽培されていた<ref>横川末吉「[https://doi.org/10.4200/jjhg1948.7.41 高知縣の燒畑耕作]」『人文地理』1955年 7巻 1号 pp.41-48, {{doi|10.4200/jjhg1948.7.41}}</ref><ref>上野福男「[https://doi.org/10.4157/grj.14.93 五家荘の燒畑耕作]」『地理学評論』1938年 14巻 2号 pp.93-120, {{doi|10.4157/grj.14.93}}</ref>。
日本の食文化とサトイモの関わりは関係が深く、古い時代から月見の宴などの儀礼食に欠かさない食材で使われており、サトイモを餅の代用にした「餅なし正月」の習俗も日本各地で見られた<ref>講談社編, 2013, p189</ref>。戦国時代には野戦携行食として、茎葉の皮を剥いて乾燥させた保存食「干し ずいき」「芋がら」が重宝された。