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、 2022年5月28日 (土) 01:27
{{出典の明記|date=2021年10月22日}}
'''日本神話における食物起源神話'''(にほんしんわにおけるしょくもつきげんしんわ)では、日本神話における、食物の起源に関する神話について記述する。
日本神話における食物起源の記述には、東南アジアでよく見られるハイヌウェレ神話の特徴が見られる。即ち、排泄物から食物などを生み出す神を殺すことで食物の種が生まれたとするものである。
<ref>独自研究範囲、また、天から食物の種を携えた神が天降って来たとする記述も見られる。これはギリシャのデーメーテール神話に類似している。, 2021年10月</ref>
== ハイヌウェレ神話型 ==
=== 大気都比売神と須佐之男命 ===
『古事記』においては、岩戸隠れの後に高天原を追放された速須佐之男命(素戔嗚尊)が、食物神である[[大宜都比売|大気都比売神]](おおげつひめ-)に食物を求めた話として出てくる。
[[大宜都比売|大気都比売神]]は、鼻や口、尻から様々な食材を取り出して調理して須佐之男命に差しあげた。しかし、その様子を覗き見た須佐之男命は食物を汚して差し出したと思って、[[大宜都比売|大気都比売神]]を殺してしまった。
[[大宜都比売|大気都比売神]]の屍体から様々な食物の種などが生まれた。頭に蚕、目に稲、耳に粟、鼻に小豆、陰部に麦、尻に大豆が生まれた。神産巣日神(神産巣日御祖命・かみむすび)はこれらを取って五穀の種とした。
=== 保食神と月夜見尊 ===
『[[日本書紀]]』においては、同様の説話が[[神産み]]の第十一の一書に[[ツクヨミ|月夜見尊]](月読命・つくよみ)と[[保食神]](うけもち)の話として出てくる。
[[天照大神]]はツクヨミに、[[葦原中国]]にいるウケモチという神を見てくるよう命じた。ツクヨミがウケモチの所へ行くと、ウケモチは、口から米飯、魚、毛皮の動物を出し、それらでツクヨミをもてなした。ツクヨミは汚らわしいと怒り、ウケモチを斬ってしまった。それを聞いたアマテラスは怒り、もうツクヨミとは会いたくないと言った。それで太陽と月は昼と夜とに別れて出るようになったのである。
アマテラスがウケモチの所に天熊人(あめのくまひと)を遣すと、ウケモチは死んでいた。保食神の亡骸の頭から[[牛]][[馬]]、額から[[粟]]、眉から[[蚕]]、目から[[稗]]、腹から[[イネ|稲]]、陰部から[[ムギ|麦]]・[[大豆]]・[[小豆]]が生まれた。アメノクマヒトがこれらを全て持ち帰ると、アマテラスは喜び、民が生きてゆくために必要な食物だとしてこれらを田畑の種とした。
=== 稚産霊 ===
また、日本書紀における神産みの第二の一書には、火の神[[カグツチ|軻遇突智]](火之迦具土神・かぐつち)と、[[伊弉冉尊]](伊邪那美命・いざなみ)が亡くなる直前に生んだ土の神・埴山媛(はにやまひめ)の間に生まれた[[ワクムスビ|稚産霊]](和久産巣日神・わくむすひ)の頭の上に蚕と桑が生じ、臍(ほぞ)の中に五穀が生まれたという説話がある。ワクムスビが亡くなる(殺された)かどうかの記述はないが、ハイヌウェレ神話型に分類されるものである。<!---[[ハイヌウェレ型神話]]は元の記事に出典がありますが、日本神話における食物起源神話がデーメーテール神話型に分類できるとの主張に対する出典がいまのところないため、学説としてしっかりした出典が掲載されるまで隠しておきたいと思います
== デーメーテール神話型 ==
=== ニニギ ===
日本書紀における[[天孫降臨]]の第二の一書には、天照大神が、高天原にある稲穂を[[アメノオシホミミ|天忍穂耳命]](あめのおしほみみ)に授け、オシホミミは天降る際に生まれた[[ニニギ|瓊々杵尊]](邇邇芸命・ににぎ)にそれを授けて天に帰ったとの記述がある。
また、日向国風土記逸文には、天降ったニニギが天から持って来た籾を地上に撒き散らしたとある。
=== 五十猛神 ===
日本書紀における[[ヤマタノオロチ退治]]の第四の一書では、高天原を追放された素戔嗚尊は[[新羅]]に降りたが、「ここにはいたくない」と言って出雲へ向かう。この時、スサノヲの子の[[五十猛神]](いそたける)は高天原から持って来た木々の種を新羅には植えず大八洲国(日本)に撒いたので、大八洲国は青々とした地になったとしている。-->
== 縄文の神話 ==
神話学者の[[吉田敦彦]]は、[[縄文時代]]中期の[[土偶]]の大半が[[地母神]]的な女性を表現しており、且つ破壊されている点に注目した<ref name="N">『日本人の女神信仰』 吉田敦彦</ref>。これは「地母神が殺されてバラバラにされ、そこから人々の役に立つものが誕生した」という神話を、女神の表象である土偶を破壊して分割する行為によって儀礼的に再現した痕跡ではないか、と考えたのである<ref name="N" />。この説によると[[ハイヌウェレ型神話]]は芋(あるいは五穀)栽培と共に既に縄文中期に日本列島で知られていた、という事になる<ref>吉田敦彦 『昔話の考古学 山姥と縄文の女神』 中央公論社</ref>。
== 備考 ==
* [[佐原真]]は、考古学の観点・立場からは縄文中期の土偶破壊儀礼に当たる考古資料が[[弥生時代]]や[[古墳時代]]には確認されないことから、日本神話(高天原神話)が縄文時代までさかのぼるという考え方には不安が残るとし、神話の連続性(民俗伝承・文化を考古資料で裏付けようとする時間軸を無視した説)に関しては問題点を呈している(森先一貴 近江俊秀 『境界の日本史 地域性の違いはどう生まれたか』 朝日新聞出版 2019年 p.16)。
== 参照 ==
{{DEFAULTSORT:にほんしんわにおけるしよくもつきけんしんわ}}
[[category:日本神話]]