冒頭で翁の瘤の大きさが「大柑子(おおこうじ)」(大ぶりのみかん)ほどあると描写されるが<ref>塚本, 1922, p4</ref><ref>小林, 2007 ,p14</ref><ef>この「大柑子」ほどの瘤のせいで人と交わる生業につけなかったと続くが、稿本によってはそれらの記述は欠落する。</ref>、これは現在の夏みかんの事だとも推察されている<ref name="NKDJ-ookoji">"[https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E6%9F%91%E5%AD%90-2014762 ōkōji 大柑子]"『精選版 日本国語大辞典』 @ Kotobank. 2020年04月24日閲覧。</ref>。また、この瘤のせいで人と交わることができず、薪を集めて生業にしていたと、職業が木樵であったことが明確になっている<ref>小林, 2007, p14</ref><ref name="ishii">石井, 正己『[https://books.google.co.jp/books?id=3ilMAAAAMAAJ&dq=%22%E7%98%A4%22+%22%E7%9B%AE%22+%22%E9%BC%BB%22+%22%E9%AC%BC%22&redir_esc=y 絵と語りから物語を読む]』大修館書店、1997年、64-68頁。ISBN 4469221333。</ref><!-- 石井 p. 64 -->。
また、宇治拾遺物語では、様々な姿かたちの鬼について詳細に書かれており、口のないもの、一つ目のもの、青色を着た赤鬼、赤を着て、たふさぎ(ふんどし<!--またふたぎのつまったもの-->)を履いた黒鬼が登場する<ref name="nagano">長野, 甞一『[https://books.google.co.jp/books?id=ZyxJAAAAMAAJ&q=%22%E3%81%93%E3%81%B6%E5%8F%96%E3%82%8A%22&redir_esc=y 古典文学研究必携]』学燈社、1967年2月、106頁。;再掲:長野甞一『[https://books.google.co.jp/books?id=u2Y3AAAAMAAJ&dq=%22%E3%81%93%E3%81%B6%E5%8F%96%E3%82%8A%22&redir_esc=y 説話文学論考]』笠間書院、1980年、241頁</ref>。また、何か大切なものを質草に取られる場面では、そもそも鬼の方が、こぶは「福の物」と愛でられることであるし、と当時の迷信をとりあげて瘤を取ることに決めそうなところを、翁が口出しして「目や鼻ならば取ってもいいが、瘤だけは自分にとって大切なものであって、それだけは取らないでほしい」と懇願するのである<ref name="ishii" /><ref>日本の鬼は、賄賂を取って便宜を図るなど人間臭さをみせ、西洋の悪魔にくらべてユーモラスに描かれる、と指摘される</ref><ref name="nagano" />。}}<!--他にも、怖ろしいと思われている鬼が愛嬌者であるなど、随所で発想の転換がみられ、ユーモラスな話となっている, 2020年4月-->。
また、締めくくりに〈ものうらやみをしてはいけない〉という教訓的な言葉が見られる<ref>塚本, 1922, p9</ref><ref>小林, 2007, p18</ref>。