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龍石というのは、邑智郡に八色石村という駅があって、駅の荘屋・野田鹿作の家の裏山に、八色の石があったのを、神体として祀ったのが龍石である。その理由は、この石がともすれば人に祟って、よくなかったからだ。人々の嘆きが大きいので、役所が'''素佐鳴尊を添えて祀った'''ところ、祟りはなくなったとのことだ。三月三日が祭日である。山に上ること八丁、岩の形をよく見ると、蛇の頭のようである。山を下て、鳥居の前にある田中に一つの岩があるが、これは蛇を切って飛び散った血が、変化したものだという。また山に一丁上ると、川中に'''夫婦石'''とて、二つの石がある。是も血が飛び散って変化したものだと語り伝えている。<ref>浜田古事抜粋より独酔園独醒『石見海底能伊久里』に引用されたものを要約した。</ref></blockquote>
=== 私的解説・伊奴姫神と天豊足柄姫命神社 私的解説・伊奴姫神と天豊足柄姫命神社他 ===
島根県浜田市にある[[石見天豊足柄姫命|天豊足柄姫命神社]]には「'''神が石と化した事は根拠がなくて信ずる事が出来ない'''」というやや曰くありげな解説の碑文が建てられている。これは「大蛇を退治した娘」の類話であって、娘が[[石見天豊足柄姫命|天豊足柄姫命]]、供をするのが[[八束水臣津野命]]、悪しき大蛇が「干魃を起こす蛇神」とされている。ミャオ族神話と比較すれば、石に変わるのは[[シィウニュウ]]なので、その役を女神の側にすり替えてしまったといえる。このような「すり替え」は日本神話だけにみられることではない。おそらく、日本で神話を書き換えてしまったのは、葛城氏・賀茂氏系の人々ではないかと思う。彼らは八岐大蛇退治の神話でも、退治する英雄を須佐之男という[[太昊型神]]に書き換えてしまっているので、その流れではないだろうか。そこに釘を刺すような解説の碑文を残したのは、物部氏系の方かもしれないと思う。おそらく、元は「神は石になっていない」と知っていたのかもしれない。
ともかく尾張国の'''伊奴姫神'''は、出雲では[[石見天豊足柄姫命|天豊足柄姫命]]という人型の女神だし、彼女の父親で盤瓠に相当する「供をする犬神」とは、[[八束水臣津野命]]のことだと、この伝承からも分かる。
 
インド神話では、干魃を起こす蛇神ヴリトラをインドラという雷神が倒す。[[ミャオ族]]神話の[[盤瓠]]が、[[クーポゥ]]老人と「同じ神」と思われる[[アペ・コペン]]と対立する[[オンドリ雷神|雷公]]でもあるとすると、インドラはインド神話における[[盤瓠]]の姿ともいえる。インド神話では、ヴリトラを倒した女神の姿が省略されてしまい、供であった盤瓠が直接これを倒した、という話になってしまったのだろう。
 
インド神話ではヴリトラの性別は明らかになっていない。しかし、中国神話では、[[魃]]女神と応竜が[[蚩尤]]と戦い、勝ちはしたが、二人とも天に帰れなくなって地上にとどまり、[[魃]]女神は干魃を起こす神となった、とされている。黄帝を中信とした中国神話は改変が著しいのだが、[[魃]]女神の中には、日本でいう[[天豊足柄姫命]]と'''干魃蛇女神'''の両方が習合されてしまっているように思う。蚩尤が牛竜であって、ミャオ族神話のクーポゥ老人及びシィウニュウと「同じ神」だったとすると、'''干魃蛇女神は伝承によって、「干魃蛇神と戦う女神」に習合させられたり、「干魃蛇神」の方に習合させられたりしているように思う'''。中国神話では、彼女は「戦う女神」の方に習合させられて、'''[[蚩尤]]'''と戦う。でも、その結果、元の姿の'''干魃蛇女神'''に戻ってしまうのだ。このように「戦う女神」が「'''戦いの後、その後遺症のように不吉な性質になってしまう'''」という後から習合させられたモチーフが天豊足柄姫命の伝承にも英上を与えて、彼女は蛇神を倒した後「石と化してしまう」という話の成立につながったのではないだろうか。このように変化させて話を進めていけば、石と化した天豊足柄姫が、また新たな「怨霊」と化して災厄を起こす、という神話を次々と作っていくことができるようになるのではないだろうか。
== 伊奴神社 ==

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