近世まで'''熊野権現'''と称していた。社伝によれば、天武天皇(白鳳)2年(673年)、この地で取れた稲を皇室に献上した際に社殿を建立したと伝えられる<ref name="由緒"/>。神鏡が12枚伝わっているという。周辺には「稲生遺跡」と呼ばれる遺跡があり、古代から中世の[[須恵器]]などが出土している。
最も古い[[棟札]]として[[永享]]2年([[1430年]])のものがあったとされる。[[文明]]2年([[1470年]])の棟札には以下のようにある{{Sfn|最も古い棟札として永享2年(1430年)のものがあったとされる。文明2年(1470年)の棟札には以下のようにある<ref>名古屋郷土文化会|, 1984|pp=1, p1-2}}</ref>。{{Quotation|<blockquote>奉造立天照大神御殿 大檀那尾州山田稲生住人源朝臣 祢宜大夫 藤原安重|文明二年棟札}}藤原安重(文明二年棟札)</blockquote>
[[元禄]]年間の棟札には、以下のように「熊野明神」と「稲生明神」が併記されており、古くは[[熊野権現]]と[[稲荷]]を祀っていた可能性が指摘されている{{Sfn|元禄年間の棟札には、以下のように「熊野明神」と「稲生明神」が併記されており、古くは熊野権現と稲荷を祀っていた可能性が指摘されている<ref>名古屋郷土文化会|, 1984|pp=1, p1-2}}</ref>。{{Quotation|<blockquote>奉崇秘稲生明神 倉稲魂神<sub>稚産霊神 保食神霊</sub> 慎而之改|元禄八年棟札}}慎而之改(元禄八年棟札)</blockquote>{{Quotation|<blockquote>奉崇秘熊野明神 伊弊並神<sub>早玉男神 天熊人神 事解男神</sub> 慎而之改 |元禄八年棟札}}慎而之改(元禄八年棟札)</blockquote>
江戸前期成立の『[[寛文村々覚書]]』には「稲生村...熊野権現 社内年貢地」とある{{Sfn|名古屋郷土文化会|1984|pp=1-2}}。[[幕末]]まで山田家が社人を務めていたという{{Sfn|名古屋郷土文化会|1984|pp=1-2}}。