平安時代末期、清涼殿に、毎晩のように黒煙と共に不気味な鳴き声が響き渡り、天皇がこれに恐怖していた。遂に天皇は病の身となり、薬や祈祷をもってしても効果はなかった。天皇の側近たちは'''弓の達人'''である源頼政に怪物退治を命じた。頼政はある夜、家来の'''猪早太'''(井早太との表記もある<ref>梶原正昭・山下宏明 校注, 平家物語・上, 1991, 岩波書店, 新日本古典文学大系, isbn:978-4-00-240044-0, p256</ref>)を連れ、名弓「'''雷上動'''」(らいしょうどう)を手にして怪物退治に出向いた。頼政が怪物を'''山鳥の尾'''で作った矢で射ると、悲鳴と共に'''鵺'''が落下し、すかさず猪早太が取り押さえてとどめを差した<ref name="koube" /><ref>2013-05, 葛飾北齋筆『源賴政鵼退治図』, 10(1411), 図版, 國華社, 東京, 淺野 秀剛, 特輯 ファインバーグ・コレクション, Volume:118, https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000008657, ISSN:0023-2785</ref>。これにより天皇の体調もたちまちにして回復し<ref name="walker">村上, 2002, p64-76</ref>、頼政は天皇から褒美に獅子王という刀を貰賜した。
退治された鵺のその後については諸説ある。『平家物語』などによれば、京の都の人々は鵺の祟りを恐れて、死体を船に乗せて[[鴨川 (京都府)|鴨川]]に流した。淀川を下った船は大阪東成郡に一旦漂着した後、海を漂って退治された鵺のその後については諸説ある。『平家物語』などによれば、京の都の人々は鵺の祟りを恐れて、死体を船に乗せて鴨川に流した。淀川を下った船は大阪東成郡に一旦漂着した後、海を漂って[[芦屋川]]と[[住吉川 (兵庫県)|住吉川]]の間の浜に打ち上げられた。芦屋の人々はこの屍骸をねんごろに葬り、鵺塚を造って弔ったという<ref name="koube" />。鵺を葬ったとされる鵺塚は、『摂津名所図会』では「鵺塚 芦屋川住吉川の間にあり」とある<ref name="koube" />。
別説では鵺の死霊は一頭の馬と化し、木下と名づけられて頼政に飼われたという。この馬は良馬であったために[[平宗盛]]に取り上げられ、それをきっかけに頼政は反平家のために挙兵([[以仁王の挙兵]])してその身を滅ぼすことになり、鵺は宿縁を晴らしたのだという<ref name="murakami" />。