差分

ナビゲーションに移動 検索に移動
362 バイト除去 、 金曜日 01:04
編集の要約なし
'''羲和'''(ぎわ、ぎか、Xīhé)は、中国神話に登場する太陽にまつわる神である。或いは、伝説上の官吏ともいわれる。神としての羲和は、太陽の御者、若しくは太陽の母とみなされる。官吏としての羲和は、羲氏と和氏の4人に分けられて四方に配され、天文を司ったとされる。(ぎわ、ぎか、Xīhé)は、中国神話に登場する太陽にまつわる神である。或いは、伝説上の官吏ともいわれる。神としての羲和は、夫は[[帝俊]]とされる。太陽の御者、若しくは太陽の母とみなされる。官吏としての羲和は、羲氏と和氏の4人に分けられて四方に配され、天文を司ったとされる。
== 淵源 ==
== 記述 ==
文献に登場する羲和の[[神話]]には、大まかに2つの類型がある。一つは太陽の御者(日御)としての羲和、もう一つは10個の太陽を生んだ母神(十日の母)としての羲和である。一方、羲和を四人に分けて官吏として記した文献もある{{R|nipponica}}。文献に登場する羲和の神話には、大まかに2つの類型がある。一つは太陽の御者(日御)としての羲和、もう一つは10個の太陽を生んだ母神(十日の母)としての羲和である。一方、羲和を四人に分けて官吏として記した文献もある。 
=== 日御 ===
[[ファイル:Xi He.JPG|thumb|[[西湖 (杭州市)#西湖新十景|満隴桂雨]]公園にある羲和像。[[竜]]車を御する姿を表現している。]]太陽の御者としての羲和の名前が知られるようになったのは、屈原の楚辞『離騒』に詠まれたことによる。『離騒』には、太陽の御者としての羲和の名前が知られるようになったのは、[[屈原]]の[[楚辞]]『[[離騒]]』に詠まれたことによる。『離騒』には、{{Quotation|吾、羲和をして節を{{Ruby|弭|とど}}めて、{{Ruby|崦嵫|えんじ}}を望んで、迫る勿からしむ。<blockquote>吾、羲和をして節を弭(とど)めて、崦嵫(えんじ)を望んで、迫る勿からしむ。<br />(羲和に車を止めるよう命じて、夕日を崦嵫(日の入る山)に近づけさせないようにした。)|2=屈原|3=『離騒』{{R|jin18}} }}(羲和に車を止めるよう命じて、夕日を崦嵫(日の入る山)に近づけさせないようにした。)(屈原, 『離騒』)</blockquote>とある。同様に、羲和を太陽の御者として扱っている古典には、思想書『[[淮南子]]』がある。その天文訓には、とある。同様に、羲和を太陽の御者として扱っている古典には、思想書『淮南子』がある。その天文訓には、{{Quotation|爰に羲和を止め、爰に六[[螭]]を息む、是を懸車と謂ふ。|『淮南子』巻三 天文訓|{{R|saeki16}} }}<blockquote>爰に羲和を止め、爰に六螭を息む、是を懸車と謂ふ。(『淮南子』巻三 天文訓)</blockquote>とあり、『淮南子』のこの記述を引用した[[類書]]『[[初学記]]』には、とあり、『淮南子』のこの記述を引用した類書『初学記』には、{{Quotation|日車に乘り、駕するに六[[龍]]を以てし、羲和之を御す。|『初學記』巻一|{{R|saeki16}} }}<blockquote>日車に乘り、駕するに六龍を以てし、羲和之を御す。(『初學記』巻一)</blockquote>と注釈が付けられていて、六頭の龍が牽引し太陽を運ぶ懸車を羲和が御する、という伝説のあったことがわかる{{R|murata06}}{{Refnest|<ref group="注"|>太陽を引く車にまつわる「太陽の馬車」神話は世界各地にあるが、羲和の場合は[[''']]が引く「竜車」であることに特徴があり、太陽と竜蛇の結び付きが強い[[中国]]古代の信仰の現れとみられる'''が引く「竜車」であることに特徴があり、太陽と竜蛇の結び付きが強い中国古代の信仰の現れとみられる</ref><ref name="matsumae64">{{Citation |和書 |last=松前 |first=健 |author-link=松前健 |date=, 1964-08-31 |title=伏羲・女媧の神話と華南の竜蛇崇拝(第二回研究大会) |journal=, [[伏羲]]・[[女媧]]の神話と華南の竜蛇崇拝(第二回研究大会), 民族學研究 |volume=29 |issue=1 |pages=71, volume29, issue1, p71-74 |, doi=:10.14890/minkennewseries.29.1_71 }}</ref>。}}==== 羲和と竜車 ====羲和の車が「竜車」であるのは、天上世界で彼女が使役しているのが、彼女の下位の夫の一人である雷神(竜神)が彼女の随神だと考えられたからではないだろうか。羲和は母系の時代の女神であって、いわゆる「[[燃やされた女神]]」であり、夫の[[帝俊]]以外にも、もう一人夫がいたと考える。
=== 十日の母 ===
[[ファイル:Imperial Encyclopaedia - Borders - pic138 - 羲和國.png|thumb|『[[山海経]]』大荒南経を引いた『[[古今図書集成]]』方輿彙編・辺裔典の[[挿絵]]にみられる「羲和國」{{R|gtj}}。]]
[[ファイル:Wu liang shrine relief depicting xihe, yi, and fusang tree.jpg|thumb|[[武氏祠]]の[[画像石]]の一つ([[拓本]])。[[扶桑]]の木と、そこに懸車を繋ごうとする羲和、太陽を射ようとする[[羿]]を描いている{{R|edouard}}。]]
太陽の母としての羲和を描いたものとして有名な古典には、『[[山海経]]』がある。その「大荒南経」には、
{{Quotation|東南海之外、甘水之間、有羲和之国、有女子名日羲和、方日浴于甘淵、羲和者、[[帝俊]]之妻、生十日<br />(東南海の外、甘水の間に羲和の国がある。女性がいて、名は羲和といい、甘淵で太陽に水浴びさせた。羲和は帝俊の妻であり、十の太陽を生んだ。)|『山海経』大荒南経|{{R|iizuka14|yin17}} }}
{{DEFAULTSORT:きわ}}
[[Category:中国神話]]
[[Category:吊された女神燃やされた女神]]

案内メニュー