<blockquote>'''洪水があった際'''に、犬を食べようと思って殺し、戯れにその首を切って竹竿の先に刺して痴情に建てたら面白かった。猿なら犬よりもまだ愉快だろうと考えて、猿を殺して建てたら更に面白かった。人間の首ならどうだろうかと思い、悪戯をする小児がいたのでその児を殺して建てたらとても面白かった。洪水が引いた後、小児を殺した楽しさを思い出し、他社の首を取ってみよう、ということになってそれぞれの社で首を狩るようになった。これが首狩りの始めである。他社の者を殺して、その者の名を氏族の名とするようになって氏族の数が増えた<ref>北ツゥオ族タパグ部族タパグ社、神々の物語、台湾原住民文学選5、神村徹編、草風館、2006年8月1日出版、p84-86</ref>。</blockquote>
=== 私的解説 ===
クーポゥ老人は台湾サイシャット族のオッポェホボンという神に相当し、元はいわゆる'''「洪水神話」の直後に、一人の人物が殺されて切り刻まれ、そこから人類が発生した'''、という話の変形であることが分かる。湘西のミャオ族のバロン・ダロン神話と比較すれば、こちらでは「石片」がばらまかれて人類が発生した、とされているところが「肉片」とされている。クーポゥ神話では、竜を焼いてバラバラにしたものを人々が食べたことになっている。呪術的には「食べた人」と「食べられたもの」は'''一体化する'''と考えられるので、人々は竜神と一体化することで、竜人となる、と考えられたのかもしれない。
というものが本来の伝承だったと考える。「クーポゥの復讐譚」は後からその行為を正当化するために、別の「復讐譚」を流用して付け加えられたものなのではないだろうか。現在の伝承では、[[盤瓠]]犬が直接人間の子孫となったように受け取れるが、本来の伝承は『'''「殺された人」を食べたある女神(娘)が父を「再生させて」犬に生まれ変わらせた'''』というもののだったと考える。殺された男性を食べたのが、彼の子孫だったとするならば、この「女神」も「'''[[盤瓠]]の娘'''」だったのだといえるのではないだろうか。とすれば、他の伝承では彼女も「'''犬'''」と表されている可能性があるように思う。そして、'''[[盤瓠]]'''と「[[イヌ]]にその姿を仮託している男性」は「'''生まれ変わることのできる人間'''」だった、と人々が考えていたことが分かる。
クーポゥ老人が、台湾原住民サイシャット族の伝承のオッポェホボンと元は「同じ神」だとすると、クーポゥ老人の本来の神話的役割は、洪水神話のバロン、チャンヤンのように「何かの細片から人類を発生させる神」だったと思われる。しかし、それ以前は、チャンヤン神話の「グーワン」という魔物のように、「'''老雌豚を食べる神'''」とされていたのではないだろうか。豚は中国では「月」の化身ともされる。グーワンの名はクーポゥと類似しており、元は「同じ神」だったと考える。グーワンは、「洪水の際に月神他」を食べてしまった神、であり、家族であった人々も共食した、ということではないのだろうか。それが次第に「1年に1頭の月神を食べる(要するに人身御供の更新料を要求する)」ようになり、それ以外にも災厄の際に供犠を要求するような、いわゆる中国神話的な河伯へと変化していったものと思われる。しかし、ミャオ族の中には彼の行為を正当化し、英雄視する思想が生まれたため、神話が「竜船祭」の起源譚として再編されたのだろう。
しかし、盤瓠犬と2頭の龍神の頭が船のへさきに飾られたり、祭に先立って雄鶏が殺される(雄鶏とは雷神の象徴である)、といった本来の神話の名残が祭祀に残されていると考える。クーポゥ老人の名は、バロン・ダロン神話の父神アペ・コペンにも類似している。これも「同じ神」とすれば、アペ・コペンと対立したのは雷公である。雷公のトーテムは鶏である。とすれば英雄クーポゥは「雷公」を倒したアペ・コペンでもあって、竜船祭で倒された「竜神」とは「雷公(雄鶏)」のことでもあるといえる。だから、人々は祭に先立ち、雄鶏を殺すのではないだろうか。これは英雄クーポゥ(そしてアペ・コペン)が竜神(雄鶏雷公)を倒した記念の祭という意味なのではないだろうか。
== 参照 ==