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この「お舟祭」と比較すると、龍船祭で舟に飾るという[[盤瓠]]の頭と、2つの龍頭とは、「食べてしまった龍神達」の魂をかたどったものと考えられる。というか、[[盤瓠]]犬の魂がすぐに見つからなかったのは、燃やして食べてしまったからで、その後でみんな吐き戻してようやく頭の霊だけ再生したのでは? と思う。毎年、燃やしたり、食べたり、神事という名の「'''呪術'''」なのでは、と感じてしまう。(ちなみに下社はあからさまに葛城・賀茂氏系の神社であると思う<ref>そして、ものすごく個人的な見解だけれども、龍船祭の日本への伝播を語る際に、「お舟祭」のことに言及せずに沖縄のことだけ触れる、とかそういうことに、そもそも好感が持てない。沖縄の人達は「来訪神」とやらに「やれ」と言われたことをやらされているだけの気の毒な人達にしか、個人的には思えないので。本質的な根っこの方に一言も触れずに、枝葉のことをあげつらうようなやり方はいかがなものか、とそういう印象しか受けない。だって、これはスポーツでも、競争でもなく、根っこの方に「親食いのろくでなしを死刑にするのが正しいのか正しくないのか」という大きな問題があるからである。現代の日本だって、尊属殺人を3人続けてやったら、死刑が妥当でしょうが、と個人的には思う。1万年も前の出来事だったとしても、我ら一族郎党は何故このろくでなしのやったことを正当化しようとして見苦しくもがき続けなければならないのだろうか、とそう思わずにはいられない。</ref>。)
「'''龍船の意味'''」。このように見ていくと、ミャオ族の「龍船」、諏訪大社下社の「お舟」の意味は「'''魂を運ぶ器'''」という意味のようである。豊穣を願う祭祀の場合は、神々の魂を招じ入れて「'''豊穣をもたらしてくれる神'''」として化生させる「壺」の役割を果たすのではないだろうか。アボリジニの虹蛇エインガナは、人々をいったん飲み込んで、「自らの僕」に化生させて外に放つ、とされる。「舟」とは、広く死者(特に溺死者)の魂を水の中からすくい上げて、供養し、良くいえば日本風だと「成仏させる」とか、「新しい来世に送り出す」とかそのような意味を持つ装置となると考えるが、呪術的にいえば、「舟の龍神(そして舟の持ち主である人間)」にとって都合の良い使役霊に作り替える、という意味があるように思う。いわば「」として化生させる「壺」の役割を果たすのではないだろうか。アボリジニの虹蛇[[エインガナ]]は、人々をいったん飲み込んで、「自らの僕」に化生させて外に放つ、とされる。「舟」とは、広く死者(特に溺死者)の魂を水の中からすくい上げて、供養し、良くいえば日本風だと「成仏させる」とか、「新しい来世に送り出す」とかそのような意味を持つ装置となると考えるが、呪術的にいえば、「舟の龍神(そして舟の持ち主である人間)」にとって都合の良い使役霊に作り替える、という意味があるように思う。いわば「'''[[蠱毒|蠱術]]'''」の一種である。
=== ミャオ族起原2・龍神と牛神 ===

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