おそらく、[[馬家浜文化]]と[[河姆渡文化]]では[[馬家浜文化]]が上位にあり、[[馬家浜文化]]が'''パイワン族'''、[[河姆渡文化]]が'''アミ族タバロン社'''のそれぞれの故地だったと考える。[[馬家浜文化]]の方が、[[河姆渡文化]]に使いを送って、祭祀の采配を振るう側にあり、パイワン族は祭祀において「トーテム食い」を行わないのに、アミ族タバロン社の側に対しては「トーテム食い」やト-テムそのものの変更を要求できるくらい権力があったのだろう。
そしてパイワン族のこの上位性が沿海部に拡がって、沖縄などにみられる「来訪神」となっていくように思う。現地の人々が行う祭祀はパイワン族が支配していたのだろう。そしてパイワン族のこの宗教的上位性が沿海部に拡がって、沖縄などにみられる「来訪神」となっていくように思う。現地の人々が行う祭祀はパイワン族が支配していたのだろう。
== 神型の分類 ==