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ところが、[[桂男|呉剛]]の子孫は神農(シャンリャン)のこの定めを憎み、[[桂男|呉剛]]と生まれ変わりの息子たちを月に挙げて、月と桂の木を倒し続ける、という話に変えてしまった。神話が書き換えられる前には、月には河姆渡の黒陶にあるように猪神の伯陵とその妻の桂の木しかいなかった。[[桂男|呉剛]]が「月に上った」とされるようになって、その神話が西欧に伝わり、エススという神となった。この名は「[[伏羲]]」から変化した名で、[[桂男|呉剛]]はかつて'''[[伏羲]]'''と呼ばれていたのだろう。西欧で伯陵は「牛神」とされて、エススとその生まれ変わりの3人の子供達は、月で牛神と桂の木を倒し続ける、とされた。そして、それでも収まらない彼の怒りを祟りを避けるために、地上で人々は、「伯陵とその妻の代理人」とされた人間を選び出して[[桂男|呉剛]](エスス)に捧げる人身御供としなければならなかった。そうしない限り、[[桂男|呉剛]](エスス)を鎮めることはできないからだ。こうして「月の神」の神話は書き換えられ、中国では「月の豚神」であった伯陵の神話すら消されてしまった。要するに[[桂男|呉剛]]の神話は、[[河姆渡文化]]の「月神」の伝承を利用して、'''人身御供を正当化するためのものである'''。「月の父」は'''人身御供をこそ行ってはいけないもの'''、と定めたというのに。</br>
そこで人々は太陽女神である[[神農]](シャンリャン)がいつか人間の世界に降りてきて、[[桂男|呉剛]]の怨霊を鎮め、神話を彼女が定めた通りに戻してくれる。そうすれば同族を、同じ人間を人身御供に捧げるようなことはしなくて済むようになる、と考えるようになったのだった。</blockquote>
 
ということで、朝鮮と日本の「取り替え子」が若くして亡くなってしまうのは、彼らが実は「母子姦」の神話にあるように両親を殺してしまっているからで、それを怒ったシャンリャンは水牛の兄弟を「石に変えた」、すなわち殺してしまったからである。そこで「'''口もろくにきけずに、泣きわめくばかり'''」という取り替え子の死や祟りの原因は「[[神農]](シャンリャン)の祟りである。」という神話が生まれた。曰く
 
<blockquote>『釈日本紀』に引く『尾張国風土記』逸文では阿麻乃彌加都比女の祟りとする。それによると誉津別皇子は7歳になっても話すことができなかったが、皇后の夢に多具の国の神・[[天甕津日女命|阿麻乃彌加都比売]]が現れて、「自分にはまだ祝(はふり)がいないので、自分を祭祀してくれる者を与えてくれたなら、皇子は話せるようになり、寿命も延びるであろう」と言った。そこで天皇は日置部らの祖・建岡君にこの神がどこにいるかを占わせた。建岡君は美濃国の花鹿山に行き、榊を折って鬘(髪飾り)を作り、ウケイして「この鬘の落ちたところに神はいらっしゃるだろう」と言った。すると鬘は空を飛んで尾張国丹羽郡に落ちたので、建岡君は同地に社を建て、また同地も鬘が訛って阿豆良(あづら)の里と呼ばれるようになったとある。多具の国とは、出雲国の多久川流域とされ、また[[天甕津日女命|阿麻乃彌加都比売]]は『出雲国風土記』秋鹿郡伊農郷にみえる[[天甕津日女命|天甕津日女]](もしくは楯縫郡神名樋山の項の[[天甕津日女命|天御梶日女]])と同神とされる。[[天甕津日女命|天御梶日女]]は葦原色許男大神の子である[[阿遅鉏高日子根神]]の妻とされ、[[阿遅鉏高日子根神]]は『出雲国風土記』において、誉津別皇子と同じく大人になっても子供のように泣き止まなかったとする伝承が掲載されている。</blockquote>
 
[[天甕津日女命|阿麻乃彌加都比売]]は日本の「[[神農]](シャンリャン)といえると考える。彼女の夫は[[阿遅鉏高日子根神]]で犬神でもある。これは賀茂氏の祖神でもある。[[河姆渡文化]]で彼らのトーテムは犬から豚(猪)に変えられてしまい、それはミャオ族の中では更に水牛に、西欧では牛に、と変えられてしまったのに、賀茂系の氏族は「犬祖」であることを覚えていて守ってきたようである。そもそも「鴨」という氏族名は、「少昊が官名を鳥の名で呼んだ」という逸話にちなみ、良渚文化に起源を求められる氏族なのではないかと考える。彼女の起源は中国の[[女媧]]と同じかもしれない。でも[[女媧]]には失われてしまった性質、自ら「取り替え子」を罰し、その人生を左右できる、という性質を[[天甕津日女命|阿麻乃彌加都比売]]は失わずに持っていたように思う。彼女は尾張国に祀られているので、尾張氏の太陽女神でもある、と言えるかもしれない。台湾の[[女媧]]であるモアカイ女神には「犬の尾がある女神」とされていた形跡があり、愛知県には犬の女神を祀る神社がある。[[天甕津日女命|阿麻乃彌加都比売]]が「女媧」であるなら、[[天甕津日女命|阿麻乃彌加都比売]]にも[[女媧]]にも「犬の'''尾'''」が生えていたと思われるし、そもそも「尾張」の「尾」は「'''犬の尾'''」のことなのではないかと思う。'''賀茂系の氏族はあちこちに「尾」という言葉を残して、自らが「犬祖」であることを忘れないでいるのではないだろうか'''。でも母神である[[天甕津日女命|阿麻乃彌加都比売]]は、親殺しの[[伏羲]](すなわち[[阿遅鉏高日子根神]])ではなく、'''月に昇った父神'''を豚ではなく「'''犬祖'''」として覚えていて欲しい、と願うと思う。それは河姆渡文化の時代に、すでに豚に書き換えられてしまっていたのだけれども。
== 愛欲と生まれ変わりの関係 ==

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