伏羲は神聖の徳があり、華夏の各部落をまとめて陳地を都と定め泰山で封禅を行った。伏羲は蟒蛇(大きな蛇)でワニの頭、雄鹿の角、猛虎の眼、紅鯉の鱗、巨蜥の足、蒼鷹の爪、白鮫の尾、長須鯨の須を合わせて龍の図柄を創作したと言う。(一般的には龍は九似といい、鹿の角、駱駝の頭、兎の目、蛇の首、蜃の腹、魚の鱗、鷹の爪、虎の掌、牛の耳を合わせて作られたとされている。)<ref>[https://prometheusblog.net/2017/05/08/post-4269/ 伏羲:中国神話はここから始まった!三皇の首で八卦を創造した中国最初の王]、プロメテウス、2017-5-8(最終閲覧日:26-01-29)</ref>
伏羲は、'''八卦を河の中から現われた龍馬の背中にあった模様から発明した'''と易学では伝承されており、これを「河図」(かと)と呼ぶ。伏羲は,書契をつくって結縄の政治にかえた。'''はじめて婚姻の制度をたて''',一対の皮をたがいに交換するならわしをさだめた。漁猟を民に教えた。かくて,民はみな帰服(伏)したので,宓(伏)犠氏という。また,'''牛,羊,豕などを家畜として養い牛、羊、豕などを家畜として養い'''、'''それを庖厨で料理して,犠牲として神祇や祖霊をまつった'''。それゆえに庖犠ともいう。そして,三十五弦の瑟をつくった。龍の瑞祥があったので,官名に龍という字をつけ,その軍隊を龍師といった。木徳の王であった。春の季節に合う行事をあげて,政令として記した。陳(河南省)に都した。太山(泰山。山東省)に登り,封を行った。王位について百十一年で崩じた<ref>野口定男ら訳:『史記』「三皇本紀」。中国古典文学大系 10,平凡社,昭和 50 年 12 月初版第 9 刷。『史記』三皇本紀は,司馬遷が著したものではなく,唐の司馬貞がその補いとして書いたものである。司馬貞にしては,『史記』にこの補完が必須不可欠である。</ref><ref>神話伝説における伏羲氏の位相、孫樹林</ref>。
易学の書物である『易経』も、著者として伏羲が仮託されている。『易経』繋辞下伝には、伏羲は天地の理(ことわり)を理解して八卦を画き、結縄の政に代えて書契(文字)をつくり、蜘蛛の巣に倣って網(鳥網・魚網)を発明し、また魚釣りを教えたとされる<ref name="中国" />。漢の時代に班固が編纂した『白虎通義』によると、家畜飼育・調理法・漁撈法・狩り・鉄製を含む武器の製造を開発し、婚姻の制度を定めたとある。