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325 バイト追加 、 2026年1月24日 (土)
=== 石斧の神 ===
大渓文化の石斧の神は本当に蚩尤で良いのだろうか。個人的には、この神の名は'''まだ'''「蚩尤」でも良いのではないかと考える。ただし、'''牛神'''だったかもしれない、と思う。チャンヤンが兄弟の牛を犠牲獣にした、とされた通り、彼は「犠牲にされた牛」なのではないだろうか。ただし、「犠牲獣」ということで「tun」と呼ばれたかもしれないと思う。これは現在の中国では「豚」のことだけれども、古い時代には「豚」は朝鮮語やベトナム語にある通り「tut」であって、熊トーテムの時代になって「'''n'''」の音が強調されるようになったのではないかと考える。そして、豚でも牛でも犠牲獣の種類が増えてくると、しまいには月は「若(new)」としか呼ばれなくなるように思う。「若い犠牲獣」という意味で、ンラン・リー (Nrang Hli、月の少年)である。Hli、月の少年)である。中国語で月のことを「yue」と呼ぶ。これも「若(young)」に近い言葉なのではないだろうか<ref>余談だが、日本では「月」は「つき」と読む。それはアジスキタカヒコネやアジ・ダハーカと同じ子音ではないのか、と個人的には考える。</ref>。
チャンヤンと牛は「兄弟」とされるので、次第に「妹が兄を殺す」のではなく「兄が弟を殺す」という神話が発生してきたと思われる。そして、兄と弟の名前は似通っていたのではないだろうか、だから「弟(若)」を「若」としか呼ばなくなったのだろう。たとえば、ローマ神話のロームルスとレムスのように。牛神の「tun」が兄弟の牛神の「tun」を殺すようになっていったと思われる。殺されてバラバラにされ、首だけの下位の神として使役されるようになったのが石斧の神なのだろう。

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