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=== 戦闘 ===
城から撃って出たテーバイ勢はたちまち城壁に追いつめられた。カパネウスが攻城梯子をつかんで城壁を乗り越えようとしたところ、[[ゼウス]]が雷霆でこれを撃ち、カパネウスは死んで城壁から転がり落ちた。アルゴス勢は恐れをなして退却し、両軍の決議によって、エテオクレースとポリュネイケースが王座を賭けて一騎討ちすることになった。2人は相討ちとなって死んだ城から撃って出たテーバイ勢はたちまち城壁に追いつめられた。カパネウスが攻城梯子をつかんで城壁を乗り越えようとしたところ、ゼウスが雷霆でこれを撃ち、カパネウスは死んで城壁から転がり落ちた。アルゴス勢は恐れをなして退却し、両軍の決議によって、エテオクレースとポリュネイケースが王座を賭けて一騎討ちすることになった。2人は相討ちとなって死んだ<ref>[[オイディプース]]の息子たちの一騎討ちは戦いの最後であったとする説もある。オイディプースの息子たちの一騎討ちは戦いの最後であったとする説もある。</ref>。
再び激しい戦いとなり、アスタコスの息子たちがめざましい勲をうち立てた。というのは、[[イスマロス (ギリシア神話)|イスマロス]]がヒッポメドーンを、レアデースがエテオクロスを、アムピディコスがパルテノパイオスをそれぞれ斃したからである再び激しい戦いとなり、アスタコスの息子たちがめざましい勲をうち立てた。というのは、イスマロスがヒッポメドーンを、レアデースがエテオクロスを、アムピディコスがパルテノパイオスをそれぞれ斃したからである<ref>[[エウリーピデース]]によれば、パルテノパイオスを討ったのは[[ポセイドーン]]の子ペリュクリュメノスともいう。エウリーピデースによれば、パルテノパイオスを討ったのはポセイドーンの子ペリュクリュメノスともいう。</ref>。
さらに、アスタコスのもうひとりの子メラニッポスは、テューデウスの腹部を傷つけた。メラニッポス自身はテューデウスあるいはアムピアラーオスに討たれたという。半死となって倒れたテューデウスを、[[アテーナー]]はゼウスに霊薬を乞い、不死の身体にしようとした。しかし、これを見てとったアムピアラーオスは、彼の意見に反してテューデウスがアルゴス人たちにテーバイ攻めを説いてまわり、戦いの先頭に立ったことを憎んでおり、メラニッポスの首を切り取ってテューデウスに投げ与えた。テューデウスはメラニッポスの頭蓋を割ってその脳をすすり喰らった。アテーナーは顔を背けて霊薬を地面にぶちまけ、テューデウスは死んだ。さらに、アスタコスのもうひとりの子メラニッポスは、テューデウスの腹部を傷つけた。メラニッポス自身はテューデウスあるいはアムピアラーオスに討たれたという。半死となって倒れたテューデウスを、アテーナーは'''ゼウスに霊薬を乞い'''、不死の身体にしようとした。しかし、これを見てとったアムピアラーオスは、彼の意見に反してテューデウスがアルゴス人たちにテーバイ攻めを説いてまわり、戦いの先頭に立ったことを憎んでおり、メラニッポスの首を切り取ってテューデウスに投げ与えた。'''テューデウスはメラニッポスの頭蓋を割ってその脳をすすり喰らった。'''アテーナーは顔を背けて霊薬を地面にぶちまけ、テューデウスは死んだ。
アルゴス勢は総崩れとなり、テーバイ勢は追撃に転じた。ペリュクリュメノスがアムピアラーオスを追ってその背中を撃とうとしたとき、ゼウスは再び雷霆を投じ、これによってできた大地の裂け目にアムピアラーオスは戦車と御者ごと呑み込まれて消えた。[[冥府]]に入ったアムピアラーオスをゼウスは不死にしたという。七将のなかで生還できたのはアドラーストスただ一人であった。彼の馬は[[デーメーテール]]がポセイドーンと交わって生んだ[[アレイオーン]]で、だれもこれに追いつくことができなかったのである。アルゴス勢は総崩れとなり、テーバイ勢は追撃に転じた。ペリュクリュメノスがアムピアラーオスを追ってその背中を撃とうとしたとき、ゼウスは再び雷霆を投じ、これによってできた大地の裂け目にアムピアラーオスは戦車と御者ごと呑み込まれて消えた。冥府に入ったアムピアラーオスをゼウスは不死にしたという。七将のなかで生還できたのはアドラーストスただ一人であった。彼の馬はデーメーテールがポセイドーンと交わって生んだアレイオーンで、だれもこれに追いつくことができなかったのである。
=== アルゴス勢の埋葬 ===
[[オイディプース]]の息子たちの死によりテーバイの王権を継承したクレオーンは、アルゴス勢で斃れた者、とりわけポリュネイケースの死骸を埋葬することを禁じた。しかし、[[アンティゴネー]]は兄弟であるポリュネイケースの遺骸を密かに埋葬した。クレオーンはこれを発見し、アンティゴネーは墓の中に生きながら埋められたオイディプースの息子たちの死によりテーバイの王権を継承したクレオーンは、アルゴス勢で斃れた者、とりわけポリュネイケースの死骸を埋葬することを禁じた。しかし、アンティゴネーは兄弟であるポリュネイケースの遺骸を密かに埋葬した。クレオーンはこれを発見し、アンティゴネーは墓の中に生きながら埋められた<ref>この部分はソポクレース作『[[アンティゴネー]]』の題材となった。この部分はソポクレース作『アンティゴネー』の題材となった。</ref>。
逃げ延びたアドラーストスは[[アテーナイ]]の[[テーセウス]]に死者たちの埋葬を訴えた。テーセウスはこれに応えて軍勢を出し、テーバイ勢を打ち破ってアルゴス人たちの死骸を引き取り、血族の者に与えた。カパネウスの火葬のとき、カパネウスの妻で[[イーピス]]の娘[[エウアドネー]]は燃えさかる火葬壇に身を投げて夫とともに焼かれた逃げ延びたアドラーストスはアテーナイのテーセウスに死者たちの埋葬を訴えた。テーセウスはこれに応えて軍勢を出し、テーバイ勢を打ち破ってアルゴス人たちの死骸を引き取り、血族の者に与えた。カパネウスの火葬のとき、カパネウスの妻でイーピスの娘エウアドネーは燃えさかる火葬壇に身を投げて夫とともに焼かれた<ref>この部分はエウリーピデース作『[[救いを求める女たち]]』の題材となった。この部分はエウリーピデース作『救いを求める女たち』の題材となった。</ref>。
== 舞台 ==
1970年10月 [[東京大学ギリシア悲劇研究会]] 第11回公演  於:千代田区公会堂1970年10月 東京大学ギリシア悲劇研究会 第11回公演  於:千代田区公会堂
* 演出:大沼信之  台本:手島兼輔・東京大学ギリシア悲劇研究会
== 日本語訳 ==
*『悲壯劇 アイスキュロス編』「テーバイを攻むる七將」 生活社、1927年
*『ギリシア悲劇全集1』「テーバイに向かう七将」 [[人文書院]]、1960年人文書院、1960年
*『ギリシャ悲劇全集1』「テーバイを攻むる七将」<ref>帯では「テーバイを攻める七将」となっている。</ref> 鼎出版会、1979年
*『ギリシア悲劇1』「テーバイ攻めの七将」 [[ちくま文庫]]、1985年 ちくま文庫、1985年 - 元版「[[世界古典文学全集]]8」元版[[筑摩書房]]世界古典文学全集8」筑摩書房**別版 『テーバイ攻めの七将』 [[岩波文庫]]、1973年。[[高津春繁]]訳岩波文庫、1973年。高津春繁訳*『ギリシア悲劇全集2 アイスキュロス II』「テーバイを攻める七人の将軍」 池田黎太郎訳、[[岩波書店]]、1991年池田黎太郎訳、岩波書店、1991年
== 参考書籍 ==

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