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208 バイト除去 、 2025年12月29日 (月) 12:47
長野県の冠着山は俗称を「姨捨山」といい深沢七郎が『楢山節考』で姥捨て伝説を結び付けた。しかし、日本思想史学者の古田武彦は地元の放光院長楽寺への現地調査の結果などからこの地に姥捨て伝説はなかったと結論付けている<ref>[http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/sinjitu5/unmeihi1.html 神と人麻呂の運命1] 古田武彦</ref>。
神道集「赤城対明神の事」には姨捨山の由来が書かれている。要約すると以下のようになる。神道集「[[赤城大明神]]の事」には姨捨山の由来が書かれている。要約すると以下のようになる。
: 群馬に父と一人の息子と3人の娘が住んでいた。そこに信濃国'''更級郡'''より二人の姉弟がやってきた。姉は弟をそそのかすし、弟は'''乱暴者'''だった。父と息子が留守の間に乱暴者は3人の娘のうち2人を殺した。末娘は何とか助かった。父が戻ってきたが、世をはかなんで亡くなった。兄が戻ってきて、乱暴者を倒した。意地悪な女は信濃国に逃げたが'''宇津尾山'''という山に捨てられた。以後、その山を'''伯母捨山'''と言うようになった。
一方、現在の冠着山には姥捨伝承に関する寺社が全くない。これが「この地に(通常みられる形の)姥捨伝説はなかった」という結論の根拠にもなっているのではないか。ということは、冠着山は本来は「宇津尾山」といって[[会津比売神]]に関する山とされていたものが、いつしか「姥捨山」に変えられてしまい、姥捨伝承が後付けされた、ということなのではないだろうか。姥捨伝承は「後付けされたもの」だから、現地に行ってもゆかりのあるアイテムや寺社が存在しないのではないか。
そのかわり、姥捨伝承が後付される前の女神信仰の痕跡が山の周囲に残されているのだろう。「山に捨てられた姥」とは[[会津比売神]]のことと思われる。地元にその伝承は残されなかったが、どういうわけか上野(群馬県)に残されたのである。ただし、多くの人を殺すような「悪い女神」として描かれている。地元では干ばつの際に、臼道祖神のご神体の臼を'''水に沈めた'''、とある。「赤城大明神の事」で、更科姉弟は多くの人を「、とある。「[[赤城大明神]]の事」で、更科姉弟は多くの人を「'''水に沈めて'''」殺す。ご神体を見ずに鎮めることは「人身御供」を思わせるし、篠ノ井には「干ばつの際に水に人身御供を沈めた」という伝承もある。かつて人身御供を立てる習慣があり、[[会津比売神]]が「人身御供に関する女神」として忌避された可能性はあると考える。ただし、干ばつの際の人身御供の祭祀は江戸時代まで続けられていたのでは、と伝承から推察される。」殺す。ご神体を水に沈めることは「人身御供」を思わせるし、篠ノ井には「干ばつの際に水に人身御供を沈めた」という伝承もある。
== 備考 ==
== 関連項目 ==
* [[赤城大明神]]:長野県冠着山に関するもう一つの由来譚。
* [[会津比売神]]:姥捨山(宇津尾山)と関連すると思われる女神。
== 参考文献 ==

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