ヒッタイトの人々、特に高位の人々には自らの太陽女神を直接名で呼ばない習慣があったようである。ヘバトも「アリンナの太陽女神は杉の国(レバノン)でヘバトと呼ばれている。」と言われており、ヒッタイトの人がヒッタイトの神の名としてみなしていたのかというとそうでもなかった。日本人がかぐや姫のことを「かぐや姫」と直接呼ばずに、「中国で嫦娥と呼ばれている女神」と言うようなものである。
== 接頭辞El、Alなど 1.接頭辞El、Alなど ==
図1にあるように、ウガリットのEl、Al、Il、メソポタミアのE、Er、Enなど神の名に接頭辞として'''あ行の言葉'''がつくことがあった。ギリシア神話のアリアドネー(Ariadne)、アルテミス(Artemis)もその例と考える。これらの神は、まず接頭辞を外した部分が「固有の名」ではないかと考える。アリアドネーは「アドネー」、アルテミスは「テミス」である。アドネーという言葉は、これはこれでアドナイ(Adonai・ヘブライ語で「私の主」を意味する)に類似した言葉と考える。テミスという女神はギリシア神話では別に存在しているが、これもアルテミスと同様「月女神」なので、起源的にアルテミスとテミスは同じ女神なのだろう。この言葉は接尾語として使われる場合もある。
余談ではあるが、上記のように考えるとユーラシア大陸全体では印欧語、セム語を超えて広い範囲の言語で、似通った名前を持つ起源を同じくした神々がいると想像される。多くの人が神々に対して接頭辞で親しみや敬意を示すのに、日本語では「御」くらいが敬意を示す言葉で、これも「オン」とか「ゴ」と読むのだから日本語だけが特殊というか、他の言語とかけ離れている、という印象を受けるのだ。
== Estanという言葉について = 1.D-、J-、Y-あるいはT- ===英語版のwikipediaで、Estanという言葉を検索すると「印欧祖語のディヤウス(dyaus)という言葉は、「父なるデャウス」を意味するデャウシュ・ピター(dyauṣpitā)という言葉でもあり、ヒンドゥー教で「天(dyaus)の父(pita)」という天空神を示している。この名前は英語の「Thunder(雷)」という言葉が示すように「雷」を示す言葉なのだと考える。Y-という接頭語はJ-stan」というページが開かれる。「stan」とはペルシャ語で、「場所」や「国」を示す言葉で、その語源はインド・ヨーロッパ祖語に遡り、英語で「to stand」という意味なのだと記載されている。<ref>日本語で一番理解しやすい使用例としては、「ガソリンスタンド」とか「野球場のスタンド(観覧席)」なのではないだろうか。</ref>この言葉は中央アジアの多くの国の名前として、現在でも残されている(パキスタン、タジキスタン等)。という接頭語から濁点を外したものである。
このようにみると、「Estan」とは、「Eの土地」という意味となるのだが、では「E」とは何を意味するのかということになる。下エジプトの守護神とされる蛇女神は「ウアジェト(Wadjet)」という。この女神の名には「雷」を示す子音が二つ入っている。このように「D-」系の子音は接頭語以外でも使用された。特に古代エジプトでは女神の名として、接頭語ではなく'''接尾語'''として高頻度で使用された。ウアジェトだけでなく、ネクベト、メヒト、タウエレト等々である。
=== 1.D-またはJ-(ローマとギリシャ) ===[[ファイル:g14-washi.png|thumb|right|px|g,m,w ハゲワシ<br>「母神」を意味する「m」のヒエログリフ]]印欧祖語のディヤウス(dyaus)という言葉は、「父なるデャウス」を意味するデャウシュ・ピター(dyauṣpitā)という言葉でもあり、ヒンドゥー教で「天(dyaus)の父(pita)」という天空神を示している。これに対応する「母」を示す女神は「母なるプリトゥヴィー」を意味するマーター・プリトゥヴィー(mātā pṛthvī)と呼ばれ、「天の神」に対応する「地の女神」と考えられていた。日本では阿遅鉏高日子根(ア'''ヂ'''スキタカヒコネ)、伊豆能売(イ'''ズ'''ノメ)、神阿多都比売(カムア'''タ'''ツヒメ(木花之佐久夜毘売の本名))の名にこの子音がみられる。古い時代の神々と見えて、中国式に「阿」「伊」といった親しみを示す接頭辞がついている例がある。阿遅鉏高日子根は雷神としての性質も持つ。日本では「火山の神」としての性質も強いように感じる。「伊豆」という地名も関連する言葉であろう。伊豆は火山の多いところである。
古代エジプトは、蛇神信仰が非常に盛んな土地であり、その蛇神とは大地の豊穣をもたらす神であり、かつ月神でもあると考えられていた。古代エジプトの人々は、「月」とは「原始の水」を入れた水瓶であり、そこから地上に水がもたらされると考えていたようである。また、蛇行して流れる川のことを蛇神として見ていた。そこから、人間の人生の流れと川の流れをも同一視して、母神と川の流れを定める神をいわゆる「地母神」とみなし、古代エジプト人が水源であると考えていた月、実際の水源である高山、水が溢れるナイル川を一体化して「大地の豊穣性と川の母神」と考えていた。このような場合、「地母神」とは人の運命を定める神であり、大地の神であり、川の神であり、月の神でもある、ということになる。<br>
実際インドの地母神達は、サラスヴァティー川のサラスヴァティー女神、ガンジス川のガンガー女神のように、「川の女神」として現されることが多い。よって、「mātā pṛthvī」と「母」を示す言葉に「m」という子音を使用する場合、その言葉で表される「地母神」は、その言葉の中に「月神」であり、かつ「川の神」でもあるという性質を内包しているのである。
また、下エジプトの守護神とされる蛇女神の名を「ウアジェト(Wadjet)」という。この名は、子音でみると「Wa== Estanという言葉について ==英語版のwikipediaで、Estanという言葉を検索すると「-dje-t」とすることができる。古代エジプトにおいて、「母」を現す「m」というヒエログリフはハゲワシの姿で現されるが、このヒエログリフはその他にも鳥を示す「g」、水を示す「w」という子音をも現す。「dj」を示すヒエログリフはコブラあるいはパピルス草を示し、この言葉がウアジェト女神の本質を示す言葉であることが分かる。この女神はコブラの姿であると共に、パピルスの象徴でもあるのである。そして、水神であり月神である「w」という子音をその名の中に有している。それ意外にも「t」という子音も「月あるいはパン」として、「食料」としての「月」の意味を有していると個人的には考えている。stan」というページが開かれる。「stan」とはペルシャ語で、「場所」や「国」を示す言葉で、その語源はインド・ヨーロッパ祖語に遡り、英語で「to stand」という意味なのだと記載されている。<ref>日本語で一番理解しやすい使用例としては、「ガソリンスタンド」とか「野球場のスタンド(観覧席)」なのではないだろうか。<br/ref>要するに、神を示す言葉に、接頭辞的に「d」あるいは「j」の子音がつく神々は、その言葉の中に「蛇神」であり「月神」であるという性質をも併せ持っているのである。この言葉は中央アジアの多くの国の名前として、現在でも残されている(パキスタン、タジキスタン等)。
このように蛇神を意味するDy-あるいはDe-、Di-、J-という語句は、広い地域で「神」という言葉を示す接頭辞としても使われている。例えばインドでは男性の天の神をデーヴァー(Deva)といい、デーヴァーの女性形をデーヴィー (Devi)という。また、その一方で、男性形の父神であるデャウシュ・ピター(dyauṣpitā)にも「D」という子音がつく。このようにみると、「Estan」とは、「Eの土地」という意味となるのだが、では「E」とは何を意味するのかということになる。
これがローマ神話になると、Dがつく場合と、Dが失われて、Jと描いて、Y(日本語でいえばヤ行の言葉)と発音する言葉の両方が、混在している。古代エジプトにおいて、親神としての蛇神はパピルスでもあるため、アッカド語ではPAPという言葉で表される。これはラテン語でpapyrusとなる。一方、ラテン語で父親のことはpaterという。すなわち、ラテン語において、先頭に「p」がつく、「パピルス」と「父親(pater)」の語源は、アッカド語にあり、その意味するところの起源は古代エジプトにある。母親を示す「mater」という言葉の語源は古代エジプトの「母親」を意味する「m」と考えられる。すなわち、ラテン語あるいは印欧祖語においては「父」を示す言葉も、「母」を示す言葉も、古代エジプト文明の「月の蛇神」に由来するのである。<ref>印欧祖語のpətērは英語のfather、materはmotherに変化したと考えられよう。</ref><br>
また、ラテン語で月のことを「luna」と呼ぶ。「n」という言葉は、古代エジプト、メソポタミアに共通して、「月」を意味する子音である。ローマ(Roma)の「m」も、おそらく古代エジプトに由来する「月」を意味する「m」なのであろう。
一方ギリシャ神話では、天空の最高神のことをゼウス(ZeusまたはDiós)と呼び、ここにも「D」という接頭辞がみられる。海神であるポセイドーン(Poseidon)に使用されている子音の「d」と「n」、冥界神であるハーデース(Hades)の「d」等、ギリシャの神々にも「月の蛇神」を示す「d」等の子音が目立つようである。
=== 2.T-(ルウィ語等) ===