* [[禹]]に相当する獣面神
* [[共工]]に相当する水神
だったのではないだろうか。母系が優位の時代には彼らは雷神を頂点としながらもある程度は並び立っていた。禹は異形の獣神として現され、月神や樹木神だった可能性はある。だったのではないだろうか。母系が優位の時代には彼らは雷神を頂点としながらもある程度は並び立っていた。[[禹]]は異形の獣神として現され、月神や樹木神だった可能性はある。
時代が下り父系が優位となると、まず女性首長が担っていた「太陽女神」としての地位は男性首長が「太陽神」となるように変更されたことと思う。彼らの開祖的な先祖とみなされる[[禹]]は初代の王であり、単なる獣神あるいは月神・樹木神から、太陽神へと変更されたのではないか。[[禹]]の地位が単独で上昇するにつれて、水神としての[[共工]]の地位は低下し、後に中国神話で悪神とされるように、「悪い神」へと変更されてしまったと考える。[[禹]]を強き神とするためのスケープゴートである。共同体の中で「[[共工]]」を神として指示する人々が女神信仰も指示していたので、太陽女神と」を神として指示する人々が女神信仰も指示していたので、彼らの地位が低下するにつれ、太陽女神と[[共工]]の地位が変更され低下するにつれて母系優位の文化も衰退してしまったと思われる。そして財産権・相続権を有するのは太陽神に代表される「男性」だとして、父系の文化は竜山文化へと確立してゆく。の地位が変更され母系優位の文化も衰退してしまったと思われる。そして財産権・相続権を有するのは太陽神・[[禹]]に代表される「男性」だとして、父系の文化は竜山文化へと確立してゆく。
だから、[[禹]]の起源は黄河文明ではなく長江文明であって、治めた川は黄河ではなくて、本当は長江のことだったのではないか、と考える。良渚文化の玉器に複数の獣面が掘られたものがあるが、それは「太陽が複数あった」という[[羿]]神話を彷彿とさせる感がある。