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752 バイト追加 、 2025年2月14日 (金)
ともかく、大国主命の「死と復活」は、「大国主命の死」と「大国主命・[[須佐之男命]]が一体化した復活」と組み合わされており、復活した大国主命であるところの大物主命は[[須佐之男命]]も同然の「祟り神」とされている。これが中世になって民間伝承化すると「'''良い人が非業の死を遂げて祟り神になる'''」という話に縮められてしまい、老若男女を問わず「誰でも死んだら祟り神」化する傾向になってくる。元の話が「イエス・キリストの復活と再生」だったとしても、伝承は何だか一見して聖書の内容とは似ていない感じになってくる。
 
なぜ、大国主命がイエスを投影したものだとして、死んで再生したら[[須佐之男命]]になってしまうのかというと、その原因はローマ神話にあるように思う。ローマの重要な「父なる神」とは[[サートゥルヌス]]のことであって、この神は農耕神でもあり時間の神ともされているが、植物が育って枯死し実(赤ん坊)をつけて、それがまた発芽し成長する、というサイクルを繰り返すのになぞらえて、1年のうちに「発生(出生)、成長、老化、若返り(種)」を繰り返す神と考えられていたのではないかと思う。植物の「種」は正確には動物でいえば「子供」
== 参考文献 ==

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